外伝その7 むかしむかしの物語
大河は日の光を映し、黄金色にきらめいていた。
まるで河自体が光を放って輝いているような、そんな錯覚すら覚える神秘的な光景を、じっと見つめる少女の姿があった。
年のころは、10にも満たずといったところか。
長く美しい銀髪、整った顔立ちの少女だが、瞳には幼さに似合わない、強い知性の光があった。
「――嬢ちゃん、一人か? どこから来たんだ?」
一人で居るのを心配したのだろう。
ひとりの男が近づいて、少女に声をかけた。
年のころは20前。旅装で、ぼさぼさの金髪に碧眼、髭を伸ばし放題にしたひどい有様だが、どこか上品な顔だちをしている。
声をかけられて、少女は男に顔を向けた。
男の顔をじっと見つめて、それからこくりとうなづく。
「そう。あちらから来た」
言って、少女は東を指さした。
「……ほう、東。ここから東といえば、大山脈にぶち当たるわけだが、まさかそこから来たわけじゃあるまい。あそこは、とてもじゃねえが人の住める土地じゃない」
「大山脈じゃない。来たのは、その向こうから」
「その向こう? それこそまさかだぜ。人間じゃあ大山脈を越えられない。まだ可能性があるのが海路だが、それだって100の船が1つ残りゃあ御の字だ」
冗談だと思ったのだろう。男は苦笑を浮かべ、肩をすくめる。
「――その話が本当だってのなら、嬢ちゃん、ひとつ聞かせちゃくれねえか。大山脈の向こうってのは、どんな土地なんだい?」
「……あたしが居たのは大陸中央、旧帝国領。いまは20を超える幻獣区が相争う大戦乱の最中」
「ほうほう……じゃあ嬢ちゃんはそこから逃げて来て、運よく海を渡れたって口なんだな?」
話を合わせた男の言葉に、少女はうなずかない。
「海じゃない。山でもない」
「……おかしなことを言うもんだ。海越えでも山越えでもないとなれば、いったいどこから来たってんだ?」
戸惑う男に対し、少女は足元を指さし、答えた。
「下」
「下? 下とは驚いた。地の下から来たってか? いったいどうやってだ? モグラの神獣様にでも連れて来てもらったってのか?」
「違う」
冗談めかした男の言葉を、少女は短く否定する。
「――大地を走る魔力の通り道――龍脈。そこを通って来た」
語る少女の表情に、浮ついたものはない。
ただ、その内容は、さきに男が挙げた冗談めいた予想よりもぶっ飛んでいる。
「はっはっは、龍脈ときたか。嬢ちゃん、冗談にしても壮大なもんだな」
「冗談ではない」
笑う男に、少女は顔をしかめて抗議する。
傷つけたと思ったのか、男はあわてて頭を下げた。
「笑ってすまん。だがな、嬢ちゃん。そんな便利な道があるってのなら、大陸の東と西、もっと交流があっていいはずだろ?」
「龍脈は魔力の通り道だ。生まれたての幻獣のような、魔力に近い存在しか通れない」
「おいおい、嬢ちゃんの言葉通りなら、嬢ちゃんは生まれたての幻獣ってことになるぜ?」
「幻獣ではない。だが、在り方としてはそれに近い。だから、生まれたばかりの時に龍脈を通れた」
「ん? そりゃあ、ちょっとおかしいな」
子供の嘘を優しく咎めるように、男は首をひねって見せる。
「――嬢ちゃんは大山脈の向こう側の事情にくわしい。でも、生まれたばかりじゃないと龍脈は通れないんだろ? 嬢ちゃんはあちらの事情をどうやって知ったんだ?」
あきらかな矛盾。
だが、「それは矛盾しない」と少女は言う。
「あたしは龍脈の集積地――霊地で生まれた。人格の核となる情報は、創造主の複製によるものだ。様々な知識は生まれつき備わっている」
途方もない話だった。
反応に困ったように、男は頬をかく。
「それは……なんつーか、大山脈の向こう側は、進んでるんだな」
「あくまで一個人の才能と執念によるものだが……信じたか」
すこしだけうれしそうに、少女は口元をほころばせた。
「信じた、っつーか、嘘でもホントでも、もう証明できないことだしな。嬢ちゃんの話につきあうのはいいが、そのへんは突いても不毛だろ」
「嘘なんてついてない」
「すまんすまん。信じた。信じたから拗ねるなよ」
ふたたび仏頂面になった少女に、男は拝むように謝る。
少女が機嫌を直すには、すこしだけ時間がかかった。
具体的には男が干し肉を献上するまでの短い時間だ。
「……嬢ちゃんは、なんのためにこっち側にやって来たってんだ?」
干し肉をしがみながら、男が問う。
問われて少女は干し肉を食べるのを止めて、答えた。
「“すべてを知り、すべてを記せ”……この大陸西部で見聞を広めるため、あたしは来た」
「なるほどな……ま、こっち側を征服するため、なんて言いださなくてよかったぜ」
「そんなことは言わない」
「言ってたらお尻ペンペンだったな」
「やめてほしい。されたら泣く」
「……ん? 俺が出来るってわかるのか?」
少女の真剣な様子を見て、男は意外そうに尋ねる。
「わかる。歪ながら強い魔力を保有している。幻獣の血肉に適合した第一世代――いわゆる勇者。それがあなた」
「……ま、勇者だなんてたいした呼び方されるような人間じゃねえけどな。そんなもんだ」
「あたしに近づいたのも、あたしを警戒したから?」
「いんや。俺にゃ嬢ちゃんみたいな感知能力はなくてな。変わった子供が一人で居るから心配しただけだ」
男の言葉に、少女は眉根を寄せて不満の意を表す。
無言の抗議だったが、まるで通じていない。
恨みがましい視線をものともせず、男は笑顔で語る。
「なあ嬢ちゃん。こっちで見聞を広めたいってのなら、俺について来ないか? 最近西海の水竜たちの覇権争いが、ようやくひと段落したらしくてな。大河クーの河口に人が集まり始めてるらしい。あそこはデカくなるぞ」
勝手な提案だった。
だが、少女にとっても益のある提案だったのだろう。
しばし葛藤した後、少女は苦虫を噛み潰したような顔でうなずいた。
「……行く。町が出来上がる過程は、記録にはない」
「お、来るか? じゃあよろしくだな、嬢ちゃん――と、名前は?」
「……オールオール」
「オールオールか。俺はスレッドってんだ。ランドルホフってえ小さな村の生まれだ。よろしくな」
「……ん」
男が差し出した手を、少女は不承不承、握り返す。
陋巷の魔女オールオールと、アトランティエ建国王の父スレッドの、これが出会い。
むかしむかし。アトランティエという国が出来上がる、さらに三十年近く前のお話。




