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3-08 歌と夢幻

 クイーンティーリスの中旬を過ぎた頃、エフェメラたちはようやく公都ウィーダに到着した。


 公都ウィーダは乾燥した暑さと潮の香りで満ちていた。船着場には何隻もの木船もくせんが並び、ねり色ばかりの石造の建物にはおよそ五万人の人々が暮らす。海の都と呼ばれるにふさわしく、どこにいても海を見ることができる、紺碧に沿い息づく都だ。


 ウィンダル宮殿は街の最奥に海に面して建っていた。高さはないが、広大な土地にどこまでも建物が続く。正面から見える屋根は半円球の空色で、屋根に描かれた金色の波模様は日の光を眩しく反射していた。


 門から正面玄関へ続く道の両脇には、澄んだ水が流れる人工の小川が作られていた。流れているのは海水だとディランが教えてくれた。扉が開け放たれた涼しげな正面玄関に入ると、エフェメラはようやく暑い陽射しから解放された。


(ふう……。暑かったわ)


 さすが大陸最南端の都だ。少し歩くだけで汗が吹き出てくる。しかし宮殿の中に入ってしまえば、天井も壁も石で造ってあるせいか、空気がひんやりとしていて気持ちが良かった。


 玄関広間では胸元と腹を大胆に出した宮殿の女官が待っていた。ウィンダル公国の正装ドレスは、上半身は胸を隠す程度の露出度の高いもので、女官の仕事着もそれに模したものだ。女官の案内で、エフェメラとディランは謁見の間へ向かう。門の中まで一緒にきた数名の兵士と、ローザにヴィオーラ、ガルセクは、宮殿内の従者の部屋へと連れて行かれた。


 謁見の間の大扉が開くと、いきなり音楽が奏でられ始めた。太鼓と弦楽器の軽快な音楽に合わせ、十数人の踊り子たちが現れる。大扇を振り腰をくねらせ、褐色の肌の踊り子たちは妖艶な笑顔を見せる。エフェメラは驚き目を瞬かせたが、ディランは平常時と変わらない態度だ。


 やがて踊り子たちは大扇を中央にかざし縦に並ぶ。扇は手前から順々に取り払われる。そして一番奥から派手な格好をした中年男性が現れた。盛大な音楽がぴたりと停止する。


 男は上半身裸で、首回りにはじゃらじゃらと宝石をつけていた。布を巻きつけた頭からは癖のある黒髪が少し見え、下衣を締める布の上にはお腹がぽよんと乗っていた。


「待ってたよーっ! ディラン王子にエフェメラ妃! ようこそ、ウィンダル公国へ!」


 髭をきれいに剃ったまん丸い顔が破顔する。ディランはさらりと笑顔を作った。


「歓迎ありがとうございます、大公。感激いたしました」

「完璧だったろう? こっちに来るって連絡を受けてから、段取りを練りに練って毎日練習してたんだっ」


 ウィンダル公国君主、ウィンダル大公シュトホルムが陽気に言った。ディランと握手を交わし、それからエフェメラの手を掴む。肉厚な手の平だ。


 シュトホルムはエフェメラの手袋をつけた手の甲に熱い口づけをした。


「君がスプリアの王女さまかぁ。きれいだね」

「あ、ありがとう、ございます」


 やや気圧され、エフェメラはつい笑顔を引きつらせる。元気溢れる若々しい君主だ。シュトホルムは小太りのわりには軽やかな動きで椅子に戻っていく。


「予定通りの到着だね。無事に到着して何よりだよ。まずは結婚おめでとう、だね」


 シュトホルムがさっと右手を上げる。すると楽隊が短い音色を奏でた。祝福の音色らしい。


「知らせは聞いてたよ。アプリ―リスに婚儀を上げたばかりなんて、新婚で熱々だ。うらやましいなぁ。ね、アラベリーゼ?」


 シュトホルムが同意を求めたのは椅子の横に立っていた少女だ。歳はエフェメラと同じくらいで、腰まで伸びる長い髪は、海を溶かし込んだような紺青の色をしている。瞳は金色で、上半身は正装である胸を覆っているだけのドレス、下衣も前が大きく開いた造りで白い足が覗いていた。


「わたくしは、大公さまとまだ新婚の気分でおりますわ。昨年婚姻したばかりですから」


 透き通るような声で返し、少女は誘惑するようにシュトホルムに体を寄せる。シュトホルムは少女の腰を抱き寄せながらエフェメラとディランを見た。


「僕の二十四番目の妻、アラベリーゼだよ。美人だろう?」

「二十四?」


 エフェメラは思わず声に出して驚いてしまった。不躾だったとすぐに口に手を当てる。


「申し訳ございません」


 謝ったのはディランだ。ディランに驚く様子はない。シュトホルムが非常に多妻であることは承知済みなのだろう。


「もっ、申し訳ありません」


 エフェメラも慌てて謝った。新婚旅行だと浮かれてばかりで、ウィンダル公国や君主について勉強をしていなかった。まだまだ王子妃としての自覚が足りないなと苦い気持ちになる。


「やだなー。気にしないで気にしないで。――サンドリームは堅い感じだもんね。国風の違いってやつ? アイヴァンにもさ、人生は一度切りなんだし、もっと楽しめばいいんじゃないってよく言ったものだけど、アイヴァンの頭って固いから、何年経ってもサンドリームもお堅いままだよね」

「一千年培ってきた、我が国の風習がありますので」

「おおっ、アイヴァンと同じ答え。前に来たリチャード王子は僕に賛同してくれたけど、君はアイヴァンと同じでお堅い性格なのかな。――十年前に突如王家に加わった第三王子は、日夜遊んでばかりって噂で聞いてたんだけど……ちょっと、違うみたいだね」


 おちゃらけていた声が一瞬だけ低くなった。ディランは無言を返す。シュトホルムは再び笑顔になり、明るく言った。


「まあ、おしゃべりはおいしいものでも食べながら、だよね。もうお昼だし、お腹空いてるだろう? 大広間にウィンダル料理をたっぷり用意させてるから、どうぞたくさん食べてってよ」


 エフェメラたちは大広間に移動した。海の魚介をふんだんに使用した郷土料理は、サンドリーム王国でもスプリア王国でも見ないものばかりだ。大広間の内装も、ウィンダル公国特有の目がちかちかとしてくるような細かな羅列模様が使われている。


 目でも舌でもウィンダル公国を味わうことができて、エフェメラは楽しい気分で満たされた。再び鳴り出した音楽や、肌を露出した踊り子たちの踊りも、何もかもが初めての雰囲気でわくわくと心が躍った。


 腹も膨れ、夕刻に差しかかってくると、しかしエフェメラは飽きを感じてきた。宴の後はすぐに部屋で休めるのかと思ったが、ディランはシュトホルムや大公補佐官たちと話をしていてまだ時間がかかりそうだ。


 初めこそは、エフェメラもディランたちの会話を懸命に聞いていた。何と言ってもこれは外交だ。だがわからない単語も多く、話も難しく、だんだんと疲れてきてしまった。


 弦楽器の音もすっかり聞き慣れた。踊り子の踊りは、男性が見たほうが楽しめる気もする。エフェメラは手持ちぶさたになり、飲み物をちびちびと飲みながら宴に加わっているふりをした。


(ローザたちは、どうしてるかしら)


 三人は宮殿のどこかの部屋にいるはずだ。護衛としてサンドリーム王国からきた兵士のほとんどは街で宿をとったが、ローザとヴィオーラとガルセクは宮殿に部屋をとってもらった。彼らのところに行きたいなとエフェメラは考える。ディランを見れば、シュトホルムや補佐官たちと酒を飲み、夜まで宴をする勢いだ。


 大広間には二十四人の大公妃たちもいた。大公妃たちは大広間から消えたり戻って来たりと自由に過ごしている。たまにエフェメラに話かけてくれたが、そのうち踊り出したりまた料理を頼んだりと悠々としていた。


 中にはシュトホルムの周りに寄り添う大公妃もいた。大公妃はシュトホルムの酌のついでなのか、ディランにも酌をしていた。エフェメラは自分がしたかったと思ったが、男性たちの話の腰を折らずに酌をする技術がはたしてあるのか、という不安に負けた。


「――殿方のお話って、どうにも飽きてしまいますわよね」


 エフェメラに声をかけてきたのは、最も新しい妃である第二十四妃アラベリーゼだった。アラベリーゼはずっと静かにシュトホルムに寄り添っていたが、気を遣ってエフェメラのそばに来てくれたらしかった。


「えっと、そうですね。……いろいろと、難しくて」


 エフェメラはちらちらとアラベリーゼを見ながら答える。アラベリーゼは上品な美しさを放っていた。だが近くで見れば、やはりエフェメラ同様まだ少女だということがわかる。自分の親と同じ歳ほどの男と結婚するなど、どのような感じがするのだろうと、余計なことを考える。


「ずっと座っているのは、退屈ではありませんか?」

「実は、そうでして……」

「あちらから庭へ出られるのですが、興味はございませんか?」



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