その47 神牛さんと戦おう
金だ。
と、思った。
深紅の体毛、漆黒の角、赤い眼の中で、唯一瞳だけが、金色に輝いている。
怒りをたたえた金色の瞳が照らすは、ただ一点。
私の隣に立つ、純白の神鳥は、神牛より注がれる視線を、まっすぐに返している。
「あの忌々しいアトランティエが死んで、怯えて領地に引きこもっているかと思えば……臆病者の貴様が、よくわしの住処まで来れたものだな、神鳥ドルドゥよ」
「言ってくれるな、このノロ牛が、であーる! わざわざ出向いたのは余の本意ではないが、ここで会ったが200年目、今日こそは長の因縁に決着をつけてやる、のであーる!」
バサッ、と、両の翼を広げて、神鳥ドルドゥは小山のごとき神牛を威嚇する。
蟷螂の斧、って言葉が思い浮かんだけど、いま言うと場の空気に取り返しのつかないダメージが行きそうなので、黙っておく。
「ほう? 言うではないか。自信の元は、そこの小さきものか? ドルドゥよ」
金色の視線が、こちらを向く。
はるか頭上より落とされる、私の体よりも大きい眼球から発せられる視線の圧は、普通の人ならそれだけで圧死しかねない。
「……ふん、この忌々しい霧。アトランティエの権能を我がものとしておるか」
「……権能?」
「だぁが、ぬるい、ぬるいなあ!」
神牛が、口を開く。
深紅の口蓋から漏れていた陽炎が――炎にとって代わる!
「コケーッ!」
ドルドゥが翼を広げて鳴いた、刹那。
紅蓮の津波が、唸りを上げながら殺到した。
周囲の霧は、炎熱の前に散って、かわりに猛烈な陽炎が立つ。
揺れる世界の中で、赤の神牛は勝ち誇るように、天に向かって吼えた。
「そのような脆弱な霧、我が炎の前には無力よ!」
「――なるほど」
神牛の言葉に応えるように、つぶやく。
間一髪、ドルドゥの風の結界が間にあった。
背後にあった草原は、かなりの範囲が消し炭になってる。霧がなかったら、炎は外延部の山にまで届いていたかもしれない。
「ふん、お荷物を抱えてきただけではないか? ドルドゥよ」
「そんなことはない! はずであーる!」
焼き鳥さんは、言いながらちらちらとこちらを見る。
いや、大丈夫だから。
「じゃあ、こっちも小手調べといこうか。霧――だと、消されそうだから……音だ! “あ”ーっ!」
「あ」の声とともに、破壊の咆哮を放つ。
見えざる音の衝撃波は、神牛の巨体を揺らす。
「効い――てないね、これは」
言いかけて、頭をかく。
一瞬よろめいたものの、赤の神牛はピンピンしてる。
「耐久力はんぱなさそう」
「そこがガーランの厄介なところなのであーる! 余の蹴爪が何度あ奴の体を抉ろうと、余の権能が何度直撃しようと、けっして倒れないのであーる!」
「焼き鳥さんの権能って? というか権能って?」
「権能とは司る力であーる! 我々幻獣が持つ魔力に色濃く残る、根源的性質! 存在そのものが触媒となるような属性を、そう呼ぶのであーる! ちなみに余の権能は“音”であーる!」
「音……」
「ちょ、なんでもの欲しげに余の方を見るの!? そっちには食してよいものなんて、なにひとつありませんよ!? コケーッ!」
そんなことを話していると、いきなり赤の神牛ガーランの口が輝いた――マズっ!?
「霧よ――守れっ!!」
以前アルミラがやっていた、霧による火炎防御魔法。
それを、ありったけの力で発動させる。
直後、炎が霧の壁に衝突した。
「ギャワワワッ! であーる!?」
焼き鳥さんが悲鳴を上げた。
分厚い霧の壁が、見る間に目減りしていく。
先ほどの炎とは比べ物にならない高温だ。直撃すれば焼き鳥さんの風の結界でも安全じゃない。
「このままじゃじり貧! なら――霧の吐息!!」
防御では間に合わない。
だから、霧の盾を攻撃に転化する。
膨大な衝撃力を秘めた、霧の一撃。
それは炎を押し返し――神牛の口蓋にぶち当たった。
「ぐおっ!?」
たまらず身をのけぞらせる神牛。
チャンスだ。
もたもたしてると危ない。ここは一気に決める。
ネックレスに念じて、風竜の爪を取り出す。
爪に、全力で魔力を込め――唱える。
「大気の刃……空破断!」
風竜の爪を振り上げて、大上段からの一撃を放つ。
風の刃は、狙いたがわず神牛を真っ二つに切り割いた。
――はずだった。
赤の神牛の姿が、突如揺れて消える。
すこし離れた場所に、神牛は平然と立っていた。
「ダウの火山を割るとは……なるほど、油断ならぬ」
大気の刃の威力に、神牛が唸る。
どういうことだ。
私の呪文は、たしかに神牛を割ったはず。
「陽炎であーる! 陽炎による目くらましは、あ奴の得意技、気をつけるのであーる!」
「先に言ってよ! 切り札見せちゃったよ!」
「言う間があったか? であーる!?」
ネックレスから水竜の甘露を直飲みして魔力を回復させながら、私は悲鳴を上げる。
そうしながら、焼き鳥さんを抱えて空へ。目くらましがあるんじゃ地上に居たら危険だ。
「待てっ! 小さくなるのであーる!」
羽根をつままれて、悲鳴を上げた焼き鳥さんが小さくなった。減った。悲しい。
「逃がさんぞ!」
神牛が吼える。
炎が、私たちめがけ、怒涛となって押し寄せてくる。
それを全速移動で避けると、こんどは思わぬ方角から炎が飛んできた。
陽炎で位置を誤魔化してるのが厄介極まりない。
断続的に押し寄せる炎の波をなんとか避けながら、考える。
――とにかくあの陽炎が厄介だ。
実体の場所を特定できない。
空破断を見せちゃった以上、相手も警戒してくる。なら、ますます当たらない。
――まず、陽炎をなんとかするしかない。
決める。
そのためには、水じゃ駄目だ。
地に揺らめく陽炎を、消し飛ばすもの。それは。
「……風よ」
唱える。
大気を、かき乱すイメージ。
暴風で、このダウの台地を蹂躙するつもりで……魔力を込める。
「吹き乱れろ!」
瞬間。
暴風が、爆発的に膨れ上がった。
「おおおっ!?」
途方もない暴力的な風が、一帯を吹き荒らす。
陽炎はかき消され、神牛の位置がはっきりと見えた。
――今だ!
霧を、生み出す。
全力で、魔法を行使する。
その様を見て、赤の神牛ガーランは――笑った。
「隙が大きすぎるぞ、小さきものよ!」
ガーランが跳んだ。
その足に、炎が巻きつき火輪を形づくる。
驚き、思わず身を固める。
そうする間にも、神牛の巨大な口は、私の間近に――
◆
破滅的な衝突音とともに、神牛の口が閉じられる。
神牛ガーランは、にい、と、口の端をつり上げた。
「これが、神鳥ドルドゥとて知らぬ、わしの奥の手よ」
「……だろうね。あの巨体でまさか、という心理の虚をつく裏技。あるとわかってれば対策は難しくないから、まさに初見殺しの奥の手だ」
声を聞いて、神牛の満足げな表情が、驚愕の色に変わる。
「――貴様!?」
生み出した霧をかき分けるように、私は姿を現した。
別に、タネってほどのことじゃない。
神牛に食われたのは偽物だったってだけのこと。
霧を産みだすと同時に、それを隠れ蓑にして、タツキさんフィギュアを造り出して入れ替わっていたのだ。
奥の手の空破断を見られてたので、今度は不意を突かないと大技は喰らってくれないだろう。
そう思って用意したんだけど、まさか神牛にあんな奥の手があるとは。ちょっとやばかったけど、結果オーライだ。
「偽物相手に御苦労さま! 今度はこっちの番!」
「猪口才な!」
風竜の刃を手に飛ぶ私。迎撃する神牛。
それを、邪魔するように。霧の中から複数の影が飛び出した。
タツキさんフィギュア計七体。全部に風竜の爪を持たせる大盤振る舞いだ。
「――!?」
驚きに身を固める神牛。
ぎょっとして、動きが止まった。
――この瞬間を、狙ってた!
刃にありったけの魔力を這わせて、神牛の懐に飛び込む。
「喰らえ――空破断!!」
「おのれっ! 守護神鮫の“軍勢”だと!? 貴様あああっ!!」
至近からの横薙ぎの一撃は、神牛の首を――両断した。
「赤の神牛ガーラン、獲った!」
勝利の叫びを上げる。
巨大な神牛の首が、重い音を立てて地に落ちる。
赤い体毛で覆われた巨体は、火輪の魔法に支えられ、しばらく宙を浮いてたけど、それもやがて尽きて、ゆっくりと地に落ちた。




