その19 ドラゴンと戦っちゃおう
風に乗って、軽やかに、地に足をつける。
モザイクが施されているのは神殿の床部分か。
崩壊した神殿のがれきは、神竜より放たれたであろう滝の様な水に、すっかり洗い流されている。
眼前には巨大な池。
神竜はそこから顔を出し、こちらに頭を向けている。
蛇を思わせる身体、青い竜皮、そして鋭く尖った口先。そのすべてが規格外に大きい。
――おいしそう。
じゅるり、と唾を飲み込む。
微妙に空気読めてない気がするけど、夢にまで見た竜の肉なので仕方ない。
「ひさしぶりだな、わが巫女よ」
と、神竜が口を開いた。
腹に響くような低い声だ。というか喋るのか。
食べるのに気が引けるから、できればもっと獣っぽくあって欲しいんだけど。
「守護神竜アトランティエ様」
アルミラが応じる。
水の都アトランティエ。守護神竜アトランティエ。
どっちが先なのかはわからないけど、竜の名前は都の名前と一緒らしい。
「――わたくしは、もうあなたの巫女ではありませんわ! それより、このありさまはどうしたことですの!」
アルミラの問いに、神竜は低く唸る。
「あの無礼な王室の輩は、古よりの盟約を違えた……こともあろうに、わしの巫女となった娘に手を付けよったのだ! 許せん! ゆえに皆殺しにしてやった!」
神竜が怒りに吼える。
ああ、やっぱりそれアウトだったんだ。
というか処女かどうか判断できるのか神竜。
ユニコーンか。ユニコーンなのか。
「そんな、なんということを……」
「巫女よ、ふたたび我が側に仕えよ。さすればおぬしだけは生かしておいてやろう」
アルミラさんはユニコーン判定セーフ。
私は心に深く刻みつけた……というのはさておき。
神竜の提案は、都を全滅させる意思の裏返しだ。
王室が働いた無礼の咎を、都に住むすべての者に及ぼす。
ひどいようだが、もともと神ってのはそういうものなんだろう。
アルミラは、神竜の提案に、微笑んで。
「それは無理ですわ」
スパッと断った。
「……なにゆえか」
「ともに在りたいと思う。わたくしにも、そんな方が出来ましたので」
アルミラは、本当にいい笑顔でそう言った。
神竜の視線が、こっちを向く。
それだけで、ものすごい圧力。
「……こやつか。混じりものの分際で、我が巫女を奪うかっ!」
神竜が咆哮する。
竜の憤怒が、爆音とともに肌を打つ。
怖い。
だけど、怖くない。
矛盾した感覚におかしさを感じながら、私は笑う。
「それは、勘違いだよ、水竜。欲しいのは、巫女なんかじゃない」
「なに?」
「キミに恨みはないし、その怒りも、キミからすれば正当なんだろう……けど、ごめん。私はそれよりキミが欲しい」
大義は、ある。
神竜から都を守る。そのために、神竜を滅ぼす。
人間側の視点で見れば、立派な大義であり、正義だ。
だけど私は、目の前の神竜に、嘘いつわりのない本音を告げる。
「私はキミを――食べたいんだ」
◆
「じゃあ、やろうか」
私は守護神竜アトランティエに微笑みかける。
神竜の怒りゲージはマックスだ。もたげた鎌首が、ものも言わずに襲いかかる。
「アルミラ、もうすこし離れて!」
宙に逃れながら、叫ぶ。
これから始まるのは、怪獣同士の対戦だ。
万が一巻き込まれたら、ひとたまりもない。
「タツキさん、どうか本懐をお遂げになって下さい!」
アルミラはうなずきながら空を駆け、距離をとる。
「小癪な……!」
神竜がこちらを見上げて唸る。
その全身から、霧が生じた。
膨大な量の霧が、神竜の前面に集まって――弾ける。
――これは、アルミラが使ってた……!?
霧が、爆発的に広がりながら、怒涛となって襲う。
竜の口から放たれたそれは、霧の吐息とでも呼ぶべきもの。
その衝撃と破壊圧は強大無比。地上に向けて使われていれば、水の都の街並みすべてを、たやすく薙ぎ払ってただろう。
だけど……
「……無傷、だと?」
神竜アトランティエが驚きの声を発した。
そう。霧の吐息を受けて、私の肌には傷ひとつついていない。
さすがに上着は吹き飛んで、風竜の貫頭衣だけになっちゃってるけど。
魔女オールオールの加護がなかったら、怪我くらいしてたかもしれない。ツンデレロリに感謝だ。
「効かないねえ。神竜様の力も、たいしたことないんじゃない?」
「抜かせ!」
地面に降りて挑発すると、激高した神竜は、長大な尾を振るってくる。
迫りくる、石柱のごとき巨大な尾に向けて、私は――拳を握りこみ、ぶん殴る。
「なっ!?」
爆音とともに、水竜の尾はパンチングボールのようにはじき返された。
「驚いてる間なんてないよ!」
間合いを詰め、両手を握り合わせながら、縦回転。
神竜の頭に拳の槌を打ちつける。
地面に叩きつけられ、悲鳴を上げる神竜に、蹴り――は、尻尾ではじき返された。
吹っ飛ばされ、空中をキリキリ舞いして、制止。
「――ふう」
息を吐く。
ガードした腕が痺れてる。
狩りは魚の魔獣で慣れてるつもりだったけど、さすがに神と呼ばれる竜だ。素手じゃとてもじゃないけど殺しきれない。
だから。
私は腰紐に挟んでいたドラゴンの刃を抜き払う。
それを見て、守護神竜アトランティエは目を見開いた。
「貴様……その爪は、風竜の爪か!?」
「そう。水竜アルタージェの命を奪った、必殺の爪」
「――あのアルタージェの命を!? まさか、まさかそんな!?」
動揺をあらわにした守護神竜に向けて、自由落下。
木の葉のように舞い落ちながら、狙うは竜の心臓一点。
心臓の場所は、あの強烈な美食体験とともに、脳裏に焼きついている。
「小癪な!」
水竜の口に、水が収束していく。
おそらくは、途方もない威力の吐息。だけど。
「――加速!」
風の加護に念じる。
体が、軋みをあげて加速する。
収束していく水の吐息は、紙一重で間に合わない。
「おおおおっ!」
一閃。
体ごと飛び込んだ刃は、神竜の背中から胸を貫く。
一瞬遅れて、血が、土砂降りの雨のように、あたりに降り注ぐ。
血の雨を、全身で浴びながら。
ぺろりと、刃についた血を舐める。
「ん……おいしい」
腹の底から震えるような甘美な味に、陶然となる。
やっぱり竜は美味しい。
その場でかぶりつきたくなる。
……少しくらいかじっていいよね?
てくてくと、神竜に近づいていくと。
「き、きさま……」
守護神竜アトランティエが、唸るような声を発した。
心臓を貫かれたはずなのに、すごい生命力だ。
その瞳には、いまだ怒りの炎が燻っている。
「貴様ーっ!」
神竜から霧の吐息がこぼれ出す。
――まずい! この位置だと街にブレスが直撃する!?
止める、と、とっさに決める。
それには魔法しかない。理屈はわかっていても、練習なんてやってない。
――それでもやるしかない!
集中する。
己の内にある竜の力に訴えかけて、本能の赴くままに。
「――るうおおおおおおおっ!」
叫ぶ。
口から発した音は、振動と破壊を秘めた音の吐息。
それが、街を蹂躙せんと放たれた霧の吐息を圧し――吹き散らす。
――破壊の咆哮!
その余波は、神竜アトランティエをしたたかに打ち――その命を、根こそぎ散らした。
「……魔法……なんとか相殺、出来た……」
今度こそ大丈夫だ。
腰を落として、安堵の息を突く。
魔法というよりドラゴンのブレスだったけど、たいした問題じゃない。
「タツキさん、ご無事ですの!?」
アルミラが駆けつけて来る。
私の無事を確かめて胸をなでおろし、それからアルミラは、神竜に、静かに目礼した。
なんだかんだいって、6年もの間仕えていた主だ。
冥福を祈りたい気持ちはあるんだろう。
「……タツキさん、ありがとうございます。神竜様を止めていただいて」
「私は食べたかっただけだよ」
掛け値なしの本音だ。
でも、アルミラは首を横に振る。
「それでも、タツキさんはわたくしと、水の都と、守護神竜アトランティエ様の名誉を、救ってくださいましたわ」
「なんか照れくさいからやめて。それもオールオールさんとの契約の内だよ」
照れ隠しに柄でもないことをつぶやくと、アルミラは顔をほころばせた。
「まあ、タツキさん、まるでオールオール様みたい」
ツンデレロリといっしょにされるのは心外です。