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「もしや、女性がたくさんいるお店に行っていた、なんてことはありませんよね?」
「ブラウと会ってただけだよ。今日でここを発つから」
ディランは淡泊に答えた。質問にうろたえるかなと思ったので、少し拍子抜けした。
「ブラウさんと……。それなら昨日そうとおっしゃってくだされば、わたしだってもう少し怒らなかった――」
かもしれないのに、と続けかけ、シーニーも一緒だった可能性が高いことに気づく。シーニーとも今日で別れるはずなのだ。慌てて確認しようとして、しかしディランの横顔にようやく違和感を持った。
「……ディランさま。なんだか少し、元気がありませんね」
「……え?」
「ああ、いえ。なんとなくそう感じたというだけで、気のせいだったら、それでよいのですが」
ディランは虚を衝かれたようだったが、すぐに普段通りに返した。
「いつもと変わらないよ」
「そう……ですか?」
「もしかしたら、ウィーダから離れがたくなってるのかもしれないな。ここには、ひと月もいたから」
「それはわたしもです。……寂しい、ですよね」
玄関広間へ着くと、見送りに来たアラべリーゼが立っていた。開け放たれた玄関扉からは、外門までが見通せ、外門の前にサンドル王家の紋章が入った馬車が待機している。
「楽しいひと月でしたわ。お気をつけてお帰りくださいな」
「わたしも楽しかったです。いろいろと、ありがとうございました」
「よろしければ、またいらしてくださいね。――大公さまも見送りにいらっしゃると思うのですが……」
アラベリーゼは首を傾げ廊下を振り返る。
「どうされたのかしら。もう出発の時刻なのに」
「あっ、ちょうど良かったです。実は、もう少しだけ出発を遅らせたくて」
「どうかしたのか?」
ディランが訊いた。
「ニックが来るはずなんです。朝に来ると伝言が残してあって。……まだかしら」
エフェメラは階段を下り、玄関広間から一人外へ出た。ニックの姿が見えないか、門の方角を見たり海の方角を見たりする。どこから忍び込んでくるかわからない。
ディランは、そんなエフェメラを後方から見つめた。するとアラベリーゼに話しかけられた。
「エフェメラ姫は、大変かわいらしい方ですわね。ディラン王子とは、あまり合っていない気がしますわ」
一拍置いて、ディランは苦笑いを作った。
「そうですね。私は、彼女と違ってありふれた容姿ですから」
「外見の話をしているのではありません。中身のお話ですわ。――あなたは彼女と違って、まるで嘘で固めた人形のよう」
「……」
「昨日の夜中、郊外の倉庫で火事がありました。現在は使われていない倉庫で、普通なら火が出るなど考えられないようなところです。ご存知ですか?」
アラベリーゼの口調は柔らかだ。視線はディランではなく前方、外門まで続く水路に挟まれた道にある。外門までの道は、初日に到着した時同様熱い太陽に照らされていた。今日も天気がいい。道にいるエフェメラは、日向の下で暑そうにしている。
「いえ。そのような火事があったとは。存じ上げませんでした」
「まだ調査中ですが、火事の最中、建物の中は石釜状態。ほぼ全焼だったそうです。しかし、中に何人もの人間がいたらしいという確認はとれています。残念ながら、損傷が激しく身元の特定は不可能なようですが」
「それはまた……凄惨な事故ですね」
「有益な目撃証言も得られず、わからないことだらけです。不可解な事件で、調査は難航するでしょう。――実は、昨夜はもう一つ不可解な出来事がありました。わたくしに関することなのですが」
アラベリーゼはディランを見上げた。
「わたくしの従者が一人、朝になっても帰って来ないのです。昨夜、酒宴の後、あなたが外出された際につけた従者です。何かお心当たりはございませんか? 火事の件も含めて」
態度は穏やかさを保っていたが、アラべリーゼの金色の瞳には怒りがあった。ディランは肩をすくめて見せた。
「私の監視をしていたのですか? ひどいですね」
「おとぼけは結構ですわ。このひと月の間、わたくしはあなたが外出する際はいつも人をつけさせておりました。それを毎度まいておいて、いまさら気づいていないなど、白々しいにもほどがあります」
「……私を尾行していたことについて、大公はご存じなのですか」
「大公さまはこの件とは関係ありません。責があるとすればわたくしのみです」
「そう簡単に考えることはできないでしょう。……困りましたね。陛下に報告すれば、さぞ哀しまれることでしょう」
アラベリーゼの肩に力が入る。
「そうして脅し、答えを煙に巻くおつもりですか。――もう一度お尋ねします、ディラン王子。火事とわたくしの従者について、お心当たりはございませんか?」
アラべリーゼは挑むようにディランを見上げた。ディランは一瞬目を伏せてから無感情に返した。
「まったく」
「……よくもまあ、そのような嘘を、軽々と」
アラべリーゼは拳を握りしめた。ほっそりとした指先が手の平に食い込む。
「一年ほど前でしょうか。市民の一部で、反抗勢力が育ち始めました。こうした動きは多々ありますが、今回の動きは他と比べると大きなものでした。わたくしは彼らの存在に気づき、動向を観察しておりました。――いま、彼らの関係者を当たっています。しかし見つかることはないでしょう。……酷いことを、するのですね」
悔しさか、怒りか、哀しみか、あるいはそのすべてか、アラべリーゼの声は震えていた。
「彼らの祈りの声が、あなたには聞こえなかったのですか。あなた方のやり方はいつもこうです。力でねじ伏せなかったことにしてしまう。――彼らはただ、この国に種を植えたかっただけなのです。ウィンダルの国民が変わろうとする、意志の種を。サンドリーム王国に奪われ続ける未来ではなく、自分たちのためだけの未来を手にしようとする心を、みなに持って欲しかった、ただそれだけだったのです。それなのに、あなた方は」
「だから彼らを見逃していたと? 我々への反抗集団を容認するなど、大公家としては問題ではありませんか?」
「そうかもしれません。ですが、公国を想うならば正しい選択です。……わたくしが密かに肩入れするくらい、構わないでしょう」
ディランは苦笑した。
「それで、うまくいかなくなったから私に文句を言っているわけですか。かわいらしいことですね」
「あのような一方的なやり方は、あまりにも惨い。あなた方が彼らを見逃したところで、サンドリーム王国が大きな危機に陥ることなどないでしょうに」
「そこまで公国を想うなら、市民頼みではなくあなた方が動けばいいではないですか。この国の現状は、大公の意志なのだから」
「……意志、ですって? わたくしたちの意志でこの現状があると、そうおっしゃりたいのですか?」
アラべリーゼは愕然と目を見開いた後、大きな声を出した。
「そのようなこと、あるわけがないでしょう! あなた方が、わたくしたちにこのように選ばせたのではないですか! 数百年とかけ、歴代の大公すべてに対し、反抗の意志が築けないようどんな手を使ってでも潰してきた。何度も何度も――だからわたくしたちは、いまこのような現状から抜け出せなくなっていると言うのに!」
ディランとアラベリーゼのやりとりに気づいたエフェメラが階段まで戻ってきた。エフェメラは階段下から不安げに二人を見上げる。
「それなのに、どうしてあなたがそう簡単に、わたくしたちが選んだなどと……!」
ディランは涙を溜めたアラベリーゼの瞳を無言で見返した。
アラベリーゼは外見や装いは大人だが、まだ十六歳だ。大公補佐官の孫娘で、政治については詳しいのだろうが、やはりまだ若い。経験が圧倒的に足らない。その細い足で国内外を旅したことすらないのだろう。
いまのアラベリーゼにうまく対応するにはどうすればいいか、考えるが、今日は頭の回転が悪い。最後に見たニックの顔が、ずっと頭にちらついて離れない。
適切な言葉を思いつく前に、シュトホルムが玄関広間に現れた。