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3-49

 窓の内側は小部屋になっていた。床は埃だらけで、潮風の影響か部屋全体がかび臭い。鼻に手を当てつつ、気配を消したまま小部屋から出る。警戒しながら廊下を進んでいくと、曲がり角の向こうから若い男の声がした。


「ようやく一人来ただけか。やっぱりオレたちも中に行ったほうが良かったんじゃねえ?」


 ニックは角から声のする方角を覗く。青年が二人いた。黒髪の青年と銀髪の青年だ。


「いらないって言ってたし、いいんじゃない。むしろ目を使うなら、僕たちが行っても邪魔になるだけだろうし」

「確かに、あのブラウって野郎なんか、『間違った』とか言って平気でオレらのこと殺してそう」


 青年たちの顔に見覚えがあるような気がしながら、ニックは彼らの足元に気づく。悲鳴を上げそうになった。


(ラビ、にいちゃ……)


 青年たちの足元にラビが倒れていた。いつも楽しげに細められていた目は大きく見開かれ、深く貫かれた胸からは鮮血が大量に流れている。指も足も動く気配がない。事切れていた。床に広まっていく血から、錆びた鉄の臭いが漂ってくる。


 ニックは顔を引っ込め壁に背をつけた。心臓が大きく鳴っていた。


(ラビ兄が、殺された? あの二人に?)


 死体のそばで平然に話す青年たちに寒気がした。腕を抱き目を閉じても、いま見た光景が頭から離れない。血の臭いが全身にまとわりつき、気分が悪くて吐きそうだ。ニックは無意識のうちに反対方向へ向け廊下を歩き出す。


(ハロルドは? ハロルドは、大丈夫かな)


 麻痺した脳で、ニックはただそれだけを考え歩いた。


 廊下は静かだった。進んでいくうちにさらに鉄の臭いが強くなった。淡い灯りが漏れている部屋を見つけ、ニックは足音を消したままその部屋へ入った。荷置き用の広い部屋だった。木箱がたくさん置いてあり、中に細長い剣が何本もしまってある。床に、火の消えた手燭が倒れていた。一緒にたくさんの人間も倒れていた。


 すぐには彼らが亡くなっているとわからなかった。外傷がまったくなかったからだ。よく見れば、瞬きも呼吸もしていない。


 夢を見ているように現実味のない光景だった。床に何十という死体が転がり、そのうちのいくつかが深い傷を負い血を流している。鼻をつく鉄の臭いはそれらの死体から発せられているものらしかった。広い部屋には残った蝋燭の火がいくつか揺れているだけで、ほかに動くものはまったくない。


 ニックは思考が追いつかないまま呆然と歩いた。そして部屋の中央まで来た時に、ハロルドを見つけた。


「うわあっ!」


 気配を消していることも忘れ、大きな叫び声を上げて尻餅をついた。恐怖で全身が震える。無惨に転がるほかの死体と同じように、ハロルドも息をしていなかった。顔も服も、最後に見た時のまま、だが目を開けたまま動かなくなっていた。


「ハロ、ルド……」


 信じたくなかった。どうしてこんなことになっているのか。


「――ニック?」


 誰もいないと思った空間から、名を呼ばれた。ニックは気が動転したまま振り向いた。


 後方に三人の人間が立っていた。ちょうど柱の陰になっていて気づかなかった。ニックは何も考えられないまま、三人のうちの一人の名をぽつりと呼ぶ。


「ディラン、にいちゃん……」


   ×××


 生き残りがいないことを確認してすぐのことだった。広い空間に幼い叫び声が響いた。見ると、部屋の中央にニックが座り込んでいた。ディランは一瞬頭が真っ白になっていた。だから考えなしに、ニックの名を呼んでしまった。


 ニックは震える瞳でディランを見上げた。安堵の色が見えたのは束の間、すぐにディランが持つ剣とマントについた血痕に気づく。そして顔を青くした。シーニーが険しい顔でディランに近づいた。


「どうして子どもが……見張りは何をしてるのよ」


 ニックはシーニーとブラウの手にも武器があることに気づき、さらにおびえた。


 ディランはすぐに頭を回転させた。何故ニックがここにいるのか、そして、どう対応するべきか。サンドリーム王国の王子である自分がこの惨状に関わっていることを、他者に知られるわけにはいかない。しかし誤魔化すことが可能なのか。


 そしてもし誤魔化せないのなら、ニックをどうするべきか。


「ディラン兄ちゃん……あの、おれ……ハロルドを、さがそうと、思ったんだ。ハロルドのことが、心配で……」


 ニックはつっかえながら言葉を発した。話すことで冷静になろうとしているようだった。


「それで、ラビにいがいたから、あとを追いかけてきて……そしたら、ラビにいが死んでて……――そうだ。入り口にいた、あの二人――宮殿で、見たんだ。エフェメラ姉ちゃんと、話してて……」


 ニックは混乱するように頭を抱えた。小さな体をさらに小さくするように丸める。


「いみ、わかんないよ……なんで、こんな……。なんで、ハロルドが……」


 動けないディランに代わり、ブラウが前へ進み出た。ニックが顔を上げたのと同時にブラウは大剣を構えた。ディランは我に返り、ブラウの前に立った。


「ま、待ってくれ、ブラウ」

「ほかに侵入者の気配はない。さっさと片付けてここを出るぞ」

「いや、でも」

「情が移ってできねえっつうなら俺がやる。――退け、ディラン」

「おれを、殺すの?」


 背中でニックの声がした。振り向いて、目が合う。瞳には絶望があった。


「……ねえ。ディラン兄ちゃんが、これやったの? ……ハロルドを、殺したの?」

「……」

「やっぱり、サンドリームは悪い国だったの?」

「……ニック……」

「エフェメラ姉ちゃんと一緒に、おれをだましてたの?」

「彼女は、違う。君を騙してなんかない。……俺だけが……」

「……なんだよ、それ」


 ニックは瞳に涙を溢れさせた。


「やっぱり、ディラン兄ちゃんが殺したの? ハロルドを! ハロルドだけじゃない。こんなにいっぱい――こんなことするために、この国に来たの!?」


 冷たい石の床にぽたぽたと涙が落ちた。悲痛な声が部屋に響く。


「ひどいよ! おれ、ディランに兄ちゃんのこと、好きだったのに! 信じてたのに! なんで――なんでだよ! なんでハロルドが殺されないといけないんだ!!」


 無駄な会話だと、ブラウが再び前へ出ようとする。ディランはそれを制した。


 ニックに何かを言いたかった。ニックのためになる何かを――だが口からは言葉が出てこない。ニックは拳を握りしめ呟く。


「うそつき……うそつき……。サンドリームは、いい国かもしれないって思ったのに――やっぱり、そんなことなかったんだ」


 その呟きは、憎しみよりも哀しみのほうが深い気がした。ふいに、ニックが腰を上げて走り出す。逃げ出す気だ。とっさにブラウが追いかける。


 だが、大剣が届くより先にニックの首を斬ったのは、ディランの青い剣だった。



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