その6 陸地を目指そう
一夜明けると、水竜の甘露のおかげもあってか、アルミラはすっかり元気になっていた。
朝一番からくう、とお腹を鳴らしたので、魚の塩漬けを出して朝食にする。
「すみません。貴重な食料を……」
「いや、これたぶんアルミラが乗ってた船のだし、こんな時に遠慮とかいらないよ」
促すと、アルミラは遠慮がちに食べ始めた。
子猫が干し魚をかじかじしてる姿はとてもかわいい。
――あとで新鮮な魚もあげよう。
そんなことを考えながら塩漬け肉をかじってみたけど、やっぱり固い。
それにおいしくない。保存食だから当たり前といえば当たり前だけど……ドラゴンの肉が恋しい。
のどが渇いたので、タルから水をくむ。
例によって水竜の甘露だ。アルミラはものすごく申し訳なさそうにしていたけど、どれだけ貴重でも、この島の真水はこれしかないので遠慮しないでほしい。
「ごちそうさまですわ」
食事を終えると、アルミラといっしょに外に出た。
ドラゴンハウスの全景を見て、アルミラはぽかんと口を開く。
「本当にドラゴンと水竜……夢じゃなかったんですのね……」
「納得してくれた?」
「……ええ。でも、この目で見ても信じられません。水竜アルタージェが、相討ちとはいえ、討たれるなんて……この風竜、よほど強かったんですのね」
「風竜?」
尋ねると、アルミラはこくりとうなずく。かわいい。
「ええ。羽に風を帯びる翠緑のドラゴン。間違いなく風竜ですわ」
「ああ、なるほど、それでこの服もふわふわしてるのか」
「……よく見るとそれ、風竜の皮膜ですの?」
気のせいか子猫は驚愕の様子。
「そうそう。ここに投げ出された時、素っ裸だったからさ。服が欲しくて、こんな感じに」
「こんなところで、よく加工出来ましたのね」
「いや、最初は刃物もなくて困っててさ、それで、ドラゴン――風竜の爪を使って切ったんだ」
「風竜の、爪を使って……?」
子猫がものすごく怪訝な顔になる。
「うん。これ」
風竜の爪を見せる。
持ち手に風竜の羽の皮膜を巻いていて、ちょっと文明の利器っぽくなってる。
「死んでるとはいえ……風竜の固い鱗から、よく爪が取れましたわね――ああ、竜同士が争ってる時に折れたんですのね?」
なんだか勝手に納得する子猫。
いや、もう片方の腕の爪を使ってぶちっと千切ったんだけど……ひょっとして、それも普通の人間じゃ不可能なことなんだろうか。反応見るに、そんな感じっぽい。
「これだけでも一財産……というか一国の重宝クラス……こんな絶海の孤島じゃ財産的な意味なんてありませんけれど」
「あ、やっぱり高いんだ」
「風竜の鱗の一枚でも持って帰れたなら、10年は遊んで暮らせますわよ」
思いのほか高価だった。
一枚が金貨一枚とか、そんなレベルで考えてたんだけど。
まあ、この世界の金貨一枚がどれくらいの価値なのかなんて知らないし、そもそもこの世界の文明に、まだ触れてさえないんだけど。
「へえ……」
「もっとも、売り捌くルートが無ければ、宝の持ち腐れですけれどね」
「ああ、そりゃそうだね」
納得してうなずく。
「――伝手も信用もない人間に、風竜の鱗なんか持ってこられても、商人とか貴族だって困るだろうしね。偽物は論外として、たとえ本物でも、盗品だったりなにか問題あったりするかもしれないし……どしたの?」
アルミラが、信じられない、って風に目を見開いてる。
「いえ、ちょっとびっくりしまして」
「びっくり?」
「その、タツキさん、ちゃんと頭が回るんですのね、と」
そんなに馬鹿に見られてたのか……まあ、言動も格好も野蛮人なのは否定できない。
とはいえ、失礼にもほどがある。おしおきの時間だ。
「――ってい! おしおき!」
「ふぎゃーですわ! なにをなさいますの!?」
脇を抱えてぶらん、とぶら下げると、子猫が全力で抗議する。かわいい。放してやる。
アルミラは尻尾をぶわっと膨らませて怒った。
「む、胸! 胸を触りましたわね!? 破廉恥ですわ! タツキさんは破廉恥ですわ!」
猫相手に破廉恥とか言われても反応に困るけど、そこは文化の違いなんだろう。
ごめんなさいしたけど、アルミラはしばらく尻尾を膨らませたままだった。
◆
「そういえば、アルミラ、船に乗ってたんだよね?」
アルミラの機嫌が戻ったので、私は気になってたことを尋ねることにした。
「ええ。嵐に遭って船ごと沈んじゃいましたけれど」
「どっちの方角から来たかってわかる?」
「ええと、今が朝で、太陽がこちら、ということは……だいたいあちらの方角ですわね」
そう言って、アルミラが前足で指し示したのは、ちょうど昨日、嵐が来た方角だ。
「おお、あっちの方角……船でどれくらい?」
「順調にいって5日ってところですわ」
えーと、船ってどれくらいで進むんだっけ?
計算しやすいように時速5キロって仮定したら……丸5日で600km?
「それってむっちゃ遠くない?」
「まあ、昔からの処刑地ですし……」
「処刑? ああ、近くまで連れて行って、小船かなにかに乗せて流したら、あとは水竜が始末してくれるって感じか」
「ですわ」
ふむ。と考える。
昔からこのあたりを行き来してたってのなら、距離は離れていても、船の航行にそれほど難があるわけじゃなさそうだ。
というか海流の流れに任せてると、この岩礁に流れ着くってのなら、ここが航海の難所そのものか。どの道、戻るのはそんなに難しくないと見た。
「でも、船で5日か……泳いで陸に行くとしたら、何日かかるんだろう」
正直、いまの私は下手な魚よりも速い自信がある。
といっても、船みたいに24時間休みなしで動けるわけじゃないから、それなりに日数はかかるだろうけど。
「泳いで? やめた方がよろしいですわよ? 水竜を避けて、生贄の祭壇には近づきませんが、近海には人食いの巨大魚も居りますし」
「人食いの巨大魚?」
「ええ、銀の鱗で、人間より二回りは大きくて、鋭い歯を持ってる……」
あれ? それって私が常食してる魚では?
水竜が死んだから、この岩礁にも近づきだしたんだろうけど……あれ、そんなに物騒な生き物だったんだ。
いま明かされる衝撃の事実だ。
「まあ、木材が流れて来てるし、それで小船を作ってもいい。とにかく、なんとかこの島から脱出したい」
「それは、わたくしもですわ。食料も、いつまでもあるわけじゃありませんし……」
いや、それは魚を獲るので大丈夫です。
「じゃ、あらためて……二人で協力して、ここを脱出しよう。よろしく」
「海のこと、船のことなら、お力になれることがあると思いますわ。よろしくお願いいたしますわ」
私が差し出した手に、アルミラがちょこん、と前足を乗せる。
お手をしてるみたいだ、とか言うと怒られそうなので、黙っておこう。