外伝その6 百合の話をしてみよう
たとえば舞い散る桜のように、強く心を揺さぶる“刹那”がある。
通学途中。電車の窓側に立ったわたしが見出したのは、その種の美だった。
すぐ隣を並走する電車の窓辺。
ふたつの窓越しに隣り合った少女の姿を見て、どきりと心臓が跳ねた。
長い黒髪、鼻筋の通った楚々たる美少女だった。
吊り革に手をかけながら、静かに目を伏せて立つ、その姿は、驚くほど絵になっている。
そんな、一級の絵画のモチーフと目が合った。
一瞬で、心臓を鷲掴みにされた。電車がべつ方面に向けて離れていき、姿が見えなくなっても、少女の姿が強く心に残った。
正直に言おう。
わたしはこの時、直接出会ってすらいない少女に――魅入られた。
◆
「はい、女神様……!」
真剣な表情で、少女が手を挙げた。
表情に、まだ幼さの残る少女の名はリディア。
愛称をリディという、青の都市ライムング太守イザークの孫娘だ。
女神タツキの私室。
丸テーブルを囲んで座るのは、少女と女神タツキの二人。
声を掛けられたタツキは、手に持っていた本から目を離して、少女に顔を向ける。
「なに? リディちゃん」
「デンシャってなんですか?」
「……そりゃわかんないよね……」
タツキは苦笑交じりのため息をついた。
元の世界の小説を理解してもらうには、常識の壁がものすごく分厚い。
事の発端は一冊の本。
大山脈の霊地に散らばっていた、元居た世界の様々な物の中にあったそれだ。
元の世界のもの、しかも慣れ親しんだ文字で書かれた物語だ。懐かしさも手伝って、タツキはすでに何度も読み返している。
タツキが熱心に読んでいるからか、それとも本が纏う独特のオーラに惹かれてか、リディが興味を示したので、朗読してあげていたのだが……なかなか難しい。
「電車ってのは……陸を走る船みたいなもの?」
「……なんとなく想像できます。並走する船の上、目と目が合う二人の少女――なにも起こらないはずがない!!」
「言い方ーっ!? いや、まあ、なにか起こったりするんだけど……」
「やっぱりですか!?」
「まあ、百合モノだしね……」
偶然惹かれた相手が、父の再婚相手の娘だったことから始まる、姉妹の物語。
どうやら10巻以上出ているシリーズものらしいのだが、あいにくタツキの手元には最初の巻しか存在しない。
ちなみにタイトルは百合姉妹。
そんなタイトルなので、タツキは軍事国家ユリシスの、双璧の娘たちを連想してしまう。あれも妹分は百合だし。
「女神様……がぜん続きが気になってきました!」
「そう? じゃあ続きを読んでこうか」
百合、と聞いて興奮気味に身を乗り出すリディに、タツキはふたたび本に目を落とし、語り始める。
朝の少女に心奪われ、気がつけば学校は終わっている。
その日は父の再婚相手に始めて出会う日だった。複雑な心を消化しきれないまま、待ち合わせの場所に赴き――出会った。
未来の母の隣に在る、彼女の娘と思しき少女。
それはまぎれもなく、朝、電車の窓越しに見た少女だった。
唐突に始まった共同生活の中で、二人はすれ違い、反発しあいながら、やがて強い絆で結ばれていく。
物語は美しくも、どこか退廃的で、それが読む者の心を強く惹きつける。
話が終わっても、リディはしばらく陶然とした表情で余韻に浸っていた。
「……リディちゃん?」
「女神様……いいえ、お姉様。素晴らしいお話でしたわ」
心配になって声をかけると、少女は、なぜか瞳をキラキラとさせながら、作り声で返答する。
「リディちゃん、なぜアルミラさんみたいな口調に……」
「まあ。そんな質問、野暮というものですわ、お姉様……さあ、お風呂――じゃなくてお髪を梳かせていただきますわ」
「欲望が漏れてるあたりむしろ影の魔女さんぽい?」
「はぁ……わたしもこんな恋がしたいですっ――わ!」
「……ほどほどにね?」
いまはなにを言っても無駄かと、タツキは説得をあきらめた。
どうせ被害があるとすればタツキかアルミラなので、間違いが起こる心配がないというのもある。
「ああ……でも、本当に素晴らしいお話でしたわ」
タツキの黄金色の髪を梳きながら、リディは夢見心地で語る。
「そうだねー」
「特に、妹様が背後から抱きついて、想いを告げる下り! あんなの女神様のお声でささやかれたら! もう! 完全にダメなやつじゃないですか!」
「ソウダネー」
「女神様、やばいです。頭の中で姉妹の物語が勝手に展開されてます。もうどきどきが止まりません!」
「……なら、いっそ自分で小説書いてみる?」
少女の目が、大きく見開かれる。
ぱかーん、と、扉が開いた音を、タツキは聞いた気がした。
◆
扉がある。
少女の心の奥深くに在った禁断の扉は、黄金の女神によって開かれ、いままたひとつの物語によって完全に解放された。
それがいいことなのか、悪いことなのか。
とにかく少女は元気です。
「女神様! とある国の守護女神様とその巫女との恋愛とかどうでしょうか!!」




