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ディランは頷いた。
「目も使うから問題ない。あっちはトウノクニの武器を使ってるから、戦いが長引けばこっちが不利になる。お前たちには向かない」
アーテルは片眉を上げたが、事前にトウノクニの武器の性能を伝えていたためか文句は言わなかった。
「じゃーオレたちは、大人しく門番してるよ。何かあったらすぐ呼べよ? こっちのお兄さんは、怪我してるみてえだし」
アーテルが気安げにブラウの肩に手を置いた。ブラウはその手を退けると、歩き出しながら低く返す。
「余計な気遣いはいらない。俺がお前に頼ることは、絶対にない」
ブラウの突き放す言い方に、アーテルは目を眇める。
「感じわりぃな。心配してやってんのに」
「勝手に心配しておいて、感謝して欲しいなんて、ずいぶん勝手なんだな」
「あ? ――あのさー。オレ、お前に何かしたかぁ? こっちが話振っても毎度無視しやがって。言っとくけどな、そっちがその気なら、いくら温厚なオレでも考えるところが――って、おい待て!」
ブラウは倉庫へ向かってしまった。シーニーも無言でついていく。アーテルは顔をしかめてからアルブスと歩き出した。
やっぱりこうなるかと、ディランは思った。前に一緒に仕事をした時も剣呑な雰囲気になった。原因はブラウやシーニーの側にあることが多いが、渓谷で外の人間を遠ざける教育がされていることを知っているディランとしては、二人を責めることもできない。
だからせめてはと思い、ディランは先月から今月の初めまで彼らが接触する事態を避けていた。幸い互いに分別はあるようで、仲は悪くとも仕事に差し支えはない。アーテルとブラウは、入り口にいた警護の二人を同時にひと突きし絶命させた。
ディランたちは倉庫の中央にある大部屋へ向かい、アーテルとアルブスはそのまま出入り口の内側に残る。大部屋へ着くまで、途中、数人の相手をした。だが時間をとられるほどの手練れはいなかった。中の造りが単純なため迷うことなく中央の部屋へ到着する。三人は姿を隠すことなく部屋の中へ入った。
広い空間には控えめな灯りが焚かれていた。壁際に置かれた荷箱の中には、大量のトウノクニの剣が見える。中にいた百人近くの若者たちは、ディランたちの登場に動揺していた。だがあらかじめ何かしらの注意があったのか、余計に騒ぎ立てることや腰にさげた剣ですぐさま攻撃してくる者はいなかった。
彼らの間をまっすぐ歩いていく。中心に、木箱に腰掛けたハロルドいた。
「誰か来るだろうとは思っていたが、まさか、王子殿下が直々にいらっしゃるとはな」
ハロルドは落ち着いていた。瞳を穏やかに細め、これから戦おうとしているとは思えないほど声にも敵意がない。
「王族というものは、温かいところで安全にしているものじゃないのか? 特にサンドリームのような、巨大で安寧な国ではなおのこと」
「何をもって安寧とするか。きっと、我々とあなたたちとでは、そこに違いがあるんだろう」
ディランが返すと、ハロルドは表情を消した。
「基準なんてものは、食べていくことに困らないかどうか、それ以外にはない。――貪欲過ぎるんだ、あんたらは」
「……ああ、そうだな。そうかもしれない」
ディランはハロルドをまっすぐ見た。その瞳に宿る、彼の強い祈りの火を見る。それは失くすにはあまりにも惜しい火に思えた。
「ただ、それでももう、――あなたと話すことはない」
ディランはその火を容易く消した。ハロルドの体は木箱の上で力を失い、冷たい床の上に滑り落ちる。理解し難い状況への刹那の静寂が流れた。シーニーとブラウが真横の人間を斬りつけたことを合図に、部屋は騒然となる。
予想外に指揮系統を失った集団は、混乱と怒りと哀しみを処理しきれないまま、次々と剣を抜いた。
×××
エフェメラと双子の侍女は驚くほど早く眠った。しばらく寝たふりをする必要もないほどだった。
ニックはエフェメラの幸せそうな寝顔を見て思わず笑う。何の悩みもなさそうな無防備な寝顔だ。ニックがいままで考えていた十五歳はもっと大人だが、エフェメラを見ていると人によるのだと思える。
「ごめんな、エフェメラ姉ちゃん」
囁き声で謝り、ニックは静かに寝台から抜け出た。そして書き置きを残そうと、月明かりを頼りに、卓の上の羽根ペンを手にとる。白紙の羊皮紙を一枚もらい、ニックはエフェメラへの伝言を書き始めた。
「たしか、あやまる時は、こんな文字を使うんだったよな。ハロルドがかいてたの、何度か見てるし……――うーん。『くる』って、どうかくんだったっけ。こんなことなら、ソフィア姉がおしえてくれるって言った時に、ちゃんと聞いとけばよかったな……」
文字を習っている者なら一瞬で書き上げるだろう短い文だ。悪戦苦闘の末、ニックは文章の最後に自分の名前を添え羽根ペンを置いた。
「よしっ! できた!」
しっかりと帽子をかぶり、気配を消しながら窓を出る。宮殿の門衛の隙をつき、門を抜けるのもお手の物だ。真夜中の街を、小さな足で駆けていく。
夜に子どもがいると目立つ繁華街の通りは避けた。目的地は自宅である酒場だ。酒場にハロルドがいなければ、彼が行きそうな場所をいくつか回るつもりだった。
最後にハロルドと別れた時から、ニックの胸は不自然にざわついていた。この感覚はニックの父と母がいなくなった日の前夜に似ている。ただの勘違いならば、それでいい。だがもし勘違いではなくまた独り置いて行かれることになるのなら、ニックはとてもではないが呑気に眠ってはいられなかった。
ハロルドが何かをしようとしていることをニックは知っていた。詳細はわからないが、隠そうとしているところを見ると、恐らくあまりいいことではないのだろう。
それでも独り残されるくらいなら、一緒に連れて行ってくれたほうがましだ。それがどんなに難しく危なくとも、ニックはハロルドについて行き、役に立つよう頑張ろうと決めていた。
(もっと、早く大人になれればいいのに。そうしたらきっと、ハロルドは仲間に入れてくれるんだ。父ちゃんと母ちゃんだって、おれを置いてはいかなかった)
何度も何度も強く思ったことだ。もう二度と、独りになりたくはなかった。
下町への入り口が見えてきた時、見知った青年が町から出てくるのが見えた。ハロルドの友人で、ニックとも親しくしてくれる明るい青年、ラビだ。背が小さいほうで、欠けた前歯は仕事で後輩を庇った時に殴られたためだと以前聞いた。
(ラビ兄、こんなおそくにどこ行くんだろ)
ラビはどこかへ急いでいるようだった。ニックに気づく様子もなく、人のいないひっそりとした道を小走りに進んでいく。
ニックは酒場に行くのをやめ、ラビを追いかけることにした。ハロルドとラビはよく一緒に行動している。だからラビが行く場所に向かったほうがハロルドがいる可能性が高い気がした。
ニックはラビに気づかれないよう後を追った。気づかれれば追い返されるに決まっている。少しだけハロルドの様子を確認したいだけだ。置きざりにされる気配がないか、明日また会うことができるのか、それだけを確かめたい。
やがて着いたラビの目的地は、いまは使われていない廃れた倉庫街だった。すぐそばには夜の暗い海があり、石の防波堤に穏やかな波が繰り返し当たる音が聞こえてくる。
ラビは倉庫の一つに入った。ニックは迷った。正面の入り口から入ればさすがに見つかってしまうだろう。ほかに入り口がないだろうかと倉庫周辺を探る。すると倉庫の壁の高い位置にいくつか窓があることに気がついた。板戸もない、換気用の小さな窓だ。ニックの体なら通り抜けることができそうだ。
窓に灯りの気配はない。中の闇に、ニックはごくりと息を呑む。だが帽子を力強くかぶり直すと、壁際の木箱に足をかけた。そしてそのまま身軽に窓まで上る。