その52 フカヒレを食べよう
さて、アトランティエ王国執政エレイン王子と、青の都市ライムング太守イザークの嫡子マルコイの、穏やかながらしぶとく行われた政治的な綱引きを、静かなるファラオのポーズで見つめる仕事も、無事終わった。
水の都と青の都市。
アトランティエ王国の中核ががっちり手を組んでる状況で、他の諸侯にできることってあんまりない。
もともと水の都アトランティエは、西海に良港を持ち、大河クーの水運をも支配する物流の一大中心地だ。
沿岸諸都市はことごとくその恩恵に与っていて、まず頭が上がらない。大河クー沿いの諸都市も同様だ。
そして、水の都は陸運の起点でもある。
都市機能が死んでた頃ならともかく、十全な機能を取り戻した水の都に逆らえる諸侯など、ちょっと考えられない。
「あるとすれば、他の大国からの干渉によって、ですが、これもいまは考えなくていいでしょう」
と、エレインくんは説明してくれた。
「西部諸邦は群小国家の集まりですが、それでも大国と呼ばれる国が三つ存在します」
曰く。
ひとつは、大河クーと、その南部に広がる平野を支配する、アトランティエ王国。
もうひとつが、七つの群島を中心に、北の海を支配圏とする海洋国家、ユリシス王国。
そして、最後のひとつが、ローデシア。
大河クーのはるか北、ウラの山脈を背に広がるローダ平原を支配する、火と鉄の国。
「えーと、アトランティエと、ユリシスと、ローデシア……ああ、たしかにユリシスは、こっちに干渉とか無理だよね」
ちょっと納得した。
王子様もこくりとうなずく。
「ええ。ユリシスは守護神獣アートマルグを失っており、他国に干渉する余裕などありません。ローデシアからの干渉が一番怖かったんですが……不気味なほど静かです」
「不気味なほど?」
「ええ、もともとローデシアはユリシス同様、拡大志向の覇権主義国家です。隙あらば他国に干渉し、兵馬を用いることも少なくない。それが、今回動いた形跡がない……不気味でしょう?」
「たしかに」
「もっとも、相手がいつ腰を上げるかわかりません。ローデシアに対抗するためにも、早く国内をまとめる必要はあるんですが」
まあ、こんな事情もあって、王子様は即位に向けて忙しい。
そんななか、私はエレインくんに断って、クレイジー料理人ロザンさんの店を訪れた。
目的は、もちろん――フカヒレを、食べるためだ。
◆
「いらっしゃいませ――っ!?」
店に入ると、顔なじみの給仕さんが絶句した。
うん。めいっぱいおめかししてきたからだと思います。
――美味しい料理を食べるために、気合い入れて来ました!
自信たっぷりに勝利のポーズをするけど、給仕さんは反応してくれない。
「おーい、大丈夫ですか?」
尋ねるけど、答えてくれない。
完全に放心しちゃってる。そしてちょっと頬が赤い。
「――あ、はい。失礼いたしました! すぐに案内いたします!」
お、給仕さん再起動。
うん。食環境にまでこだわるクレイジー料理人が選んだだけあって、居てくれるだけで幸せになりそうな、いい感じの美人さんです。
それから、個室に案内される。
今回いっしょに来たのは、ユリシスの女勇者、ファビアさんだけだ。
アルミラさんとリディちゃんは来なかった。というか、アルミラさんが止めた。
「食事をしてる時のタツキさんは、リディの琴線に触れまくりますので、連れていくわけには参りませんわ!」
とは、アルミラさんの主張。
それを聞いてリディちゃんはよけいに行きたそうにしてたけど、食事の邪魔なのでお休み。
アルミラさんも、一人で置いて行くのもかわいそうだということで、いっしょに残ってくれた。
ファビアさんも、無理してついて来ることないんだけど、「守護神鮫アートマルグの最後を見届けたい」というので、いっしょに来てもらった。
待つことしばし。
クレイジー料理人ロザンさんが、笑顔で部屋にやってきた。
「ひさしぶりだな……待たせたな、女神様よ! 料理は出来てる! 最高の料理を食べさせてやるぜ!」
なんだか牙がさらに尖ってる気がするけど、いつものことですね。
「うん! 楽しみにしてる!」
わきだすつばを飲み込みながら、私は笑顔で言った。
フカヒレ!
スーパーフカヒレタイムの始まりです!
◆
最初に運ばれてきたのは、フカヒレのスープだった。
澄んだ淡黄色のスープに、緑の香草っぽいもの。それに、フカヒレを刻んだっぽいものが入ってる。
本来わざわざ刻む必要なんてないんだろうけど、このフカヒレは、体長50mはあろうかって巨大ザメのものだ。ヒレの繊維一本一本が、無駄に巨大なんだろう。
まずは一口、味見。
ひと匙すくって口に入れる。
「――あ」
美味しい。
澄んでるのに、濃厚で力強い味。
以前味わったことがある。これはスッポンのスープだ。ただ、記憶にあるそれより濃厚で、ずっと旨味がある。
ごくり、とつばがわく。
もうひと匙、今度はフカヒレと一緒に、口へ。
「――っ!」
うまい。美味しい。
つるりとした食感のフカヒレは、スッポンのスープを十分に吸ってる。
そして、わかった。スッポンに濃厚な旨味を加えていたのは、フカヒレ自身の旨味だ。
フカヒレというと、それ自身には味がないイメージがあるけど、守護神鮫アートマルグの魔力のせいか、独特の透明感のある旨味がある。フカヒレとスッポン、双方の旨味が複雑に絡み合っててやばいおいしい。
やばい。止まらない。
あっという間にスープを平らげる。
――ああ、たったこれだけなのに、すっごい満足感……
うっとりしてると、ファビアさんがちょっと引き気味に私を見てる。
おいてけぼりにしてごめんね!
続いて出てきたのは、変なものだった。
皿に、葉物といっしょに美しく盛りつけられた透明な、おそらくはフカヒレの薄切り。
添えられたソースには、細かく切った、ごく小さいネギみたいなものが入ってる。ちょっと味見してみると、ぽん酢に似た感じだ。
「フカヒレの刺身でございます」
給仕さんが紹介してくれた。
やばい。もう名前だけで美味しそう。
フォークで突き刺して、ソースにつけて食べる。
「……美味しい」
キレのある美味しさだ。
つるりとして弾力のある、独特の食感。
あっさりとした酸味に、フカヒレの透明感のある旨味がぴったり合ってる。
やばい。止まらない。
澄んだ余韻に浸っていたいのに、本能が次を求めて手を動かす。
気がつくと、フカヒレの刺身は皿から消えていた。無我夢中だった。
「続いては、本日のメイン。フカヒレの煮込みでございます」
「おお!?」
給仕さんが運んできたものに、私は思わず声を上げた。
巨大な皿に入っているのは、たった一本のフカヒレの繊維。
私の腕ほどのフカヒレの繊維は、ぐるぐる巻きになって皿に収まってる。
煮込み汁は、白く濁ってて、それにとろみがついてる感じ。添えられた翠緑の菜が彩りを添えている。
――見た目はとてもきれいだけど、どんな味なんだろう。
匙を入れると、フカヒレはほとんど抵抗なく切れる。
それを口に入れた、瞬間。
「――んんんんっ!!」
圧倒的な味の奔流が、口の中で巻き起こった。
なにこれ。
なにこれ。
さっきの二品と比べても完全に別格だ。
大皿に縋りつく。
匙ですくって食べる。
それだけの行為を、ただ繰り返す。
気がつくと、大皿からフカヒレの姿は消えていた。
「……ふあ……き、給仕さん、これは」
びりびりと、痺れるような幸福感に陶然となりながら、なんとか尋ねる。
「は、はい。フカヒレを、鮫の骨から取った出汁で煮込んでとろみをつけたものです……」
なぜか顔を赤らめながら、給仕さんは答えてくれた。
しばし、味の余韻に浸って。
というか本気で腰が抜けたみたいになってしまって、小休止。
それから、フカヒレの粥。
最後に、フカヒレの甘いスープ。
フカヒレづくしのフルコースを、私は腰砕けになりながら完食した。
料理の感想を聞きに来たロザンさんに、なんとかサムズアップで応えて……それから、長い間椅子にもたれかかっちゃってた。
ほんとうに、ごちそうさまでした。




