その15 ちょっとお風呂に入ってみる
アルミラがぼーっとしている。
ふらふらしながら宿に帰ってから、ベッドのすみにちょこんと座って、部屋の一角をながめたり、虚空を追って視線を移してみたり。非常に猫っぽい。
私は食事の前に湯をもらうことにしたので、上機嫌だ。
宿の人に尋ねられてはじめて知ったけど、有料でお湯が貰えるみたい。
ただのお湯じゃない。大きなタライに入ったお湯で、つまりはお風呂的なあれだ。肩まで浸かれるほどのお湯はないけど。
「らーららーらー」
鼻歌を歌いながら、お湯の到着を待つ。
やっぱり日本人としては、風呂は欠かせない。
ないものねだりだと思ってずっと我慢してきたけど、あるのなら構うことはない。多少贅沢でもこれから毎日、風呂に入るのだ!
と、踊っていると、宿の人がタライを持ってきてくれて、えらく気まずいことになった。気の毒な子を見る目は止めてください。
人が入れるほどのタライの中には、半分ほどのお湯。
湯気がホカホカと立ち昇っている。
わーい。
と、小躍りしながら服を脱ぐ。
風竜の貫頭衣も脱いでしまって、あっというまに素っ裸だ。
うん、あいかわらず白い。
そして全然垢じみてない。
どうなってるんだろう。
正直風呂に入る意味がない気がするけれど、風呂は日本人の心なので入らないわけにはいかない。
湯に、そうっと足をつける。
すこし熱めだけど、我慢できないほどじゃない。
というか、たぶん沸騰したお湯でも我慢できそうな気がする。
ひょっとして湯船に布を浸けて全身を拭く、みたいな使い方をするのかもしれないけど、私は遠慮しません。タライに直に浸かります。
タライの中で、あぐらをかく。
湯は腰まで届かないけど、それでも下半身をゆっくりと温める。
布を湯につけて、含ませたお湯で二度、三度と上半身を流す……あったかい。
「これぞ文化の極み……」
感動のあまり、口走る。
ついでに左ひざに右ひじを置いてみる。
「ロダン!」
「……なにやってますの……」
アルミラに見られていた。
心なしか視線が冷たかった。ちがうんです。
「というか、タツキさん、相部屋なのに断りもなく素っ裸になるのはちょっと破廉恥ですわ」
「ごめんなさい。お湯に浸かれるのがあんまりうれしくて……アルミラもどう?」
「あ、うれしいですわ。あとで使わせていただきますね?」
「了解……もう上がるから、用意してて」
立ち上がって、清潔な布で丁寧に体を拭いていく。
貫頭衣を着こむと、そよ風が気持ちいい。
「では……タツキさん、人間に戻りますので」
「うん」
「……その、恥ずかしいですし、席をはずしていただけると嬉しいんですけれど」
「おかまいなく」
追い出された。
無念である。
◆
たゆんをあきらめ、階段を下りる。
宿の一階は、酒場になっている。
構造としては、下町の安宿と変わらないが、店内は清潔で、客筋が段違いにいい。
ご飯もおいしいけど、昼に行ったところも味は負けてなかった。安い素材で美味しく料理できるんだから、相当腕がよかったんだろうなあ。
そんなことを考えながら、テーブルに座る。
「あれ、お嬢様、今日はここでお食事ですか?」
おかみさんが愛想よく声をかけて来る。
金払いがいいからか、上客扱いなのだ。正直すごく居心地がいい。
「いや、後で食べようと思うんですけど、それまでにちょっとつまみたいなって」
「はいな。なにか見つくろいますよ」
料理が来るのを待つ間、店内を見渡す。
皆、どこか上品に、しかし明るく食事を楽しんでる。
明るい雰囲気の弾き語りが、場を一層盛り上げてて、非常に居心地がいい。
昼間の、西部劇みたいな殺伐空間もいいけど、こういう居るだけで楽しくなる所ってのも素敵だと思う。
「さあ、食事まで時間もないし、こんなところで間に合わせたらどうですか?」
おかみさんが料理を持ってきてくれる。
薄切りのバケットに、白身魚の練りものが添えられたもの。
飲み物はエールだ。アルコール度数は低いので、私でも飲める。あんまり飲めないけど。
バケットに練りものを乗せ、食べる。
エールを舐めるように飲む。イッキ飲みとかできたらかっこいいんだろうけど、度数の低いお酒で酔っ払っちゃうと恥ずかしいのでやらない。
「水の都の町娘 笑顔の素敵な町娘……」
ふいに、曲調が変わった。
音楽に乗せて、歌が流れて来る。
歌というか、物語か。お話形式の歌を、聞くとはなしに耳に入れる。
なんの素性もございません。ただの可愛い町娘。
どうしたことか、宿世の縁か、娘は王子と出会います。
凛々しい高貴な王子様、たったひと目で恋に落ちる。
物語は、単純といえば単純。
ごくごく普通の町娘と、高貴な身分の王子様との身分を隔てた恋の物語。
でも、王子様には婚約者がいて、愛する二人の邪魔をする。水の都の巫女様、と呼ばれる婚約者は、町娘に敵意を燃やし、嫌がらせしたり呪いをかけたり、誘拐や殺人未遂にまでことが及ぶ。
それを何とかしのいだ町娘。
そして悪い巫女様に天罰が下る。
悪行を白日のもとに晒された巫女様は、国王によって罰せられ、巫女の地位を奪われ、八つ裂きの憂き目にあう。
町娘は巫女の地位を手に入れて、二人の恋は身分違いではなくなる。
「――凛々しい王子と町娘、二人の恋は成就する。凛々しい王子に祝福あれ、新たな巫女に祝福あれ!」
◆
「……うーん」
軽い食事を終えると、外に出る。
もう薄暗くなっている。海からの風が心地いい。
「あー、微妙に酔ってるかも?」
そんなに飲んだわけじゃないけど、酔ってる感覚がある。
うなー。
と、意味不明に鳴きたくなったけど、さすがに自重。
うん。大丈夫。まだ自制は働いてる……ニケ!
無駄にポーズをとっていると。
「すみません」
後ろから声をかけられた。
振り返ると、さっき演奏してた人だ。
「なんです?」
「どうも、先ほどの歌がお気に召さなかったようで。後学のために、理由を教えていただいていいですか?」
「……あー、顔に出てたならごめんなさい」
否定はしない。
さっきの歌は、なんとなくヤな感じがした。
「でも、理由、かあ」
なんとなくだったので、思い返すけど、いまいちちゃんと理由づけできない。
「しいて言うなら……あなた、さっきの歌嫌いですよね? それが歌に出てたからかも」
なんとなくそう答えると、ちょっと驚かれた。
「驚いた……いや、その通りです。この都の話題の歌ってことで覚えたんですが、どうにも気に入らなかったんですよ。この歌が……声に出てたとは、こりゃあ修行不足でした」
「なんで気に入らなかったんです?」
「この物語は昔話じゃない。つい最近、水の都で実際に起こった話です。それにしては話がきれいすぎる。美しすぎて真実がない。それが、どうにも押しつけられたようで……まあ、飯の種なんで好き嫌いを言うつもりはなかったんですが、お嬢さんには見破られたようで」
なるほど、と相槌を打つ。
王族の婚約者の交代劇だ。
生臭い政治の匂いがぷんぷんする。
その生臭さにたいして、歌い語られた物語の美しさは、なるほど胡散臭い。
というか、歌の主役の町娘さん自体、嫌な感じがする。なんというか、絶対に相容れない、的な。
「ありがとうございます。いい勉強をさせてもらいました」
「いえいえ、御不快でなかったなら、なによりですー」
彼は感謝の言葉を残して酒場に戻っていく。
ちょうどその時、夜の通りを、昼間見た白馬の騎士主従が走り過ぎていった。
気のせいか、白馬の騎士は一度止まって、それからまた走り去った気がする。
いや、そんなことは重要じゃない。
部屋に戻ったら湯上りアルミラさんが待ってるのだ。早く戻らねば。
部屋に戻ると、すでに猫だった。
……知ってたやい。今夜はやけ酒だー!