その102 因縁の敵と対面しよう
漆黒の瞳だった。
いわゆる黒目じゃない。
日本人の瞳は、一般的にブラウンって定義されてたはずで、女の瞳は、それよりずっと黒い。
年のころは二十歳前。
顔立ちは、正直十人並といったところ。
単純に比べれば、アルミラの方が100倍美少女だろう。
でも、この女を見てると、微妙に言いにくい感じの根源的な衝動が刺激される。
なんというか、食欲に近いような。さすがに人間は食べたくないんだけど。
「う……ん」
うなるような声。
漆黒の瞳が、焦点を結ぶ。
私に向かって、まっすぐに。
「……マニエス……じゃない。あなたは……?」
朦朧とした様子で、女が問いかけてくる。
――私をマニエスと勘違いした?
不審に思ったけど、よく考えれば、彼女をこの国に預けた風竜エルクは、黄金竜マニエスの配下だ。
黄金竜本人と面識があっても、おかしくはない。
「女神タツキ、と言えば、キミならわかるんじゃないかな。王妃オニキス」
問いに応じて名乗ると、女は驚きながらもうなずき――動けないのだろう。自分を囲うように立つ面々に視線を巡らせた。
「宰相シェリル……それに、巫女アルミラ……さしずめ、運命に追いつかれた、といったところね」
王妃オニキスは、あきらめたようにため息をついた。
そう。
彼女がなにを思い、なにを成してきたのかはわからない。
でも、自らが追い落としたアトランティエ王太子の婚約者、巫女アルミラがここにいる。
夫たる火竜王が追い落としたローデシア王国の柱、宰相シェリルがここにいる。
そして、彼女が壊したすべてを拾い上げてきた私が、女神タツキがここにいる。
すべては、彼女の罪業を清算させるために。
運命に追いつかれたとは、言い得て妙だと思った。
◆
「わたしの動きを知った火竜王は、自らの破滅を確信するとともに、己の手で貴女を殺し、その死体が辱められないよう手配した。命じられた年若い臣は、教えられた抜け道を通り――追手の存在を察知して、返り討ちを目論んだ……およそそういった事態と推察します」
影の魔女シェリルは、地下通路の出入り口で倒れてる少年に目をやりながら言った。
たぶん、火竜王に殉じようって少年を生かすためってのもあったんだろうけど、大枠では間違ってないと思う。
「死んだ後のことなんてわからないけど――たぶんね」
あおむけに倒れたまま、オニキスは少女に視線を返した。
「傷の深さ、流れた血の量から見ても、あなたは間違いなく死んでいたはず。なのに生き返った。致命傷は今や完全にふさがっている。魔力もない、ただの人間のはずなのに――答えなさい、王妃オニキス。あなたは……何者ですか」
影の魔女は、視線を女に向ける。
虚言を許さない冷徹な瞳に見下ろされて、しかしオニキスの表情に動揺はない。
「魔力が無い、というのは間違い」
ただ、ゆっくりと。彼女は答える。
「――ただの人間、というのも間違い。あたしは死なない。この姿で、この形で、生き続けることを強いられた……元人間よ」
深淵の闇を湛える瞳に、混沌とした感情を乗せて。
オニキスはそう吐き捨てた。
「生き続けることを……強いられた……?」
「ええ。死なない。老いない。存在として変化することすら許されない。そんな存在……もちろん、魔力による産物。なのに外部から感知できないのは、魔力がすべて内向きに――不死性を維持することのみに使われ、外に漏れることがないから……らしいわね」
私が首を傾けると、オニキスは素直に答えた。
わかりにくいけど、不変の属性を持った魔女って認識でいいんだろうか。
ちょっと違う気もするけど、とりあえずそう理解しとこう。
「なら、アトランティエでも生きてたわけじゃなくて……」
「死んだわね。儀式により、血を介して繋がったせいで、あたしを――その存在の穢れを理解した神竜アトランティエは、激怒してこの体を微塵に引き裂き、その吐息であたしを消滅させたわ。さすがにそこまでやられたら、すぐには生き返れないわ。再生するのに一週間ほどはかかったかしらね?」
「一週間……港で暴動があった時期ですわね」
アルミラが、記憶をたどりながらつぶやくと、オニキスは薄く笑ってうなずく。
「ええ、その通りよ、巫女様。あれは、あたしを逃がすために“手の者”がやったこと。当時は治安維持のために騎士団が――あたしの顔を知ってる連中が街中をうろついてたから、その網をかいくぐるために、ね」
言葉だけは挑発的だけど、声にも表情にも、感情は篭もっていない。のっぺりとした、薄気味悪い反応だった。
「手の者……ローデシアの長い手、その実働班ですわね? あなたがたらし込んだというその男に、海手の港で騒動を起こさせて、意識をそちらに集中させ、あなたは川手の港から悠々と脱出した……そんなところですわね」
「ええ。悠々と、ではないけど」
アルミラの推論に、オニキスはうなずいた。
うなずきながら、体調も戻ってきたのだろう。半身を起こす。
「もう何回死んだかわからない。でも、やっぱり死ぬのは嫌。痛いのは嫌。気持ち悪いのも嫌。せめてすこしの間だけでも、安穏に暮してたい。そう思っていても、運命は呪いのように追いかけてくる……ねえ、巫女様、あなた運命って信じてる?」
「ええ」
オニキスの問いに、アルミラは迷いなくうなずく。
「――わたくしが裁かれ、地位も将来の夫も、何もかもを失ったのは、すべて自業自得。わたくしの悪行の報いです……ですが、生贄の祭壇でタツキさんと出会えたことは、神の気まぐれでも幸運でもなく――運命だったと、確信できますわ」
「……うらやましいわね」
胸を張るアルミラに、オニキスはため息をついた。
やはり感情のこもらない、薄気味悪いため息だ。
「……権力者に愛され、その破滅とともに死ぬ。あたしはそれを、数え切れないほどに繰り返してきたわ。それが自分に定められた運命だと確信できるほどには、ね」
ぞっとするような話だ。
彼女が、自分で言うように不老不死なのだとしたら、それを確信するまでに、どれほど破滅を繰り返してきたのだろう。どれほどの国が破滅したのだろう。どれほどの地獄が現出したのだろう。
それを表すにふさわしい言葉が、記憶に引っかかる。
「……国堕とし」
神鳥ドルドゥがうわさに聞いたという、大山脈の向こうの伝説。
その名をつぶやくと、オニキスは薄く笑った。
「昔、昔の話をしましょうか、女神様」
肯定も否定もせず、女はただ微笑む。
「――ある、呪われた、女の話を」
不治の病を伝染そうとする、そんな暗い喜びをたたえた、不気味な笑みだった。




