その68 やれることをやってみよう
あっという間に約束の日は訪れた。
準備できる期間もまったくなかったけど、ハラは決めた。
やれるだけのことはやるし、やってもらう。あとは出たとこ任せだ。
「――よし」
と、声を出して、屋敷を出る。
外には、すでに決闘の相手――牙の魔女トゥーシアが、前回同様、二十ほどの手勢を連れて待っていた。
「アトランティエの女神よ。挑みに来た」
「うん。待ってた」
私はうなずきながら、彼女に歩み寄る。
「ここでやる? それとも、場所を変える?」
「屋敷の庭は、じゅうぶんに広い。しかし、女神よ、力を使うにここでは不足だと言うのなら、場所を変えよう」
牙の魔女は、私の背後につき従う娘、ファビアの姿に眉をひそめながら、返答した。
「キミがここでいいと言うのなら、文句はないよ」
「では……」
あらためて、相対する。
距離は、5メートルほど。無いも同然の距離だ。
牙の魔女が連れてきた連中は、彼女とは距離をとり、並んで検分の構えだ。
屋敷の扉の前には、オールオールちゃんやら使者さんやら、百合っ娘さんが並んでる。
私の後ろには、ファビアさん。
「始めようか」
私が、口を開く。
牙の魔女が、その牙たる直刀を抜き払った。
刀身は、神鮫アートマルグの牙を研ぎ出したものなのだろう。不思議な色彩を帯びている。
ひりつくような圧が、肌を痺れさせる。
殺気、あるいは闘気か。とにかく剣呑極まりない。
――本気、ってことか。
心の中でつぶやいて、口の端をつり上げる。
幻獣を相手にするつもりでかからないと、本気で殺されかねない。直感的に、それがわかった。
「我は神鮫の牙……」
つぶやきながら、牙の魔女は剣を揺らす。
剣に、魔力が伝わっていく。それは水の形をとって……
「……我が一撃に――神は宿る!」
斬撃として、繰り出された。
――硬くなれ!
魔力を通して、自分の体に全力で訴える。
直後、襲い来る水の牙が、私の体にぶち当たった。
「――やったか!?」
と、相手側から歓声が上がるけど、やってない。
「……無傷か。服も切れんとは」
牙の魔女トゥーシアは、さすがに冷静だ。
死んだ魚のような瞳を揺らがせもせず、静かにつぶやいた。
見た目は金髪中学生なのに、本気で貫録がある。むっちゃ怖い。
「ならば――神鮫の軍勢よ、その牙たる我が命に従え!」
と、“軍勢”ってことは。
詠唱から、魔法の正体を察して、身構える。
体からほどけるように。
彼女の体から、無数の鮫が現れた。
その数――およそ20!
――“軍勢”の魔法! これくらいなら!
仁王立ちのまま、殺到してくる鮫たちを受け止める。
なんだか全身かじかじされてるけど、魔力で硬くなってるせいか、痛くもない。
でも、このままじゃ一見やられてるように見えるから、なんとかしなきゃ。
意識を集中。
霧を身に纏わせて、それを衝撃として撃ち出す。
――霧の吐息。
かなり手加減したけど、それでも鮫を消滅させるには十分だった。
相手側の人たちは、なんというか悲壮な表情になってきた。
それはそうか。神鮫アートマルグの権能たる“軍勢”の魔法は、おそらくは牙の魔女のとっておきだ。
それが、防がれるならともかく、直撃してノーダメージなんだから、あちらにとっては悪夢のような光景なんだろう。
――そろそろ、頃合いか。
「ファビアさん」
私は、この戦いの主役に、声をかける。
「――出番だよ。よろしく」
「はいっ!」
と、ファビアさんは勢い込んで応えた。
◆
「……いまさら、その娘にどんな出番がある」
突き放すように、牙の魔女トゥーシアは問う。
「――すでに牙を失い、戦う術すら持たぬ娘に、なにが出来る?」
「いっしょに戦う、意志がある」
私は答える。
「命をかけて、戦う意志がある。私にとっては、それで十分だ」
「……まず――わたしの思いを、お話します」
私の言葉に、重ねるように。
ファビアさんが口を開いた。
「わたしは、母上の子として生まれ、ユリシスの戦士として育ちました。勇者として将来を嘱望され、十にならぬうちに神鮫アートマルグ様よりその牙を賜った。わたしは国のために戦えることを至上の名誉と思い、この身を鍛えてまいりました。その思いは、いまも変わっておりません」
「戯言を」
切り捨てる母に構わず、ファビアさんは語る。
「神鮫を敬して参りました。またそれに足る雄々しき方でした。ユリシス王を敬して参りました。若年ながら優しき仁君です。母上を敬して参りました。厳しく、されど国のすべてを深く愛する方だと、いまも信じております」
「詭弁など、聞くに堪えん」
「――いや、聞いてもらうよ」
ファビアさんに向けて剣を構える母に、私は告げる。
「そのために、私はここに立ってる」
「座興につき合えと?」
「私は彼女を信じた。だから身を呈して庇う。それだけだよ」
胸を張って言う。
牙の魔女は揺るがない。
感情を表に出さぬまま、口を開く。
「傲慢とは思うまい。それが出来る実力が、そちらにはある。なれど、やはり座興だ」
「ファビアさんがあきらめない限り。私もあきらめないよ」
平行線の会話を打ち切るように、私は言葉を切って。
ファビアさんが、みなに届くように声を張り上げた。
「姉妹の契りを交わした友を、愛しております。ともに武を鍛えた仲間を、愛しております。ゆるやかに変わっていくこの国の営みを、それでも愛しております――わたしは、このユリシスを愛しております! これまでも、これからも!」
あ、百合っ娘が感激の悲鳴を押し殺してる。
「――神鮫アートマルグ様は滅びました。その覇道を貫いたまま、女神タツキ殿の手にかかって。守護神獣を失ったこの国は、私が愛するこの国は、崩壊の危機にあります! だから、アトランティエ王の思惑に乗った! たとえあちらに別の思惑があったとしても、タツキ殿ならば、ユリシスに無体なことはなさるまいと。一度この国に住んでいただければ、この国を知っていだだければ、この国を愛していただければ、ユリシスはユリシスのまま、永らえることが出来ると、それを信じて、わたしは戻って参りました!」
「――ならば、貴様は貴様の信じる道を歩むがいい」
構えた剣を下ろさぬまま、牙の魔女は突き放すように語る。
「我は、我の信じる道を歩んで――死ぬ」
「死なせない」
牙の魔女の言葉を、わたしは否定する。
「私はキミの攻撃で傷ひとつ負わない。私はキミに、ただの一度だって反撃しない。だからキミは死ねないし、死なない」
「……残酷な女神よ。我から死に場所すら奪うか」
はじめて。
牙の魔女は感情を面にあらわした。
それは、寄る辺ない子供のような表情だった。
「奪うよ。その人が死ぬことで、私の友達が悲しむなら、私はその人を死なせない。我がままで、残酷で、貪欲な神様だよ、私は」
「ならば――根競べだ。我がそちらに傷をつけるか、あるいは反撃させれば、我の勝ちだ」
「つきあおう。もちろん、その間も、ファビアさんの説得を受け続けてもらうけどね」
必殺の気を込める魔女に、私は笑いかけた。
私と牙の魔女トゥーシアの根競べのような戦いは、延々と続き、ファビアさんの心底からの訴えも、おなじ時間続いた。
そして。
朝から始まった戦いも、夕刻に迫ったころ。
牙の魔女の手が、ふいに彼女の意志とは関係なく、直刀を離した。
休みなく全力で斬りかかってきた執念は、驚嘆に値する。
けど、私は立っている。ファビアさんも、訴えを止めない。
しかし、それでも、牙の魔女の意志は折れていない。
そんな、硬直した状況を崩したのは――唐突に響き渡った警鐘の音だった。
都中に鳴り響くような警鐘。
事態がわからず、みなが戸惑う中で、まっさきに動いたのは、ファビアさんだった。
「――っ失礼!」
母の直刀を掴み、迷わず表へ駆けていった娘の姿に、牙の魔女トゥーシアは、はじめて敗北の苦みを面にあらわした。
「……結局、あの娘の想いには、一片の嘘も混じっていなかった」
事の成り行きを見守っていた銀髪の魔女が、牙の魔女に声をかける。
「――自分が死んだ後について欲目を出した分だけ、あんたの負けだね」
「……ふん」
あくまで敗北は認めないとばかりに、牙の魔女はそっぽを向いた。
◆
「どういうこと? オールオール」
さっきの一言で、なんとなく察しはついたけど、確認のために尋ねる。
「まあ、あたしもカマかけ半分だったんだけどね」
銀髪幼女は、ふー、と息をついて、説明する。
「たぶんだけど、この娘は、ユリシス最強である自分の戦死と、それでも一矢報いたという事実によって、あんたに対する反感を抑えようとしてたんだろうさ。ついでに、累を及ぼさないよう、娘とは絶縁して、ご丁寧に証人まで用意して、ね」
「もののついで程度のことだ――だが」
吐き捨てるように、牙の魔女は言って――口元に、自嘲じみた笑いを浮かべた。
「それが我が妄執の純粋さを損ねていたとすれば、我の不覚だ」
「不覚ついでに、もう少し生きてみる気はないかい?」
「……わからん。我は負けた。負けた後に死んでいないなど、考えたことがなかった……だが、すくなくとも、我の手元には、自決するための剣は残されていない」
警鐘の響く中、疲労に震える手をじっと見つめて、牙の魔女トゥーシアはつぶやいた。
次回更新16日20:00予定です。




