その104 竜の話を聞いてみよう
魔女オニキスは言った。
その竜は、眩いまでの黄金色で輝いていた。
明滅する黄金の繭に包まれたような巨竜は、彼女を見て、言った。
「なにかあると思っていたが……おもしろい、とびきりの呪いを抱えた人間だな」
「……呪い?」
「己を蝕む信仰よ。よほどの恐怖と怨嗟をもって物語られたと見える」
心当たりは、山ほどあった。
そして腑に落ちた。運命であるかのような魅了と破滅の繰り返しは、人々の呪いによって育まれたのだと。
それをひと目で見抜く竜が、尋常の存在であるはずがない。
「あなたは……」
尋ねると、黄金の竜はけだるげに口を開いた。
「余は幻獣を統べる者。千年の時を生きる幻獣王マニエス」
「伝説の……黄金竜……」
「そう。そして余のしもべ――青銅竜ワードンが廃墟より掘り返し、献上した青銅の彫像に鋳込まれていたのがそなただ」
視線の圧は、それだけで息がつまる。
彼女は知った。己を封じた王子の国が、とうに滅びたことを。
それが、運命の悪意によって、伝説の神竜にもたらされたことを。
「ここは、大山脈なの?」
「そうだ。人がそう呼ぶ、幻獣の領域だ」
「あたしは、どうなるの?」
「さて……だが、献上された以上は、そなたは余のものだ。余のものである以上、ほかの幻獣どもが手を出すことはない。それを利して逃げるもよし、ここで暮らすもよし……まあ、好きにするがよい」
その時、彼女は淡い期待を抱いた。
実在する神話ともいえる黄金竜マニエス。
彼の元であれば、彼女のような呪われた魔女でも、平穏な暮らしが出来るのではないかと。
だから、願った。
「おそばで、お仕えさせてください」
それは、間違いだった。
呪われた魔女は、黄金竜をすら蝕んだ。
黄金竜マニエスは彼女を気に入った。気に入りすぎた。
ほかの幻獣が、マニエスの従僕たちが、彼女に嫉妬の念を覚えるほどに。大山脈の秩序が乱れるほどに。
大山脈は、大陸を縦断する長大な山脈だ。
そこに住まう幻獣たちは、それぞれ眷属を持ち方々の山に居を構え、黄金竜マニエスを王と仰いでいる。
そのなかでも有力な十の幻獣が居た。
彼らは主のお気に入りとなった彼女を、快く思わなかった。
「マニエスは耄碌されたか!」
もっとも激しく反発したのは、青銅竜ワードン。
彼女をマニエスに献上した、青銅の鱗に鎧われた強き竜だ。
「よせ、ワードン。ちっぽけな人のために、我らが諍いを起こすのはくだらぬぞ」
若いながらも思慮深き風竜エルクがそう言って諌めるが、青銅竜ワードンも、他の幻獣たちも収まらない。
「あの娘は、我らに不和をもたらします」
風竜エルクは主に諫言するが、マニエスは笑って取り合わない。
やがて、不和の種は芽ぶき花をつけ、大山脈を不穏な芳香で満たした。
そしてついに、彼女は青銅竜ワードンによって密殺されるに至る。
その事実を知り、彼女が死の淵より戻る、その様を目撃した風竜エルクは、強硬策に出た。
「もはや事態を見過ごしに出来ぬ。この上は、汝の身を我が友、火竜フラムに預け、あらためて主マニエスを強く御諌めしよう。青銅竜ワードンのように、あえて汝を傷つけようとは思わぬが……以降大山脈に近付くことは許さぬ」
そう言って、風竜エルクは彼女の身を火竜フラムに預けた。
まさにその時から、西部諸邦を舞台とした、魔女オニキスの物語が始まったのだ。
◆
「こんなところかしら……」
話を終えると、オニキスは息をつく。
私とアルミラとシェリルの三人は、思わずおたがいの表情を確かめた。
いや、もうどうしてくれようこの危険物。
話を聞くに、もう一度青銅かなにかに鋳込んじゃうのがいい気がするんだけど。
「なんというか……キミどうやったら滅びるの?」
「まあ、滅ぼす方向性で考えてくれるのなら、痛かったり苦しかったりが続くよりはいいんだけど……それが可能なら、とっくに実行してるわ」
まあそりゃそうか。
それなりに恨みがあるはずの、アルミラやシェリルでもドン引きするような境遇だもんなあ。
「まあ、政変の始末にあたしの首が必要だってのなら、あんまり痛くしないでくれるとうれしいかな……あ、首を斬っても数日あれば生き返っちゃうから、都の人を混乱させたくないなら、時期を見計らって適当に回収するといいよ」
ほんとうにどうしてくれようこのいきもの……
「シェリルさん、どうする?」
「彼女の死は、そこの少年が確認しております。生き返るとわかっているのに、あらためて首を晒すというのも趣味が悪い。密かに封印するのがよろしいかと」
「殺すのは変わらないのね……」
「境遇に同情は致しますが、アトランティエに対してけじめはつけなくてはいけません。あなたは火竜王の手にかけられて、一度死んだ。それによって罪を漱いだ、という見方も出来ますが……あなたにとって死は取り返しのつくもので、贖罪としては弱い、と判断いたします」
うん。頼もしいまでの大上段からの正論。
まあオニキスも、あきらめてる風なあたり、元からシェリルの同情を買おうと思ってたわけじゃないみたいだけど。
まあ、あれだ。聞いただけでなんか不幸な気分になったから、オニキスの狙いはそのあたりだろう。本気で不幸が伝染りそうだから困る。
「まあ、封じるにも準備が要るだろうし、しばらくはネックレスかなにかに収納しとくとして……それまでに、オニキス。キミに、ちょっと聞いときたいんだけど」
「なにかしら、女神様?」
「黄金竜ってどれくらい量がある――じゃなかった。大きいの?」
「量……? そうね、」
オニキスはすこし怪訝な表情になりながら答えた。
「体長は、神竜アトランティエと同じくらい。ただ、蛇竜型のアトランティエと比べて竜型のマニエスは、3倍以上大きく見えるでしょうね」
30mくらい……ってことは、火竜フラムと同程度のサイズってことか。ドラゴン型なので量はありそう。
まあ、馬鹿みたいに強力な伝承持ってる神話上の神竜だし、下手にちょっかいをかける気はないけど、後学までに知っておきたかった。
「じゃあ、ついでに風竜エルクの特徴を教えてくれないかな?」
続けて尋ねる。
まあ、これは実際的な質問なんだけど。
生贄の祭壇で、私が食べた風竜と彼が同一人物なんじゃないかって、ちょっと気になってる。
もしそうだとしたら。
黄金竜マニエスの僕であるはずの風竜エルクが、西の果て、生贄の祭壇にまで来ていたのだとしたら……それはおそらく、大山脈で異常が起こった結果だろう。
風竜エルクがマニエスの怒りに触れて逃げた、なんて単純なこととは思えない。
もしそうなら、彼が水竜アルタージェと戦う理由がわからない。
その、理由の部分に、私が深く関わってる。
なんとなく、そんな気がする。
不死の魔女は、漆黒の瞳をこちらに向け、問いに答える。
「風竜エルクは、大きさはマニエスの三分の一ほど。緑の鱗と、長大な翼を持つ風竜よ。“大気”の権能を持ち、翼は常に風を巻いて震えていたわ」
決定的な、その符合に。
事情を知るアルミラが、息を呑んだ。




