その9 人類との初遭遇
船は軽快に海の上を滑る。
水の都アトランティエの街並みが、だんだん近づいてきた。
「ねえアルミラ、水の都ってどんなとこ?」
甲板の上で景色をながめながら、ふと、尋ねる。
「西部諸邦でもっとも栄える都ですわ!」
てしてしと帆をたたいて船を操りながら、子猫は誇らしげに言った。
「――西海と、そこに流れ込む大河クー。その双方に港を持つ、巨大水運都市、それが水の都アトランティエですの!」
「おお、大都会! メトロポリス!」
街の様子を見ながら、歓声を上げる。
行き交う船や港に見える人の多さを考えると、人口も多そうだ。
小さな漁村なんかと違って、ドラゴンの鱗の換金なんかもできるだろう。
それに、船の行き来が盛んってことは、いろんな情報が手に入るってことだ。
この世界について、いろいろ知りたい私にとっては、最適な場所だ。具体的にはドラゴンの居場所とか。
「アルミラ、このまま港に船をつけるの?」
「とんでもない!」
尋ねると、アルミラはあわててかぶりを振った。
「こんな馬鹿げたレベルの神器、港に入れたら大騒ぎになりますわ!」
そういえばこの船、動く国宝な感じだった。
「……狙われちゃうかな?」
「狙われちゃいますわ。チンピラの類はともかく、権力者に目をつけられると、ものすごく厄介ですわ。なので、目立たないところに船を泊めさせてもらいます」
言って、アルミラは船を操作する。
船の軌跡は緩やかにカーブを描いて、水の都に向かうコースから外れていく。
海岸沿いに南から大きく迂回して、最終的に船を泊めたのは、水の都にほど近い、ごくごく小さな入り江だった。
「まずはわたくしが陸に上がりますわ。タツキさんは、ここで留守をお願いしてよろしいですか?」
船を岸に繋ぐと、アルミラはそう提案した。
「アルミラだけで陸に上がるの? 危なくない? いっしょじゃ駄目なの?」
「このあたりには魔物も居りませんし、危なくはありませんわ。それに、見張りもなしに船を空けるのは不用心ですし」
まあ、人の気配がないといっても、都の近くの入江だ。いつ誰が来るかわからない。
そんなところにドラゴンシップを無人で放置するのが不用心だってのは、よくわかる。
「アルミラに危険がないのなら、反対する理由はないよ。でも気をつけてね」
「心配していだだいて、ありがとうございますわ。とりあえず信用できる人を連れて参ります。その方に、船のことはなんとかしてもらうつもりですわ……ただ、そのためにお金が要りますので、小さい鱗を一枚いただいてもよろしいですか?」
問題ない。
というか、そもそも私のものじゃないし、必要だってものを惜しむ気なんてない。
「いいよ。わかった――というか、必要なら何枚使ってもいいんだからね?」
「ありがたいのですけれど、かさばるので何枚もは持っていけませんわ!」
まあ猫だし、あまり大荷物を持たせられないのは仕方ない。
船底を探って、大小ある鱗の中から、アルミラが持てそうな小さいものを選んで渡す。
「頼むよアルミラ。待ってるからよろしく」
「おまかせですわ! 行って参りますわ!」
アルミラは竜の鱗を咥え、駆けていく。
悪い人間に狙われたりしないだろうか、と思ったけど、アルミラの様子を見るに、あれを一見して竜の鱗だってわかる人間は、案外少ないのかもしれない。
アルミラの姿が見えなくなったので、船内に戻って寝ころぶ。
「あー。私も早く、水の都に行きたいなあ」
のびをしながら、つぶやく。
異世界に来てはじめての街だ。
大きい都で交通の要衝。物が集まるに決まってる。だったら、食べ物も美味しいに違いない。
それに、よく考えると十日以上、人間と会話してない。
アルミラと話してたから、寂しいって感じはないけど、人恋しさはある。
「……というか、ついでに服、買ってきてもらったらよかったかも……いや、アルミラじゃ持てないか」
思いつきを即座に否定。
だけど、この格好はマズい気がする。
なにせ横から丸見え、下から丸見え、しかも常にひらひらしてる風竜の貫頭衣である。こんな格好で人前に出るのは、文明人としてはばかられる。というか普通に恥ずかしい。
「せめて体を隠せる布が欲しいなあ……」
つぶやいて、ふと思いつく。
アルミラの寝床は大きめの白い布だ。
「町に行くときだけ借りられないかな?」
なんとなく、布を持ち上げる。
見るからに上等な布だ。広げてみると、かなり大きい。大きいというか……
「……服?」
女性用のゆったりとした服だった。
古代のギリシャとかローマの人が着てるみたいな服だ。
――アルミラと縁のある人の服なのかな?
悪いけど、ちょっと着てみることにする。
ひさしぶりのまともな衣服だ。文化の香りが懐かしい。
純白の衣を着こんで、ポーズ。
風竜の貫頭衣を下に着ているせいで、風もないのにふわふわとなびいている。
「ニケ!」
声はむなしくこだまする。
突っ込んでくれる人がいなくて寂しい。
◆
寂しいので、甲板に出て日向ぼっこする。
気のせいか、生贄の祭壇よりも、日差しが柔らかい。
寄せては返す波。ゆりかごの様に揺られる船。遠くで鳥の鳴き声。
小一時間ほど、うとうとしていただろうか。
ふいに、騒がしい声が聞こえてきて、目が覚める。
「アニキぃ、きっとこの船ですぜ!」
「おお、たしかに妙な船だぜ! 人は居ねえのかぁ!?」
どうにもガラの悪い声だ。
寝ても居られないので身を起こす。
「――と、おいおい……とんでもなくいい女じゃねえか!」
私の姿が目に入ったのか、下卑た声。
見れば、のしのしと船に近づいてくる男二人。
――うわ、ごろつきだ。
ぼうっとした頭でそう思った。
野卑を絵にかいたような顔立ち。
格好も、まるで山賊のそれだ。海なのに。
「へっへっへ、お嬢ちゃん、暇なら俺様と遊ばねえか?」
――マジか……こんなベッタベタな奴が実在するんだ。
と、謎の感動を覚えていると、もう一人のごろつきが口を開く。
「アニキ、いいんスか? あの服、きっと神殿務めのお嬢様ですぜ?」
アニキ!
アニキ呼び!
三下だ! こんなヤツ本当にいるんだ!
思わず拳をぎゅっとする。
「構うものかよ! こんないい女、二度とお目にかかれねえぜ!」
さすアニキ! さすアニキ!
謎のテンションで、二人のやりとりに心の中で祝福を送りまくる。
まあ、実際ギラついた目を向けられるのは嫌だし、危害を加えられたらシャレにならないんだけど、その可能性皆無だし。
というか、アニキの方とか、かなりの腕っ節っぽいのに、まったく怖くない。
「おう、こっち来な! 悪ぃようにはしねえからよ!」
兄貴分のほうが、船に乗り込んできて、私を引っ張る……んだけど、引っ張られてる実感がまるでない。
「なんだあ? とんでもなく重い!?」
うんうん唸りながら引っ張る兄貴分。
私はびくともしない。たいして踏ん張ってもいないんだけど、この人の必死な表情をみるに、かなりの力がかかってるっぽい。
困った。
弱いのはいいけど、手加減間違えたらアニキ死んじゃう。
「このアマぁ! 大人しく言うこと聞きやがれってんだ!」
いや、私なにもしてないんだけど。
まあ、ずっとからまれて続けるのも困る。
アルミラが帰ってくる前に、穏便にお帰りいただくとしよう。
決めて、立ち上がる。
「おっ?」とつんのめる兄貴分を、両手でそうっと持ち上げる。卵を掴むように、そうっと。
「な、なにしやがる!?」
そして、バスケのセットシュートのように、優しいタッチでふわっと投げる。ビューティホー……
「げーっ!?」
兄貴分の男は、悲鳴とともに芸術的な放物線を描いて岸に落ちた。
よし、死んでない……けど、ゴホゴホせき込んでる。あれでもダメージ行くのか。
「アニキ!?」
「ごほっ、ごほっ――くそ、覚えてろよ!」
あわてる弟分。
兄貴分は捨てゼリフを吐いて逃げていった。
すばらしい。
最後まで外さなかった。勲章ものの二人だ。
謎の感動に、思わず両手を合わせてしまう。
あちらの世界じゃ絶滅が危ぶまれる存在だ。ぜひともたくましく生きて欲しい。