外伝その2 ロザンの店に行ってみよう
水の都アトランティエの一角に、知る人ぞ知る料理店がある。
紹介制で、富裕層や一部貴族を相手に、最上級の美食を供しているという。
名前は無い。店主の名前をとって「ロザンの店」と呼ぶ者も居るが、もちろん正式名称ではない。
近ごろは、こう呼ぶ者も増えた。
――女神様の立ち寄る料理店。
◆
ロザンの店、店内。
「ひまですねえ……」
叩かれることのない扉を見やりながら、給仕姿の女がつぶやいた。
声をかけられた店主――ロザンは、厨房から顔をのぞかせながら、「ふん」と鼻を鳴らした。
「最近女神の嬢ちゃんが帰って来たらしいからな。鉢合わせて食事の邪魔をしちゃまずいってんで、客の連中も来るのを控えてるんだろうぜ」
「女神様にひと目会えたら……って類のお客様は、店長が早々に追い払っちゃいましたものね」
「当り前だ。魂抜かれた野次馬に食わす飯は、うちにはねえよ」
「女神様、お美しいですものねえ……」
給仕娘がとろんとした視線を虚空にさまよわす。
その様子を見て、ロザンは深いため息を落とした。
弟から預かった娘なのだが、当年二十二歳。
とうが立ったと言われる年齢になってこのありさまでは、将来と言わず現在が心配になる。
「お前もなあ……高望みするのをやめりゃあ、すぐにでも引き受けさきが見つかろうってもんだが……」
「よけいなお世話です店長。父のところよりはるかに客筋がいいこの店で、わたしは運命の相手を見つけるんです! 流行歌の町娘さんのように!」
給仕娘はぐっと手を握る。
流行歌の町娘さんとは、先の王太子と結婚した町娘……まあぶっちゃけ魔女オニキスである。
現王エレインや、女神タツキの巫女アルミラが、死ぬほど迷惑を被った相手に憧れるというのはかなりアレな気がするが、シチュエーション的には、惹かれるものがあるのだろう。
「いや、ちゃんと接客してるし、外見も、客が気分良く食える程度には整ってるし、客の食事の邪魔さえしなけりゃ文句はねえんだがな……」
「ふふん! 腐ってもおじさんの姪で父さんの娘ですよ! もてなしの心は忘れません!」
と、伯父と姪がそんな会話をしていると、ふいに扉が開かれた。
すこしだらけていた給仕娘はしゅぱっと基本姿勢を取り、華やかな笑顔で客を迎える。
「いらっしゃいませ――ああ、なんだ、ホルクさんですか」
「もてなしの心はどこいったんだオイ」
急にぞんざいな態度になる給仕娘に、ロザンが秒で突っ込む。
「いや、だって、ホルクさんですよ? 実家で世話してるチンピラの。それに格好を見ても、食事ってわけじゃないようですし、だったら店長の被雇用人じゃないですか」
「顔を合わせて一発目にこの仕打ちとか……騎士にしてやるってエレインの誘いを断ったことを、今だけは後悔するぜ……」
「騎士!? 王様直々に!? なんで断ったんですか? 馬鹿じゃないですか? そんなにチンピラがいいんですか!?」
「チンピラは職業じゃねえよ!? というか、オレにもプライドがあるっての! 騎士にしてやるなんて言われてホイホイ尻尾振れるか! 狼は犬にはなれねえんだよ!」
「狼(笑)」
「お、おまっ!? なにがおかしいんだ!?」
『す、すみません……ごはんたべさせて……なんでもしますから……』
「おやっさんに拾われた時のこと言うのは反則だろうがよおっ!?」
声色を作り、演じるように語る給仕娘に、ホルクは悲鳴を上げる。
「ふっふっふ、きみが10の年から一人前のチンピラになるまで、誰が世話をしたと思ってるんです!」
「オレあんたに世話された記憶あんまり無いんだけど!? むしろおやっさんに世話になりっぱなしなんだけど!? それに今日、オレは、ここに、客としてきたんだよ!!」
「女神様がいらっしゃるんですか!?」
「おい声色変わってるぞ怖いわ! ――違ぇよ。今日連れてきたのは……」
ホルクが、頭をかきながら半身になる。
その足元を通りぬけて、店に入ってきたのは、黄金色の毛並みの……子猫だった。
「よう。ちょっと外見が違うが……ひょっとして女神様の連れの」
「どうも、アルミラですわ。こんな格好でお邪魔します。ずいぶん楽しいお話を聞かせていただきましたわ」
ロザンが手を挙げると、子猫――アルミラは、ホルクにいたずらっぽい視線を向けた。
◆
猫姿で店に来たアルミラは、着替えのため、奥の部屋に入っていった。
ロザンも厨房に入り、戸口には給仕娘とホルクが残された。
「アルミラ様、どうかされたんですか? いつもなら、もうちょっとユル……朗らかな感じの方ですのに」
「おいいまアルミラの嬢ちゃんを何て言いかけた? ……いや、まあそれには理由があってだな……帰って早々、エレインの野郎が嬢ちゃんを怒らせてな。嬢ちゃんもずっと不機嫌だし、ひとつ愚痴でも聞いてやろうと思ってな」
「……なるほど」
給仕娘は笑顔をつくる。
「――なら、当店も、お客様が気持ちよく食事いただけるよう、全力を尽くしますわ」
彼女が胸を張った、その時。
奥から黄金色の髪の美少女が姿を現した。
「お待たせですわ」
「……やばい」
アルミラをひと目見て、給仕娘はつぶやいた。
金髪だし美少女だしおおきい。女神降臨である。
女神タツキを初めて見た時も衝撃的だったが、今回のこれはまた別種の衝撃だ。おおきいのだ。そして黄金色に輝く髪がその陰影をくっきりと浮かばせているのだ。女神様が「抱きつきたい」なら、アルミラは「うずまりたい」だ。
「……オレも着替えて来るから、嬢ちゃんを案内しといてくれ」
声をかけられて、給仕娘はようやく我に返った。
「どうぞ、アルミラ様、こちらへ」
言って個室に案内し、少女を席につける。
そのまま退がろうとする給仕娘を、アルミラが呼びとめた。
「先ほど、ホルクと楽しげにお話ししてたみたいですけれど、あれと親しいんですの?」
彼女は、自分とホルクの関係が気になっているらしい。
客と雑談するのもいかがなものかと思うが、彼女に楽しく食事してもらうためには、多少の談笑も必要だろう。なにより美人とお話しするのは楽しい。
そう考えた給仕娘は、朗らかな笑顔で答える。
「はい。うちで預かって、世話をしていた時がありますから」
「えっ? ……それは、その、あなたがホルクの、身の回りの世話を、ということですの?」
目をまん丸にした少女に、はて、自分はなにかおかしなことでも言ったかと首をかしげながら、給仕娘は肯定する。
「はい」
「……破廉恥ですわ」
「破廉恥? 何がでしょう?」
給仕娘は欠片も理解できない。
と、アルミラが、察して声をあげた。
「……あっ!? 二人の仲は、正式な――天地に恥じないものであると、そういうことですのね!」
「はい。まあ、なんら後ろめたいことはありませんが」
「でも……その、すこしお歳が離れてらっしゃるみたいですけれど」
よけいなお世話だと思ったが、給仕娘は表情に出さない。
だいたい六歳差の姉弟なんてどこにでもいる。それほど離れてるわけじゃない。わたしは若い、と、給仕娘は心の中で呪文のようにつぶやく。
「……そうですね。年の離れた姉弟のような、そんな感じでしたか」
「その、姉弟で……そういう感情は抱くものなんですの?」
そういう? 肉親の情だろうかと、給仕娘は考える。
姉弟に例えたが、正直あんまり肉親という感じはしない。
「まあ、血はつながっておりませんし」
「……やっぱり、血が繋がってなければ、実の姉弟のようにはなれないんでしょうか?」
――なるほど、アルミラ様の悩みはそれですか。
給仕娘は内心でつぶやく。
エレイン王と巫女アルミラは、姉弟のような関係であったと聞く。
それが、いまいち上手くいっていないのだろう。だから彼女は悩んでいるのだと、給仕娘は理解した。七割くらいは合ってる。
「大丈夫です。兄弟でもケンカするし間違いを犯したりします。というか、そんなことばかりです。そういうことを繰り返して、絆を深めていくのですから、感情的にこじれてるなら、無理に仲良くしなくてもいいと思います。大丈夫、それも時間が解決してくれますよ」
「は、はいですわ……」
三割の誤解がエレイン王に悲しみを背負わせようとしている。ご愁傷さまである。
そして、話がひと段落したちょうどその時、着替えを終えたホルクが、部屋に入ってきた。
「待たせたな……どうしたんだ?」
「いえ、彼女から、すこしお話を聞いていただけですわ……水臭いですわよ、ホルク」
「水臭い? 何がだ?」
「わたくし、おふたりの関係を祝福いたしますわ」
巫女アルミラの、朗らかな笑顔に、ホルクは首を傾け――青ざめる。
「……ちょっと待て!? 誤解がある! オレにとって非常に不名誉な誤解だ! なんでそうなったか一から説明しやがれーっ!!」
昼下がりの空に、悲しい絶叫が上がる。
その声に、呼び寄せられたように。
「ロザンさーん! ご飯食べに来たーっ!」
「ほほう……なかなか雅な趣でおじゃるな?」
入口から、女神様の声が聞こえてくる。
「おう、ひさしぶりだな、女神様! その鳥みたいなのは、新しい食材か!? 捌いていいか!?」
「グァグァ!? 麿が食べられるのっ!?」
女神様の立ち寄る料理店、ロザンの店。
今日も女神様は、御機嫌です。




