3-47
ディランは考えるように間を置き、それからニックの頭に手を置いた。
「せっかく来たんだ。今夜はフィーの部屋に泊まってくといいんじゃないか?」
「え?」
ディランの提案に驚いたのはニックだけではなく、エフェメラもだ。
「無理そうか?」
「ディラン兄ちゃんとエフェメラ姉ちゃんがいいなら、大丈夫だけど……」
「ディランさま!?」
ディランは逃げるように後ずさりながら、また謝る。
「ごめん、フィー。やっぱり今夜は、ちょっと――今度ちゃんと話すから。じゃあ明日」
「ディランさまっ!」
ディランは身を翻し、そのまま回廊の奥へ走っていってしまった。エフェメラは愕然とし、怒りでわなわなと震えた。この怒りは今夜一杯収まりそうにない。困り笑みを浮かべつつ、ニックが言う。
「エフェメラ姉ちゃんが、あんなに必死にデート場所かいてた理由が、ようやくわかったよ」
×××
窓幕の隙間から外を眺めながら、エフェメラは溜め息をついた。すでに借りた衣装は脱ぎ寝衣に着替えている。部屋にはニックと、それからローザとヴィオーラがいる。三人は寝台で枕を投げ合って遊んでいた。
「三人とも、そろそろ眠りましょう。遊びはおしまいにして」
ヴィオーラ案で、エフェメラがニックと二人きりで眠るくらいなら四人で一緒にと、先月ディランと使っていた大きな寝台でみなで眠ることになった。寝台とその周りには枕が散乱しており、たったいま何十回目かにニックの顔面に枕が激突したところだ。対決は年齢を鑑み、ニック対双子となったのだが、ローザとヴィオーラの連携が素晴らしすぎてニックは完敗していた。
「くそ……っ! このまま終わっちゃ、おれのイジとホコリが……!」
「ふんっ。そんなもの、そうじして捨ててしまいなさい。ヴィオーラたちにかつのは、百年早いわ!」
「やったー! これでローザたちが、二十八回かちー!」
「も、もう一回!」
「だめよ、ニック。良い子はもうおやすみの時間よ」
エフェメラが怖い顔を作って見せると、ニックは苦い顔をしながらも諦めた。燭台の灯りを消し、寝台に入る。エフェメラの両隣にローザとヴィオーラが滑り込んできたが、ニックはすぐには寝台に入ろうとしなかった。暗い部屋の中、外を気にするように窓の外を見ている。エフェメラはあくびをしながら訊いた。
「ニック、どうしたの?」
ニックは「うーん」と曖昧に返した後、ぽつりと呟いた。
「おれ、やっぱり家にかえろうかな」
エフェメラは目を瞬かせる。
「まあ。どうして?」
「なんとなく……ハロルドのことが、気になるんだ。……あいつ、いつもとちがった気がして」
弱い月明かりの光が、元気のないニックの顔を照らしていた。
「夜に急に出かけることは、よくあるんだけど、今日は、おれが家を出る時に頭をなでてさ、おれが坂を下りきるまで、ずっと見送ってて……ちょっと、めずらしいなって」
枕で遊んでいたニックとはまるで違う表情だ。心配事を無理に押し込めていたのだろうか。
エフェメラは寝台を下りた。ニックの帽子のつばを軽く上げながら、額から頬にかけて優しく撫でる。
「今夜はもう遅いから、明日、早く起きて家に帰るといいわ。――大丈夫よ。ハロルドさんは、ニックを哀しませることなんて、しないんじゃないかしら」
ニックはエフェメラの手の温もりに目を閉じて、「うん」と素直に頷いた。エフェメラはニックとローザ、ヴィオーラに寝具をかぶせ、自分も枕の上で目を閉じた。
眠りにつく前に少しだけ考えた。ディランはハロルドが反乱を起こそうとしていると言った。ハロルドの今夜の外出は、もしかして反乱に関するものだろうか。
だがたとえそうだとしても、ハロルドがニックを哀しませることはしないだろうということは、真実であって欲しいと思った。
×××
寝静まった住宅街の上空を、美しい瑠璃色の鳥が飛んでいた。羽色に対し腹部だけが真っ白なその鳥は、雲がかかる暗い夜空をしばらく飛行し、やがて灯りのない小路へと高度を落とす。
小路には漆黒のマントを着た青年が一人いた。瑠璃色の鳥は青年が伸ばした腕へと着地する。青年は瑠璃色の鳥の首元を軽く撫で、鳥に向けて礼を言った。
「ありがとう、ララ。いつもすぐに見つけてくれて、助かるよ」
ララが頷くように首を動かす。ディランはララの足にくくりつけられている布を外した。布に記されているのは、一見意味を成さない単語の羅列だ。これはララを使ってやりとりする際の暗号で、ディランは内容をすばやく読み解くと、記された場所へ足を急がせた。
やがて着いた場所は、古い倉庫が立ち並ぶ海沿いの区画だった。どの倉庫の壁も堅固な石造りで、中央に両開きの木製扉がついている。余計な装飾はなく、壁には小さい換気窓があるくらいだ。
倉庫が作り出す真っ暗な影の間を、足音も立てずに素早く進んでいく。そしてディランはある倉庫のそばで四つの人の気配を見つけた。近づくと、彼らもすぐにディランに気づいた。一人が口を開く。
「遅かったわね、ディラン」
シーニーがいつも通りの落ち着いた口調で言った。そばにはアーテルとアルブス、ブラウがいる。アーテルは疲れた声を出した。
「やっと来たか。待ちくたびれたぜ」
「悪い。状況は?」
「集会を開いているみたいで、あの倉庫に人が集まってるわ」
シーニーが建物の切れ目へディランを招き、前方にある倉庫を目線で示す。
「最初から確認できたわけじゃないから正確ではないけど、中には百人近く集まってるはずよ」
「『ハロルド』は?」
「中にいるわ」
「建物の構造は、もう調べてある?」
「ええ。ほかの倉庫と造りが同じだから、中央に荷を置く広い空間があって、ほかに小部屋が二、三個あるはず。出入り口は正面の一つだけ」
ディランが襲撃の仕方を考えていると、アーテルが尋ねた。
「ハロルドっていうリーダーは始末するとして、ほかの奴らはどうすんだ?」
「……全員、対応は同じだ。ここまで人数が揃っているなら、リーダーを殺したところで動きが止まるとは思えないからな」
「そっ。じゃーさくっと終わらせますか。普通に正面から入るんだろ?」
「ああ。――アーテルとアルブスは、出入り口を頼む。これから来る人と、逃げる人の相手を」
「中の百人は? 三人で相手する気か?」