その74 ユリシスのことを知っていこう
インチキおじさんとのお茶会から、数日が経った。
国家をまたいだ、わりと緊迫したやりとりがあった気がするけど、だからといって事態が次々に動いてくわけじゃない。
というか、動いてたとしても、情報伝達の関係で、こっちが知るのに、短くても数日のラグが出る。
表立っての情報でもそれだ。こちらの諜報の網にかからないまま、事態が進行してたりしたら、こちらに伝わるのにはさらに時間がかかる。
将棋とか囲碁なんかとは違う。
相手の布石とか応手の全貌がわからないまま、半分予測で補完して打ってるようなものだ。
その上、手駒がすべて自分の思い通り動いてくれるわけじゃないってのがなんともはやである。
まあ、町娘疑惑の人のことは気になるけど、新たな情報が入ってくるまでは、保留するしかない。
折を見てアルミラに話して、彼女が許せないって言うのなら、けじめをつけさせたいっていうのなら、ぜひとも協力したいけど、アルミラさん、わりと吹っ切れてるっぽいし。
もちろん向こうからちょっかいかけてくる可能性は大いにある。
それも含めて、予測のつかないローデシアへの備えはしておくとして、目下のところ急務なのは、私をユリシス王国の守護神獣に迎える準備なのだ。
これも、遠隔地の諸侯やらなにやらとの調整とか説得とか……私=アートマルグって設定で受け入れやすくなってるとしても、かなりめんどくさい。
ゆったりと、しかしあわただしく、ユリシスは動いてる。
そんななかで、まあ、案の定だけど……私は暇だった。
済ませるべきことはもう済ませたし、かといって正式にユリシスの守護女神になってない現状だと、表だってやれることってないし。
「ひまー」
と、ベッドに転がる。
いっしょに来た銀髪幼女な魔女、オールオールちゃんは、部屋に引きこもって研究の真っ最中だ。
神獣の血を使った野菜の研究なんかは、ここじゃ出来ないだろうから、きっと私の血の研究だろう。
で、もう一方のファビアさんは、昨日、手続きによって捕虜の身分から解放されたんだけど。
「――失礼、タツキ殿。なにかご用はないでしょうか? お茶でもお持ちいたしましょうか?」
なんというか、世話焼きモードに入っていた。
いや、理由はわかる。
母である牙の魔女トゥーシアを説得する時、彼女は言っていた。
私に、ユリシスを好きになってもらう、と。それを実行するつもりなのだろう。
「ありがとう。お願いするよ……けど、あんまり気を遣わなくていいよ。ファビアさんも、肩の荷が降りたとこでしょ?」
「とんでもない! わたしの役目はこれからです!」
寝転がったまま返事すると、ファビアさんは、すっごい気負った表情で宣言する。
なんで自分から背負いこもうとするのかこの人は。
「本来ならば、いっしょに町を見て回っていただきたいところですが」
「うん、わかってる。アトランティエでもそうだったけど、この時期に歩きまわったら、行く場所行く場所で騒ぎになるの、目に見えてるから」
私の容姿、すっごい目立つし。
このゴールデンな髪がうらめしい。
でも、うすうす気づいてたけど、この国の料理の味付け、私の好みから外れてて微妙につらい。
さすがに屋敷の料理人さんは、察して味付けを変えてくれてるから大丈夫だし、その気遣いはすっごくありがたいと思うけど。
「よっ」
と、起き上がって、伸びをする。
話してる間に、ファビアさんはテーブルをセッティングしてくれてる。
――ほんとこの人、いいお嫁さんになりそうだなあ。
なんて考えてると、ファビアさんは微笑みを浮かべ、言った。
「実は、クラウディアが北方のめずらしい果物を持ってきてくれましてね、いまお持ちします」
「……え?」
思わず声をあげたけど、ファビアさんはそのまま部屋を出ていった。
クラウディア――百合っ娘は、ファビアさんラブな子だ。
で、ファビアさんがなにかと気にかけてる私のことは、あんまりよく思ってないに違いない。
その子が、おそらく私の口に入ることを想定して、ファビアさんに送ったもの……嫌な予感がする。
まあ、さすがにファビアさんの顔を潰すような事はしないだろうけど、ユミスさんに送ってたおっそろしい呪詛を思い出すと……ちょっと怖い。
「お待たせしました」
ファビアさんが戻ってくる。
手には、香草茶と、果物が盛られた皿。
「おお!?」
思わず歓声を上げる。
皿の上に乗ってるのは、複雑に枝分かれした氷のようなもの。
「ファビアさん、それは……?」
「氷樹果……と、言うらしいです。ユリシス最北の島ホルトゥムで、十年に一度生まれるという、氷の魔力を孕んだ果実です」
「果実?」
なんというか、氷の枝そのものに見えるんだけど……甘いんだろうか?
下からのぞくようにして、ファビアさんの顔色をうかがうと、彼女は苦笑を浮かべた。
「なにぶん貴重なものですので、味などはあいにく……ですが、魔力を孕んだものです。神である貴女にとっては、よいものかと」
言われてみれば、魔力を孕んだ食材で、いままでハズレってなかった気がする。
貴重なものらしいし、ひょっとしてインチキおじさんが用意したものなのかも。
だったら、期待してもいいかもしれない。
ゆっくりと、手を伸ばす。
触れると、冷たい。そしてもろい。ぱきりと折れて、欠片が手の中に収まった。
溶けるような気がして、あわてて口の中に放り込む。
「――あ」
つぶやく。
ほのかに甘い。そして、じわりと魔力が浸みこんでくる。
「おいしい……」
上品な甘さだ。
淡雪のように溶けてしまいそうな、それでいて、甘みがすーっと後を引く。
「お口にあったようで、よかったです」
ほっとしたように、ファビアさんが安堵の息をつく。
しばし、氷樹果の甘みを楽しんで。
「どうでしょう。すこし、庭を散歩しませんか」
ファビアさんは、そう提案した。
◆
外に出る。
牙の魔女さんと戦った庭だ。広さはかなりある。
緑なんかも植えられてるけど、日本庭園みたいに池とか岩とかがあるわけじゃなく、基本的には平らで広い場所だ。
歩きながら、なんとなく、空を仰ぐ。
アトランティエよりも、淡い色彩の空。
いや、植物も、建物も、アトランティエと比べると、色が淡い気がする。
「……ここは、ユリシスは、アトランティエに比べれば、恵みは豊かではありません」
空を仰ぎながら、ファビアさんは、ふいに語り始めた。
「ですが、よいものはたくさんあります。さすがに、アトランティエのように、よりどりみどりとはいきませんが……」
「ファビアさん、私は、ファビアさんのことを、友達だと思ってる。生真面目で、融通きかなくて、でも、自分が愛するもののために一途なファビアさんのこと、好きだよ――えーと、友達としてね」
ファビアさんは、このユリシスを好きになってもらおうと、その想いを伝えてくれてる。
だから、私も、彼女に対する正直な思いを伝える。
「ファビアさんが愛してるこの国のことを、私が嫌いになるはずがない。だから、ファビアさんが思う、この国の好きなところを、これからも教えてくれないかな?」
私の言葉に、ファビアさんは、すこし目を潤ませて。
「はい」
と答えた。
「わたしも……かつて敵であったわたしを、友と呼んでくれる。好きだと言ってくれる。そんなタツキ殿を……仇であるにもかかわらず……その、非常に好ましく思っております」
ファビアさんが照れ笑いを浮かべる。
魅力的な笑みだと、そう思った。
次回更新28日20:00予定です。




