その100 王の最後を見届けよう
剣の宮殿は、短期間のうちに影の魔女シェリルの手に落ちた。
その状況を歓迎しないであろう火竜王からのリアクションは、しかし無い。
「火竜王は?」
シェリルは、協力者となった騎士団長に問う。
「宰相閣下の動きを察知して、内宮に篭もられました。王剣を携えておいでです」
「よい判断です。あそこは王の私空間。王個人に忠誠を捧げる者も多い。そして王剣――竜麟烈火は王権の象徴。わたしと戦うにしろ、交渉するにせよ、不可欠なものです」
「乗り込みますか?」
「やめておきましょう。きれい事を言うようですが、流れる血は最小限でいい……内宮門、それから、各所脱出路を固めておいてください。わたしが決着をつけましょう」
「……大丈夫?」
心配になって尋ねる。
彼女はつい昨日まで病床に伏せっていた半病人だ。
対して火竜王は王族。それも魔女を輩出してることを考えれば、勇者の子孫。魔法を使える可能性が高い。おまけに、聞くからに物騒っぽい武器を持ってるとなると……心配だ。
気遣う私に、影の魔女シェリルはこそばゆいような笑顔を浮かべた。
「ここで倒れるようなら、ローデシアに安定をもたらすことなど、とても出来ません……とはいえ、無事を信じていただくには、いかにも頼りない状態だということは、自分でもわかっております。ですが、どうか決着は私の手で」
「うん、私個人はそれでいいけど……ちゃんと見届けさせてほしいかな。火竜王と王妃オニキスとの決着は、私と……アルミラは、見とかなきゃいけないと思うから」
王妃オニキスは、因縁の相手だ。
アルミラは当然だけど、私にとっても、そうだ。
顔すら見たことがないのに、その影響は、良きにつけ悪しきにつけ、大きすぎる。
永遠にその機会がなくなる前に、どうしても会っておかなくちゃいけない。そう思う。
「……わかりました。どうか、見届けてください」
私の表情を、見て。
黒髪の少女は、静かにうなずいた。
◆
内宮に続く門を通る。
空気が変わった。すっごいピリピリしてる。
不要な装飾を省きながらも、洗練された機能美を感じさせる内宮。
左右前方に翼を広げたような建物の、正面。凹凸のまったくない石畳の道を塞ぐようにして、二十ほどの小集団が、こちらに向けて杖を構えている。
その先頭に、壮年の男が立っていた。
異様な男だった。
やつれた頬。落ちくぼんだ瞳。目の周りに、はっきりと刻まれたクマ。
油断なく鎧を着込み、兜は被らず代わりとばかりに王冠を頭に乗せ、深紅のマントを羽織っている。
男は、杖突くようにして深紅の剣を地に突き刺していた。
おそらくあれこそが王剣・竜麟烈火。
「痩せましたね、火竜王」
「滑稽か? 余の――この姿が」
シェリルの声に、絞り出すように、男――火竜王は言葉を発する。
「そなたを排斥して、一人で座る玉座を欲した結果がこれよ……現実は、余の理想を映す鏡ではなかったわ」
くつくつと笑う。その声には、自嘲が込められている。
影の魔女シェリルは反駁する。
「玉座は、もとよりあなた一人のものだった。私はその分限を一切侵そうとは思わなかった……だが、あなたがそう感じていたというのなら、それはわたしの罪だったのでしょう。ですが、十八世火竜王ロナ。あなたは罪を犯した。その責は、あなた自身で償わなくてはなりません」
「ほう……宰相殿が我が非をどう囀るのか、聞いてやろうか」
「その座にあることによって、国を滅ぼそうとしている」
火竜王の、戯れたような言葉に、影の魔女シェリルは告げる。
「――それこそが、あなたの唯一にして絶対の罪です」
短く、抉るような、鋭い言葉だった。
「……ふん、くだらんな。南部や西部で諸侯が騒いでいるのは知っている。だが、それは国を乱しこそすれ、致命の一撃をもたらすものではあるまい? 宰相シェリル。そなたが国を覆す意志さえ持たねばな」
言って、火竜王は私に目を向ける。
なんというか、取り憑かれてるような感じでちょっと怖い。
「手の者から聞いた。異国の女神を呼び込み、乱成す貴様に正義はあるか?」
責めるような言葉にも、シェリルは揺らがない。
静かに、淡々と、火竜王の錯誤を解く。
「火竜王。女神タツキがここにある。その原因こそが、亡国に繋がるあなたの罪なのです」
「原因、だと?」
「ええ――ひとつは、魚人を扇動してユリシス王国に差し向け、首都カイザリアに看過しえない被害を与えたこと。もうひとつは、神竜アトランティエを激怒させ、王都アトランティエに壊滅的な被害を与えたオニキスを王妃に据え、保護したこと。そのふたつが、女神タツキの、ひいてはアトランティエ、ユリシス両国の怒りを買いました」
「……なるほどな」
火竜王は、疲れたように息を吐いた。
「そんなところでも、余は国に綻びを入れていたか……」
「お答えください。なぜ、死の島の魚人を動かしたのですか」
「魚人どもには、風の都市ラピュロスを攻めさせる予定だった……執着の元を奪っても、しぶとく生き続けるそなたを、討たせるためにな」
「……あれは神鮫アートマルグが滅ぼした幻獣の眷属です。ユリシスと戦う折の隠し札ではありますが、けっして意のままに操る事が出来る類のものではありません。どんな取引をしたのかは分かりませんが……万一交渉の過程で彼らが神鮫の死を知ったなら、あの結果になるのは当然です」
「そうか……」
火竜王は、ふたたび息を吐く。
「一事が万事、その調子であった。知ったつもりの政が、そなた一人居らぬだけで、たやすく牙をむく。あきらめねばあきらめぬほどに、国は傾いていった」
「……オニキスを妃に望まれたのは、なぜです?」
「わからぬか……あやつが、アトランティエを破滅に追いやったからだ」
シェリルの問いに、火竜王は暗い笑いを浮かべ、答える。
「――余は、飽いておった。変わらぬ日々に。余が居らずとも変わらぬであろうこの国に。そしてシェリル。余が生まれるはるか以前から宰相であり続け、そして余が死んで後も宰相であり続けるであろうおぬしの存在に。あの女が居れば、なにかが変わるのではないかと期待したのだ……なにより、神竜フラムの庇護下にあるというのが素晴らしい。おぬしとて下手に手は出せぬ……無理を通しても手に入れる価値のある女であった」
「王妃を排してでも、ですか」
「ああ。その通りだ。貞淑なだけが取柄の、子も産まぬつまらぬ女であったが……なぜかあの女に対しては悪辣でな。切り捨てる格好の口実を、自分で用意してくれたわ」
「その、オニキスは?」
「斬った。打算とはいえ愛した女だ。おぬしらの手にかかるのは忍びないゆえな」
火竜王ははっきりと言った。
しまった。そういう可能性もあったんだ。
まあ、いまさらだ。仕方ない。遺体は後でアルミラと確認しておこう。
……なんというか、我ながら物騒というか血なまぐさいこと考えてるなあ。
「ここに残るは我が最後の軍勢だ……宰相シェリルよ。余の希望と未来と自尊心を、ことごとく打ち砕いた女よ――最後は余自身を討ち砕いて見せよ!」
叫んで、火竜王は王剣を天にかざす。
竜麟烈火。その名のごとく、王剣は刀身を灼熱させ、猛烈な炎を纏った。
「応じましょう。十八世火竜王ロナ……我が王よ。全力をもって、あなたをこの国の礎といたしましょう!」
言葉とともに、シェリルの足元に落ちた影が放射状に広がった。
影を使った魔法。
影の魔女の、影の魔女たるゆえんだろう。
でも、彼女は万全じゃない。
全盛時の三割程度。王剣を持つ火竜王相手では分が悪い。
かといって、私が加勢するわけにはいかない。
決着をつけるのは、あくまで彼女でなければならない。
だから、私はただ応援する。
――この誇り高い魔女に、祝福を。
心の中で祈ると、すこしだけ、魔力が持っていかれた。
同時に、シェリルが驚いた表情で自分の体を確かめ……静かに目を伏せると、魔力を迸らせた。おお、一時的なものだろうけど、出力五割程度にはなってるっぽい?
「王剣・竜麟烈火よ! 我が敵を貫け!」
「――影よ、影よ……我が王を縊れ」
吼え猛る火竜王。
静かに唱える影の魔女。
竜麟烈火から伸びた紅蓮の刃が影の魔女に向けて振り下ろされ。
その刃が魔女に届く寸前に――シェリルから放射状に伸びた、刃のごとき八本の影が、火竜王の全身に絡みついた。
ごきり、と、鈍い音が鳴る。
「火竜王!」
「我らが王っ!」
その、音に。
火竜王最後の軍団は、主の命が永遠に失われた事を知って、声を上げた。
「影の魔女よ! 我が王を害し奉った賊よ! 貴様に呪いあれ! だが、よくぞ王を苦しみから救ってくれた! 我ら火竜王に従い、ともに冥府に参る!」
もっとも身分が高いと思われる壮年の術師が、影の魔女に言い放つ。
同時に全員が杖を己に向けて……つぎの瞬間、彼らは紅蓮の炎に包まれた。
「……王よ。あなたは名君ではなかったが……」
言いかけて、シェリルは言葉を止めた。
気持ちはわかる。彼らの壮絶な行いを、自分の言葉で陳腐化してしまうことにためらいを覚えたんだろう。
傍目にもそう思えるほど、彼らのありかたは――美しかった。
◆
影の魔女シェリルは、火竜王の手から離れた王剣・竜麟烈火を拾い上げて、唱える。
「神竜フラムよご照覧あれ! 竜麟烈火は我が手に! いまこのときより、ローデシアの王政は、この影の魔女が摂行する!」
その事実を、国中に告げるように。
竜麟烈火から紅蓮の火柱が、天に向かって上がった。




