その5 子猫がうちにやってきた
「……ねこ?」
タルの中にいたのは、猫の子供だった。
気を失ってるのか、底に敷かれた白い布の上で丸まって、ピクリとも動かない。
「まさか死んでないよね?」
抱え出して、地面に寝かせる。
浅く呼吸してるのを確認して、ほっとした。
それにしても、びっくりするほど奇麗な猫だ。
しなやかな体つき、整った造作。茶褐色の毛並みはふこふこで、思わず撫でてみたくなる。
「う、うーん」
子猫がうなった。
猫らしからぬうなり声だ。
というか人間ぽい声だ。それも女の子の。
「――はっ、ここは……どこですの!?」
ぱちりと、目を開いて。
子猫はそんなことをつぶやいた。
びっくりして固まっていると、子猫はあたりを見回して……
「はうっ!? ですわ……」
そびえ立つドラゴンハウスを見て気絶した。
妙な沈黙が流れた。
猫が人間の言葉をしゃべったとか、わりと衝撃的だったけど、まあ置いておこう。
いろいろと聞きたいことはあるけど、猫はしばらく起きそうにない。
放っておくのもあれだし、ドラゴンハウスで寝かせておくことにした。
◆
猫が起きるまでに、私は岸辺で漂流物の再確認をする。
「船の残骸は……なにかに使えるかもしれないから、岸に上げといて……あ、果物の干物だ。入ってたタルが割れたのかな?」
ふよふよと漂っている、干からびたリンゴっぽい果物を拾い上げ、食べてみる。
ほのかに甘い。けど固い。
おまけに海水に浸かってたからしょっぱい。
食べられなくもないけど、美味しいものじゃない。
「……まあ一応、回収回収」
浜辺に漂ってる干しリンゴを、全部岸に上げる。
中には齧られたようなものもあった。たぶん魚の仕業だ。
「あ、木のコップ見っけ! 皿も! それから……」
海流の関係か、船からの漂流物がかなり流れ着いてる。
とりあえず全部岸に上げてると、漂流物狙いの魚に食いつかれたので、朝ご飯を調達する手間が省けた。
齧りつかれたのに傷一つないどころか、痛みすらなかったから、ふと見たら左足が魚に呑まれててびっくりした。
「さて! 今日の朝ご飯はいつも通り、お魚さんですが……」
ウキウキしながら虚空に向かって解説する。
「――本日の素材には塩があります!」
肉とか魚の塩漬けには、塩がごそっと詰まってる。
つまり、魚に塩を添えることが出来るのだ。
「……あれ? それって今までとあんまり変わってない?」
これまでも、魚単品で物足りなかったら、海水につけて食べてた。
「……まあ、調味料を使えるってだけでも料理っぽさはあるし、文明感あってオッケー! 魚はいつも通りぶつ切りしただけだけど!」
ドラゴンの鉤爪で魚を雑に捌き、かじりつく。
「あ、お酒があったんだっけ……ま、水もあるんだし、今はいいか」
もぐもぐと魚の切り身に塩を振りながら食べる。
いつもよりすこし美味しい気がする。
「それにしても、コップに皿か……一気に文明っぽくなったなあ」
岸に並べた収穫物を見ながら、満足。
そしてまた、いまさらながらに気づく。
「よく考えたら、せっかくコップとか皿があるんだから、使えばよかったんじゃ……」
完全にいつものノリで食べてた。
あっちじゃ手づかみなんて、やったことなかったのに……慣れるもんだ。
「ごはん食べたら……ああ、水竜の水、タルに移しとこう。あの子猫、水竜怖がりそうだし」
幸い、子猫が入ってたタルが空だ。
飲み水を溜めておくのにちょうどいい。
昨日の雨のせいか、水竜の中には大量の水が溜まっていて、タルはほぼ満杯になった。
「しかし、人間の言葉を話す猫かあ……本格的に異世界だなあ」
まあ、ドラゴンや水竜の時点でいまさらけど。
「でも、言葉が通じるってのは大事だな、うん。こっちの世界のこと、いろいろと聞けそうだし」
そう思えば、子猫の目覚めが待ち遠しい。
作業も終わって手持無沙汰になったので、ドラゴンハウスに戻って子猫が目覚めるのを待つことにした。
◆
子猫は、昼過ぎに目を覚ました。
そばで寝ころんでぼうっとしていると、ふいに子猫が「ううん」とうなって目を開く。
「ここは……さっきのは夢……でしたの?」
「あ、気がついた?」
声をかけると、子猫は不思議そうに首を傾ける。
「……女神様?」
……おう、私のことか。
あんまりな言葉だったから、一瞬気づかなかった。
というか、やっぱりいまの私、相当な美少女か。
そして私を女神って呼ぶってことは、人間的な姿をしたものは、こっちにもいるっぽい。
というか、やっぱり言葉通じてる?
通じてはいるけど、子猫が日本語を喋ってる感じでもない。
なにか不思議な感じがするけど、ともあれ今はありがたい。
「女神じゃない、人間だよ。きみは、乗ってた船が難破して、島に流されてきたっぽいんだけど……大丈夫?」
一応、相手が人間のつもりで話しかける。
人のかわりに猫が文明築いてます、とかありそうだし。
「はい。大丈夫、ですわ」
子猫は言ったけど、体を起こす時、痛そうだった。
実はあんまり大丈夫じゃないのかもしれない。
「――そう……わたくし、あの嵐で海に投げ出されて……ここは? 生贄の祭壇の近くですの?」
「生贄の祭壇?」
耳慣れない言葉に、問い返す。
「水竜アルタージェの棲みかですわ」
子猫の説明でピンと来た。
けど、念のために尋ねる。
「水竜アルタージェって?」
「西海に巣食う巨大な水竜ですの。海流の関係で様々な物が流れ着く海の吹き溜まり――生贄の祭壇と呼ばれる岩礁を棲みかとしているのですが」
ああ、やっぱり。
間違いない。確定だ。
「たぶん、ここが生贄の祭壇……だと思う」
私の言葉に、子猫は尻尾をぴーん、と立てた。
「なんですって!? でしたら、のんびりしてる時間なんてありませんわ! 早く逃げてくださいまし!」
子猫は、てしてしと私の膝を叩いて急かす。
自分のことはいいんだろうか、という素朴な疑問はさておき。
「とりあえず、水竜に襲われることは絶対にないから、ちょっと落ち着こう」
「……絶対に、ない……ですの?」
子猫が怪訝な様子で首を傾ける。かわいい。
「理由を聞かせてもらっても、よろしいですか?」
「うん」
と、うなずいて。
どう説明したものか、すこし考えてから……めんどくさくなって結論だけ伝える。
「水竜、もう死んじゃってるから」
子猫は目をまんまるにして、驚いた様子。
「……え? あ、冗談ですわよね?」
「冗談じゃないよ。外に骨と皮だけ残ってる。信じられないなら確認すればいい」
「え……」
「私も、ここに流れ着いた口なんだけど、その時にはもう、別のドラゴンと相討ちになってた。ちなみにこのテント、ドラゴンの骨と皮……どうしたの!?」
子猫が、急にこてん、と転がってしまったので、あわてて助け起こす。
「大丈夫ですわ……ちょっと気が抜けてしまって……」
「疲れてるんだと思う。ここは安全なんだし、ゆっくり休むといいよ」
「はい……そうさせてもらいますわ……」
「あ、そうだ。ノド乾いてない? 水飲む? 汲んで来ようか?」
「ありがとうございます。できればすこし、分けていただけると……」
思いついて尋ねると、子猫は弱々しく返した。
急いでタルから一杯、水竜の水を木の皿に汲んで、子猫の前に置く。
「ありがとうございますの」
ぺこりと、頭を下げてから、子猫は水に口をつけた。
「甘い……? それに、気のせいか体の痛みがすこし楽に……」
「そう? 水竜の抜け殻にたまった水だからかな――ちょ!?」
子猫がいきなり咳きこんだので、びっくりした。
「ごめんなさい、びっくりして……水竜の甘露だったんですの!?」
「甘露? よくわかんないけど、痛みが取れるのならもうちょっと飲む?」
「いえ! こんな貴重なもの、これ以上は!」
子猫はあわてて断る。
心なしか、かなり必死だ。
遠慮することないのに、と思うけど、子猫の反応を見るに、そうとう貴重っぽい。
「……あらためて、ありがとうございます。わたくしはアルミラと申します。水の都の出身ですの」
人心地つくと、子猫――アルミラは、そう言ってぺこりと頭を下げた。
水の都。
猫が都を築いてるのか。
猫パラダイスを想像しながら、うなずく。
「うん。よろしく、アルミラ。私は……えーと、もしかして、きみからしたら、すっごく奇妙な名前に聞こえるかもだけど、タツキっていう」
「タツキ……たしかに西部諸邦では聞かない名前です」
「うん。ずっと遠くから来たから。まあ、おなじ場所に流れ着いたよしみってことで、よろしく」
「よ、よろしくお願いしますわ。タツキさん……」
アルミラは、すこし照れた様子で私の手を取った。
微妙に、視線が下半身に向けられてる気がする。
やっぱり、このひらひらめくれ上がる貫頭衣はどうにかした方がいいのかもしれない。