その106 彼女の終わりに立ち会おう
「――あれが……あれこそが、あたしの“死”よ」
不死の魔女オニキスは、そう言って朱に輝く繭を指さす。
その、行為が、呼び寄せたかのように。
繭から、光の糸がほどけて女に絡みついていく。
そのことに、とてつもない不吉を感じながらも、止められない。
あの糸に触れることを、本能が全力で拒否している。
「おい、なにが起こっておる!? まさか誰か繭に触れようとしてるのかい? やめな! 取り込まれるよ!」
羽根越しにも異様な気配を察したのか、オールオールが制止の声を上げた。
それに対し、永遠の魔女は、すこしだけ驚いた表情になってから――微笑んだ。
「取り込まれる。分解される。すべての要素と概念に分解されて……生まれ変わる」
漆黒の瞳を輝かせながら、オニキスは歌うように語る。
「――知っている。そんなことは知っているわ。彼方に居るであろう人。おそらくは、オールワンに連なる、人造の魔女」
オールオールが絶句する気配。
語る間に、オニキスに変化が現れ始める。
体が鈍く輝きはじめた。
同時に体から色という色が抜けていく。
まるで、光の繭に吸い取られるかのように。
オニキスという存在が、希薄になっていくかのように。
「あたしは――不死の魔女オニキスは死なない。死なない存在として、もはや信仰されてしまっている。その性質は、もう神様にだって変えることは出来ない。生まれ変わりでもしない限り」
かわりに、光の繭が明滅する。
朱色だった光が、漆黒に染まっていく。
やばい。とてつもなくやばいことが起こってる。
どうする?
魔法で粉々にする?
いや、不死の魔女はそれくらいじゃ消滅しない。
そして消滅しない限り、光の繭は彼女を取り込むことを止めないだろう。
――止めるべきだろうか……殺してでも。
一瞬の逡巡。
その間隙を縫って、アルミラと影の魔女シェリルが魔法を放つ。
「――霧の吐息!」
「影よ、影よ……我が敵を断て!」
霧の衝撃波が。
無数の影の刃が、オニキスに襲いかかる。
だが。
すべては繭から伸びた糸に触れた瞬間、霧散した。
「なっ!?」
「やはり、そういう性質ですか……」
冷や汗を流しながら、シェリルがつぶやく。
私も理解した。
あの繭は、それに触れたあらゆるものを吸収する。そういう性質のものだ。
もちろん魔法も例外じゃない。私の魔法でも同じだろう。そして、不死であるはずの魔女オニキスの肉体でさえも。
「無駄よ。無駄、無駄……女神様、大人しく見ててくれないかしら……? 生まれ変わって、もし記憶が残ってたら、ちゃんと食べられてあげるから」
「食べ……? なんで……」
思わぬ提案に、思わず首をかしげる。
「ここまで言えば察してくれるかと思ったんだけど……いいわ、教えてあげる」
苦笑を浮かべながら、不死の魔女は語る。
すでに彼女は、向こうが透けて見えるほど希薄になっている。
「――意志という核を失った魔力の繭は、新たに核となるものを求めて、あたりかまわず生命を取り込んでいく。繭に取り込まれた意識は、肉体は徹底的に分解され、その中で最も強い要素を核として再構築される……そうして生まれるのよ。竜という存在は」
希薄になり、おぼろげな彼女は、私に微笑みかける。
「あたしは生まれ変わる。死のある者に。そして死ぬ……それが、あたしの……願い……」
彼女はそれ以上言葉を続けなかった。
言葉だけ残して、彼女は消えてしまった。
繭から伸びていた光の糸が、繭に戻っていく。
漆黒に輝く、闇の繭に。
「……オールオール」
闇の繭に不吉を感じて、通信羽根越しに、銀髪幼女に問いかける。
「彼女の言葉は正しいよ。光の繭は、新たな竜の卵でもある。彼女は竜として生まれ変わるだろう。そしてそのとき、彼女の不死性は大きく減じられている」
「それは、どうして?」
「彼女は力を得て竜になるわけじゃない。生まれ変わって竜になるんだ。生まれ変わる前の要素を、全部受け継ぐわけじゃない。彼女もちらと言ってたが、記憶さえも、完全に引き継げるとは限らない……まあ、混じりものがなければ、かなりの確率で引き継げるとは思うがね」
「――それに、彼女の不死性は、信仰によって大幅に強化されていたように思えます」
と、影の魔女シェリルが口を挟んだ。
「生まれ変わって別の存在となったなら――信仰による補強を失えば……他ならぬ女神様であれば、滅ぼせる存在となっているでしょう」
なるほど。
闇色に輝く繭を見上げて、思い描く。
色が色だ。どう考えても黒竜だろう。ブラックドラゴンだ。
それをオニキスは食べていいという。あたしを食べて、みたいなことを言ってた。これも供養と思ってありがたく御馳走になります。
「……じゅるり」
「タツキさん……」
アルミラさんが、さすがにあきれた顔で見てくる。
違うんです。いや、なにひとつ違わないけど仕方がないんです。
「えっと、そうだ、オールオール、竜の卵はどれくらいで孵化するの?」
誤魔化すように、幼女に尋ねる。
「統計が取れるほどの資料は無いね。すぐに孵るか、あるいは数年がかりになるか……」
「うーん、さすがに何年も待つのは困るなあ」
「いっそここに住まれてはいかがですか? 我が国は大歓迎ですが」
影の魔女がそんな提案をして来る。
いやいや、たしかにいつ孵るかわからないなら側に居ときたいし、火竜フラム死んじゃったらかわりに守護神になるって言ってた気がするけど。
「――シェリル殿、それはいささか貴国に都合のよすぎる話ではないか?」
うん。エレインくんは当然突っ込むよね。
というかこんなところでプチ政争とかやめてください。
「ふたりともやめー! とりあえずさ、シェリルにはこの国を落ち着かせてもらわなきゃならないし、いつ孵るかわからない卵の傍に居て……も……」
ぞくり、と、寒気がして、言葉を止めた。
本能が、最大音量で警鐘を鳴らしている。
「し、シェリル……逃げるのだ……」
危機感知能力の高いリーリンちゃんが、真っ青な顔でシェリルの袖を引く。
だめだ。いまアレを刺激しちゃいけない。
「逃げちゃダメだ……みんな私の影に」
「タツキさん……わかりましたわ」
声色から、本当に深刻だと悟ったんだろう。アルミラが青ざめた顔でうなずく。
目の前には、闇色に輝く巨大な繭。
その、中から。闇よりもなお暗い、漆黒の視線を、たしかに感じる。
――ふと、思う。
光の繭に取り込まれることで。
生まれ変わり、死を得ることで、不死の魔女オニキスの切なる想い――「死にたい」という想いは、すでに満たされてしまったんじゃないか、と。
だとしたら。
いま、新たに生まれようとしている竜。
彼女を形づくる意志は……取り返しがつかないほどに、救いようのない感情なんじゃないか、と。
ぴしり、と、光の繭にひびが入る。
けらけらと、笑い声。
童女が笑うような、純粋で、悪意に満ちた笑い声。
聞くだけで寒気を催すほどおぞましい笑い声を、祭壇の間に響かせながら。
漆黒の竜は、誕生した。
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