その32 王子様と相談しよう
復興著しい水の都アトランティエ。
その政務を担う、アトランティエ王国の王子様、エレインくんの執務室に私が押しかけたのは、日が傾きはじめたころだった。
「ただいまー!」
政務の合間を縫ってうとうとしてたのか、私が声をかけると、王子様はびくっと肩を震わせた。
「これは、タツキ殿、どうされたのですか?」
「うん。ちょっと海で魔法の練習してたらね……いろいろあった!」
「いろいろ……と、ああ、くわしく聞かせていただきましょう」
猫のアルミラの、妙に疲れ切った様子を見て、王子様は菩薩の笑みを浮かべて尋ねてきた。
なぜだかわからないけど、まるで悟りを開いたみたいな微笑だった。
◆
というわけで、エレインくんに一連の事件を報告する。
ユリシス王国の軍船が近くまで攻めて来てたこと。
知らずに乗り込んじゃって、占領して事情を聞いてると、守護神鮫アートマルグが出てきたこと。
アートマルグが西海制覇をもくろみ、ユリシス王国の兵を率いて水の都を手に入れに来たらしいこと。
そして、守護神鮫アートマルグを倒して、ユリシス王国の勇者を捕虜にしたこと。
一通り、話を聞いて。
王子様は、にっこりと微笑んだ。
「いろいろと、頭の痛いところはありますが……ひとまずお礼を。ありがとうございます。これで、格段にやりやすくなりました」
がっしと手を握って、ぶんぶんと上下させる王子様。
「ちょ、エレイン! なにタツキさんの手を勝手に握ってますの! 去勢しますわよ!」
アルミラがエレインくんの股間に向けて、執拗にシャドーボクシングしてる。
猫なのは、服を破っちゃった私に自分の服を貸してるからで、攻撃力を高めるためじゃありません。
「待て姉貴これはあくまで感謝の表現であって下心とかは別にだな――というか未婚だし子供もいないのでまだそいつには未練があるから勘弁してくれ!?」
だんだん近づいて来るアルミラに、全力で謝る王子様。そこに威厳はない。
「やりやすくなった、ってのは?」
私が尋ねると、王子様は救いの手を差し伸べられた子犬みたいに顔を輝かせた。
「それはですね、タツキ殿。いままでボクは、血筋とタツキ殿の後ろ盾をもってこの都市を治めてきた。ほとんどそれだけで、です」
「うん、知ってる」
王子様の説明に、こくりとうなずく。
水の都崩壊当時の王子様に、政治力やコネなんてなかった。
他の王族が一人でも生きてたら、かなり揉めてたに違いない……正直罰ゲームだし、当人同士は納得してても、周りはそれをダシにして騒ぎ出すからね、こういうのは。
まあ、それくらい基盤が弱体な王子様が、なぜ水の都っていう、河川利権とか港湾利権とかいろんな利権がごちゃっと混じったややこしいとこを治められてるのか。
その理由が、さきに上げたふたつ。
唯一生き残った王族っていう、血筋。
それに、私が後ろ盾になってるってこと。
「守護神竜アトランティエ様を討ったタツキ殿。その存在の大きさは、直に見れば誰もが納得せざるを得ない。ゆえに、水の都の有力者たちも、素直に私に従ってくれていた」
だけど、と、王子様は言葉を続ける。
「それは、タツキ殿を直に見ていない、都市の外の人間には通じない。ましてや他国には」
「まあ、伝聞だけじゃ、いまいち信じられないだろうしね」
こくこくとうなずく。
水の都が守護神竜に滅ぼされた。
王族は全滅して、唯一生き延びた王子が政務をとってる。
その後見は、守護神竜を討伐した絶世の美少女です。
こんなうわさとか報告が入ってきたら、私だったら、しつこいくらい事実確認をする。
ましてや、当の王子様が「都は滅びたけど新しい守護神みつけてなんとかやってます」、なんて言ってきたら、「なにいってんだこいつ?」ってなるに違いない。
「そこで、今回の一件です。実際、港でその光景を見ていた者も多い。アトランティエには、他国の守護神獣をすら屠る力がある。この事実は、早晩西部一帯に伝わる」
「ああ、あのサメ無駄に大きかったし、真っ二つになったとこも、バッチリみんなに見られてるだろうなあ」
「はい。これでもう諸侯から露骨に馬の骨扱いされたりすることもありませんし、他国から難癖つけられる可能性もがくんと減りました。タツキ殿が派手にやってくれたおかげです」
うむ。そう言われてみれば、なんだか私の行き当たりばったりな行動が、最適解っぽかった気がしてくる。偶然だけど。
「で、ボクとしてはもろ手を挙げて喜びたいところなんですが……タツキ殿、捕虜にしたというユリシスの勇者と話すことは可能ですか?」
やっぱり問題あったかな?
◆
エレインくんにお願いされて、ネックレスからユリシスの美少女勇者、ファビアさんを取り出す。
ネックレスの中で長時間放置されてたせいか、ちょっとぐてってなってたけど、まあ無事っぽい。
「……いっそ殺せ……」
なんだか命をあきらめてる感じになってるけど、なにが悪かったんだろう。
サメの開きとか水竜がぷかぷか浮かんでる環境が心に来ちゃったのかな?
「一応、魔力を封じておきますわね?」
アルミラが、とことことファビアさんの背中に回り込んで、黒水晶の護符を当てる。
「アルミラ、魔力封じとかできたんだ?」
「いえ、出来なくはありませんけれど、それなりに準備が要りますので、とりあえずはわたくしが刑罰の時に受けた呪いを移しましたの」
そういえば、獣化の呪いのほかに、そんなのも受けてたんだっけ?
ともあれ、それなりに無力化したところで、王子様がファビアさんに不敵な笑みを向けた。
「ユリシスの勇者よ。ボクがアトランティエの執政、王子エレインだ」
ちょっと威厳ある感じで声をかけるも、ファビアさんは無言。
「貴女が、今回攻めてきたユリシス軍の将、でよいかな?」
「……ああ、その通りだ」
苦しそうに、少女は返す。
「名は?」
「……ファビア・マクシムス」
「ほう? ユリシス王国に名高き勇者の一族、マクシムス家の御令嬢であったか」
「……アルミラ、有名な人なの?」
アルミラにこそっと聞いてみる。
「マクシムス家はマルケルス家と並ぶ勇者の名門。ユリシス王国の双璧ですわ」
「双壁……なるほど」
私はファビアさんの胸のあたりを見て、納得する。
その絶壁は、さながら万里の長城の風格だ。
「くっ――仲間が無事逃れた以上、これ以上の恥辱は受けん。殺すがいい……」
「殺さない」
と、エレインくんは笑う。
ファビアさんは苦しそうに眉をひそめる。
「なにゆえだ……」
「いまユリシスの戦力が減ると困るから、だな」
そう、王子様は答えた。
「ユリシスに名高き守護神鮫アートマルグが滅びたとなれば、王国の威勢は大きく減じられる。アトランティエに続き、ユリシスまでもが乱れれば、西部の均衡は大きく崩れて、あとは大乱一直線だ。業腹だが、ユリシス王国にはなんとしても踏み留まってもらわねばならぬ。王を欠いた不安定なアトランティエ王国には、いまだ大乱を生き延びる力はない故、な」
「ふざ……けるな!」
苦しげに、ファビアが叫ぶ。
「武門の栄誉を、武人としての矜持をなんと心得るっ! 人質の身に落ちてより、この命、とうに無きものと思えっ!」
「タツキ殿!」
「うん!」
ファビアさんは舌を噛み切ろうとしてる。
それを察して、エレインくんが声をあげ、私は素早く動く。
ファビアさんを仰向けに押さえこんで、むりやり指を口に突っ込む!
「ぐっ――ぐむ!?」
かなり力を入れてるっぽいけど、あいにく私は頑丈なので、指を噛み切ることなんてできない。
ファビアさんは、両手で必死に私の手――なぜか口じゃなくて、お腹を押さえてる方の手を引きはがそうとしてる。でも動かない。
「フー! フー!」
なにやら涙目になって叫んでるけど、テコでも動かない。
やがて、ファビアさんの体が、びくん、びくん、と震えて、くたっとなる。
原因は、すぐにわかった。
みんないろいろと察しちゃって、気まずい沈黙が訪れた。
ファビアさんがやけに苦しそうだった理由が、やっとわかった。
「その……ごめん……」
私は頭を下げる。
涙を流すファビアさんの股間からは、なま暖かい液体がちょろちょろと漏れ出していた。




