その101 オニキスの死を確かめよう
天を衝く紅蓮の炎が納まると、影の魔女シェリルは王剣・竜麟烈火を地に向けた。
大義のためとはいえ、王をその手にかけた精神的負担からか、少女の顔には、すこし疲れが見てとれる。
「大丈夫?」
「おかげ様で」
心配で声をかけると、黒髪の少女は静かに笑顔を返した。
「――途中、急に体が楽になりましたが、女神様の御業でしょう?」
「たぶん。祝福しちゃったっぽい」
「どうりで……女神様。感謝を」
少女は、言葉少なに礼を告げた。
◆
「……と、王妃オニキスだ。遺体を確認しに行かないと」
「女神様、すこしお時間を頂戴してよろしいですか? 群臣を押さえていたとはいえ、王を討った以上、事態の収拾に手をかけねばなりません」
シェリルが、申し訳なさそうに言う。
「忙しいんだったら、私が見て来ようか?」
「いえ、それは……不安定な内宮を女神様お一人で歩かせるわけには……わかりました。急ぐ処理だけ、何人かに言伝して参りますので、すこしだけお待ちを」
言って、彼女は内宮門のほうにてってって、と駆けていく。
しばらくして、シェリルは騎士団長ほか騎士団の人たちを連れて戻ってきた。
「内宮はまだ安全ではありませんので、内宮の臣にはひとまず禁足措置をとらせます」
シェリルが説明する間にも、武装した騎士たちが、内宮のあちこちに散っていく。
「禁足って、部屋から出ないようにってこと? 牢に入れたり、処罰したりはしないの?」
「真っ当に職責を果たそうとする人間を処罰する法はありません……が、次代の王を考えた場合、先王に対する過剰な忠誠心は、職責を果たすに不適格と判断いたします。精査して不適格者には暇をとらせましょう」
なるほど……まあ、それが妥当だよね。
かわいそうな気もするけど、かわいそうだからって、次の王様の安全を脅かしていいものじゃないし。
「……忠をもって不適格とされた人間が、わたしからの配慮を求めるとは思えませんが……困窮する者があれば、迂回して支援いたしましょう」
顔に出ていたのか、シェリルはそうつけ加えた。
「そういえば、そろそろアルミラが出ても大丈夫?」
「問題ありません。巫女アルミラのことは、すでに騎士団にも伝えております」
おお、さすが根回しが早い。
アルミラを携帯ハウスから出すと、さっそく王妃の部屋に向かうことにする。
「こちらです」
シェリルの先導に従い、火竜王が背にしていた正面の建物に入る。
しかし、王妃の部屋だという左手すぐの部屋には、目的の人物は居なかった。
「……いません、わね」
アルミラが、気勢を削がれたように声を落とす。
「火竜王は王妃オニキスを殺めた、とおっしゃっておりました。であれば、現場は竜洞の間――王の部屋かもしれません」
「じゃあ、そっちに行こう」
中央を渡り、右手すぐの部屋に入る。
王の私室は、そんなに広くない。
ただ、四方にカーテンが巡らされ、調度も一見して豪華なものだ。
そんな部屋のど真ん中。刺繍の施された赤い敷物の上に、なお赤く。鮮血が広がっていた。
「血の量から見ても、たぶん致命傷……だけど」
「誰も……いませんわね」
思わずアルミラと顔を見合わせる。
影の魔女は敷物を一瞥すると、床をたどりながら、奥向きのカーテンを持ち上げる。
あらわれたのは、白い壁面。
ただし、その一部が赤く濡れている。
「……誰かが隠し扉を使ったようです」
「隠し扉?」
「ええ」
うなずいて、黒髪の少女は赤く濡れた壁面を押す。
すると壁面が割れて、隙間から真っ暗な闇が、顔を覗かせた。
すごい、継ぎ目なんて全然見えなかった。すさまじい職人技だ。
「オニキスが生きてて、ここから逃げた?」
「とは、考えにくいですね。なにせこの出血です。魔女でも生きていられないでしょう。ましてやあれは常人です。王妃の遺骸が辱められぬよう、火竜王が手配したと思われますが……」
私が首を傾けると、シェリルは床に視線を向けながら答えた。
まあ、常識的に考えて致死量だし、そう考えるのが順当か。
「でも、オニキスって本当に常人なの? アトランティエでも、どう考えても死んでるって状況で生きてたけど」
「すくなくとも、あれからは魔力を感知できませんでした。アトランティエの件でも、運がよかっただけだと言っておりましたが……」
私の問いに、シェリルも困ったように首を傾けた。
「でも、誰かがオニキスの死体を持ち出したのなら、確認しとかなきゃだよね」
九割がた死んでるとしても、ここで確認しとかなきゃ気味が悪い。
それに、ここまで来たんだから、因縁の相手の最後は見届けときたい。
「でしたら、すこしお待ちを。ここから追うとなれば、時間がかかります。その旨を騎士団長に伝えておかないと、無用の混乱が生じます」
「時間がかかる……この通路、どこに通じてるの?」
「火竜神殿ですね。ほかに外宮――剣の宮殿にある王剣の間と、東の園、それから城壁の東棟にも通じておりますが、さらに隠された通路を通らねばなりません」
「よかったら、私たちだけで行こうか?」
私の提案に、黒髪の少女は首を左右に振る。
「隠し通路の分岐と、そこを通った痕跡は、わたしでなければわからないでしょう。なにより、不測の事態が生じている以上、わたしも確認しておかねばなりません――巫女アルミラ。よろしければ、あなたの通信羽根をお貸しいただけないでしょうか? こちらでの不測に備えて、騎士団長に預けておきたいのです」
「え、ええ……かまいませんわよね、タツキさん?」
「うん。それが一番よさげかな?」
確認するアルミラに、了承の意を示す。
「では……」
と、アルミラから羽根を預かると、黒髪の少女は一礼して部屋を出た。
騎士団長がすぐそこにいたんだろう。シェリルはほとんど時間をかけずに戻ってきた。
「――お待たせしました。参りましょう」
「お待ちくださいまし」
言って、ふたたび隠し扉に向かうシェリルを、アルミラが呼びとめた。
「気をつけてくださいましね。奥に敵が潜んでるかもしれませんわ」
ああ、敵が待ち構えてて、暗がりからブスリといかれる可能性もあるのか。
「じゃあ、私が行こうか? 斬られても大丈夫だし」
「いや、本気で国際問題なので、わたしに先に行かせてくださ――」
シェリルが言い終える前に、私はさっさと扉を開いて中に入る。
「まっ、待つのだわ!?」
「誰が見ているわけでもなし、遠慮しないでいいよ。キミに万一のことがあったら、目も当てられないから」
シェリルがすっごいあわててるけど、聞かない。
この状況で彼女まで倒れちゃったら、ものすごい勢いで国が傾く。
杞憂かもしれないけど、そんな可能性を考えたら、鉄壁な私が前に出た方が、心臓に優しい。
「よし、行こうか……」
扉の先は、降りる階段になっていた。
壁面に照明などはなく、ひどく薄暗い。
私の髪が輝いてるから、明かりには不自由しないけど。
「足元に気をつけて」
言いながら、ゆっくりと階段を降りていく。
しばらく降りると、水平な地面にたどり着いた。
通路は、奥に向かってまっすぐに伸びている。
道幅は、人一人なら、通るのに不自由しない程度。
私の髪の、ほのかな輝きを頼りに、通路を進んでいく。
「……ふむ」
途中何箇所かで、背後のシェリルは壁を探った。
「……剣の宮殿や城壁への通路を使った形跡はありません。ここを通った者は、火竜神殿に出ているはずです」
「よし、行こう。二人とも、気をつけて」
脱走者の痕跡が見えないことに、少しだけ、焦りを覚えながら、私は振り返って二人に声をかけた。
◆
階段を上り、天井を持ち上げると、光が差し込んできた。
ひょこりと顔を出すと、正面に、見覚えのある火竜神殿の威容。
と、神殿の正面に、人が倒れてるのが見えた。
女だ。黒髪で、赤いドレスの一部が赤黒く染まってる。たぶん血だ。ってことは、おそらく王妃オニキスその人。
「よっ……と」
隠し扉を完全に開いてしまって、地上に出ようとした、その時。
「やああああっ!」
叫びとともに、白い刃が閃いた。
視線をやると、若い少年だ。
刃は、杖から発した魔力の刃。
振り下ろされる速度はそれなりに速いけど……正直なにもしなくていいレベル。
「――がっ!?」
まあ、魔力の刃が私に届く前に、シェリルさんの影の一撃が入ったけど。
横頭部に打撃めいた影の一撃をくらった少年は、完全にノックアウトされてしまう。
「冷や汗をかきました……ご無事ですか?」
「おかげさまでね……シェリル。あれがオニキスで間違いない?」
外に出ると、あとから出てきたシェリルに尋ねる。
少年のことも気になるけど、重要じゃないし後でいいだろう。気絶してるし。
「ええ、まず間違いなく」
言いながら、みんなで倒れたままの女に歩み寄る。
女は、仰向けに倒れている。
深紅のドレスは、袈裟がけに斬り下ろされたためだろう。大きく破れてる。
その下に見える肌には、深く生々しい刀傷が刻まれており、そこから大量に出血があったのか、ドレスは重く濡れている。
刀傷に対して、服の破れがすこし大きい気がするけど、よく考えたら斬られた人って見たことないな。こういう感じになるんだ。
「……間違いありません。アニスですわ」
アルミラが、静かにつぶやいた。
因縁の相手だ。心穏やかでいられないはずだけど、アルミラの表情に感情の揺れはない。
本当にどうでもいいと感じてて、だから何の感情も浮かんでないなら、それはそれでちょっと怖いけど。
「う……」
ふいに、女が声を上げた。
――あり得ない。
アニス=オニキスの傷は、素人目に見ても致命傷だった。
いや、奇跡的に内臓や重要な血管に傷を負ってなかったとしても、流した血の量を考えれば、出血多量で死亡確定だ。
そして、断言してもいい。
さっきまでこの女は、間違いなく死んでいた。
呼吸などしていなかった。顔色は土気色で死人のそれだった。
だというのに。
女は、呼吸を再開した。
心臓は脈動し傷口からふたたび血が流れ始め、その傷口も、ゆっくりと、だが確実にふさがっていく。
「――くっ!?」
アルミラが、猫足立ちで身構える。
影の魔女シェリルは、あまりのことに絶句している。
そして女は目を開いた。
暗い暗い、深淵のような漆黒の瞳だった。




