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 エフェメラが言葉を返せないでいると、ディランが代わりに訊いた。


「その夫婦は、いまは?」

「知らない。物件の仲介人も行方を知らないと言ってた。だがまあ、ウィンダルにはいないだろうな。おそらくサンドリームかサマレで生活してるはずだ。まだ若かったって聞いてるし、たぶん、生きてはいるだろうが――」

「そんな! それは……っ」


 エフェメラは口をつぐんで瞼を伏せた。ハロルドは落ち着いたまま頷く。


「ああ。二年前、ニックは親に置いていかれたんだ」


 ハロルドが買ったばかりの酒場の掃除をしていると、物置棚の奥から小さな男の子が飛び出してきた。『おれの家から出てけ!』と泣き叫ぶ男の子に驚き、ハロルドは慌てて仲介人に確認に行った。仲介人も驚いた様子で、もしかしたらと、夫婦にニックという子どもがいたことを教えてくれた。


「生活が苦しかったんだろうな。それが子どもを捨てる正当な理由になるとは思っちゃいないが……俺は、もう元の家を引き払ってたし、ニックを孤児院にでも連れて行こうとしたんだ。だがニックは親が帰ってくるまで絶対に家から出ねえと言ってな。だから俺は、本来なら逆なんだが、ニックに頼むことにした。『お前の親が帰ってくるまででいいから、俺をお前の家に一緒に住まわせてくれ』ってな。それでひとまず納得してもらって、俺はニックと一緒に暮らしてる。――せっかく金貯めて自分の店買ったってのに、迷惑な話だよな」


 おかしそうに話すハロルドに対し、ラビやトールたちは無言で涙を浮かべていた。ディランも静かに聞いている。


「自由に店やろうってのに、子どもが一人できちまってさ。その子どもときたら、食べ物の好き嫌いは多いし、熱があるのに薬は苦いって嫌がるし、最近は小遣いくれなんて言い出す始末だ。無理やり孤児院へ放り投げておけば良かったと、一体何度思ったか。……だがまあ、なんだかんだで、二年経っちまったな。――あいつは、いつもあほなことしてるが、ばかではない。恐らくいまじゃもう、自分が両親に捨てられたってことには気づいてるだろう。誰に似たのか、強いやつだから、泣いてる姿は見せねえけど」


 エフェメラは目尻の涙を拭った。会うたび元気な姿のニックからは、想像もつかない話だ。ハロルドはもう一度葡萄酒を飲み、杯を置きながらディランを見た。


「この国には、ニックの親のように、職を求めて国外へ行くやつが多い。外国人に媚を売って稼ぐやり方が肌に合わないやつは、ここでは暮らしていけない。観光業を押してる政治で、格差は広がり、いまじゃ下町で暮らす奴らの給金は、観光関連の職に就いてる連中のほぼ半分だ。それでも国は物価を下げない。貧乏人は暮らしていけず、国外へ逃げていく。そんな奴らが年々増えてる。……ニックは、国が作った孤児だと思わないか?」


 ディランは静かな瞳でハロルドを見返した。


「そうかもしれないな。国民が普通の生活をしていくための環境作りは、国の――君主の仕事だ」

「だろう? だがシュトホルム大公殿下は、俺たち下町連中のためには、何もしてくれない。ただ捨て置くだけ。街の中央にだけ金をかけ、国民は二の次、外国人をもてなすことばかりに精を出してる。国民を切り捨てるやり方をする国に――未来はない」


 憂いを帯びた瞳で手元を見つめ、ハロルドは続ける。


「十代の頃、俺は大公殿下を恨んだ。なぜいましか考えない愚策ばかりを施行するのか。先代を真似るだけで画期的な施策を考えないのはなぜなのか。だが、二十歳になる頃、ようやく悟った。大公殿下は愚公ゆえに現状を維持する施策ばかりしてるんじゃない。できないのだと、させてもらえないのだと――サンドリーム王国によって。サンドリームから解放されない限り、ウィンダルに未来はない。サンドリームはウィンダルを食い物にしている。俺たちの国の未来など、これっぽっちも考えちゃいない」


 顔を上げたハロルドの瞳には明確な敵意があった。隠さない態度にエフェメラはやや驚く。ディランは声の調子に抑揚をつけながら返した。


「随分と、一方的な考え方だな」


 淡々と話すことが多いディランにしては、珍しい話し方だ。


「まるで、サンドリームがすべての元凶とでも言いたいみたいだ」

「事実だろう。大国ゆえの驕りから大公殿下に圧力をかけ、自分たちの平和ばかりを欲している」

「サンドリームが国の繁栄に貪欲だということは、間違っていないだろうな。だが意欲のある指導者ならば、どんな状況でも抜け道を見い出そうとするはずだ。ぬるい幸せを選んでいる大公殿下にも責任はあるんじゃないか? ――あなたは聡明そうに見える。これくらいのことには、気がつきそうなものだが」

「……確かに、大公殿下がサンドリームに抵抗する気がまるでないということも、原因の一つではある。あらがうことを、完全に諦めてしまっている」


 ディランは眉根を寄せた。


「それがわかっているなら、例えば、サンドリームに反乱を起こすなんてばかげた考えは、持たないのが普通だろうな」


 エフェメラは『反乱』と言う物騒な言葉にどきりとした。ハロルドが問い返す。


「勝ち目がないからか?」

「そうだ。誰かが反乱を起こしたとしても、その人たちには何も変えられはしない。制圧されて終わりだ」


 エフェメラはディランとハロルドを交互に見た。二人が何故このような話をしているのかわからない。だがまるで、サンドリーム王国に反乱を起こそうとしている人たちがいるかのような会話だ。ハロルドが小さく笑う。


「お人好しだな」


 転んだ子どもがまた駆けていく背を見送るような、優しく、だが儚い笑い方だ。


「ニックを助けるために、川へ飛び込んだ時のあんたを思い出す。――サンドリームに勝つことは、言う通り不可能だろう。だがその反乱を起こそうとする者たちは、もしかしたら、勝敗はどうでもいいのかもしれない」


 ディランが息を呑んだ。ハロルドは落ち着き払った声で続ける。


「彼らがしたいことは、ただ大公殿下や国民たちへ、訴えかけることだけなのかもしれない。このままではいけないということに気づき、変わって欲しいと。きっとそれ以外に、目的はない」


 ディランはしばらく唖然としてから、言った。


「そんな……それこそ、ばかげてる。どうして、そんなことを……」

「もちろんすべては、愛する者たちが暮らす、ウィンダル公国の未来のために」


 「だろうな」とハロルドは付け足したが、ハロルドの言い様は他人事とは思えない。ラビやトールも戸惑っている。


「……いまのままじゃ、だめなのか?」


 やや間を置いてから、ディランが小さな声で訊いた。


「いまある幸せをすべて捨ててまで、本当に……本当にやらなければならないことなのか?」


 ハロルドは頷いた。ディランは深く息を吸った後、吐き出しながら「そう」と卓に視線を落とした。エフェメラが疑問を口にしようか迷っていると、酒場の入り口から場違いな明るい声がした。


「あれっ? なんでディラン兄ちゃんとエフェメラ姉ちゃんが、ここにいんの!」


 外の明るい光を背にし、酒場の入り口に立っていたのはニックだった。ニックは目を大きくしたまま卓のそばまで寄ってくる。


「なんでなんで?」

「ニック。お邪魔してるわ。実は、ハロルドさんとさっき偶然会って」

「そうなの!?」



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