3-03 海の都へ
ハキーカ暦三〇一五年 クイーンティーリス
「シュトホルムは相変わらず楽観しているな。海の向こうから来る異邦人を安易に受け入れるとは」
サンドリーム城北棟の最上階、城門から最も遠い場所にある国王の私室で、サンドリーム国王アイヴァンが鳶色の髭を撫でつけた。
執務机を挟み立つのは金髪碧眼の青年だ。女性にもてはやされそうな中性的な顔立ちで、濃紺の衣服を上品に着こなしている。サンドリーム王国の第三王子でもあるその青年、ディランは、隣国のウィンダル公国に現れるようになった異邦人についてアイヴァンに報告しに来たところだった。
「異邦人たちが現れるようになったのは半年ほど前からで、高い帆船技術が確立されたことが理由だと思われます。彼らが暮らす島からウィンダル公国の公都ウィーダまで、事故なく、二日という短期間で航海することが可能になったようです」
「異邦人の正確な目的は?」
「わかりません。表向きは商売といったところです。この大陸にはない武器や衣類、調度品などをウィンダル公に献上し、街でも売買する許可をもらっています」
「その中で、問題になりそうなものが、これか」
アイヴァンは机の上に置かれた二つの剣を見下ろした。一つはやや湾曲した異様に細長い片刃の剣で、もう一つは形は同じだが幅や長さを普通の剣に寄せた剣だ。
「細長いほうの剣が異国で主に使われているものだそうです。もう一方は、我々に合わせて改良したものになります」
「この武器は優れているのか?」
「はい。鎧に斬り傷をつけることが可能です。使い手によっては、貫通させることもできます」
「ほう……。お前の剣のように、特殊な鉱石を用いているのか?」
「詳しくはわかりませんが、素材の差というよりは製造方法に違いがあるようです」
「ふむ」
「異邦人たちが持ち込む武器の量は、日々増加しています。ウィンダル公のほかにも興味を引かれる者は多く、国内でもフェブルアーリあたりではすでに購入者を見かけます。いずれも、利用しようというよりは、物珍しさに装飾目的で買っているだけのようですが」
「この地の貨幣を集めるつもりかもしれんな」
「はい。その可能性は高いと思われます。もし侵攻して来るつもりなら、大陸で拠点を作ることが不可欠でしょうから」
「暗君によりウィンダルの未来が絶たれるのは仕方ないが、次にサンドリームが被害を被るのは目に見えている。やはり、何かしら手を打たねばならないな」
アイヴァンは何かを考えるように一旦目を閉じ、それからディランを真っ直ぐ見た。
「調査と報告、そして対処を」
「承知いたしました」
長くかかりそうだな、とディランは思った。異邦人が現れるウィンダル公国の公都ウィーダまで、馬で急いでも七日はかかる。ひと月以上王都に戻ることができないのは確実だ エフェメラのことが頭を掠めた。またついて来ると言い出しそうだが、カルケニッサの町での出来事のように、何かあるかもしれない。今度はちゃんと断らなければならないだろう。
「結婚報告も兼ね、エフェメラ姫とともに行くといいだろう。シュトホルムや宮殿の様子も見てきて欲しい」
アイヴァンがさらりと言ったので、ディランは思わず「は?」と返しそうになった。
「最後にこちらから赴いたのは、一昨年のリチャードが最後だからな。友好関係は保っておかなければ」
「お待ち、ください。……外交せよ、ということでしょうか」
「左様」
ディランはすぐには二の句が継げなかった。動揺を表情に出さないことに苦労する。
「し、しかし、エフェメラ姫を連れて公に行く場合、おそらく倍近い時間を要するかと」
「多少遅れても問題はない。羽を伸ばしてくるのもよいだろう。結婚してから旅行の一つもしていないとなれば、民に不仲を疑われるかもしれぬぞ?」
アイヴァンが「はっはっはっ」と笑う。ほかの家族や国民に見せるような笑い方をディランの前でするのは珍しい。だが、ディランに笑顔を返す余裕はなかった。
断る理由が見つからないまま、結局そのままアイヴァンの部屋を辞す。扉を閉めてから、ディランは思わずこめかみを押さえた。
(弱ったな……)
異邦人たちの調査をするだけでなく、シュトホルムがサンドリーム王国へ敵意がないかも確認して来いということだ。また、宮殿の様子も見て来いということは、たとえシュトホルムにその気がなくとも、ほかの有力者に敵意がないかも、また、シュトホルムの地位が揺らぐ兆しがないかも調べて来いということだ。
アイヴァンは大変な作業を淡々と命じる。本当に容赦がない。一階へ下りるための長い階段に向かいながら、ディランはこれからのことにかなり気が重かった。調べ事をしながら卒なく外交をこなし、さらに仕事の内容を明かさずにエフェメラともうまくやっていかなければならない。つい溜め息が出てしまう。
それでもアイヴァンには逆らえない。理由はもちろん、渓谷とサンドル王家との約束のためだ。だがそれだけではなく、ディランがアイヴァンの君主としての魅力に逆らえないというのもある。アイヴァンはディランが一度した話は絶対に忘れない。理解も早く、指示も早い。ただでさえ国務で忙しいのに常に余裕があるように見え、また、身分や立場に関係なく多くの者から篤い信頼を得ている。
なかなかできることではない。ディランもかなりの努力をしているつもりだが、アイヴァンにだけは敵わないと感じる。サンドリーム王国のために、アイヴァンは時間も体も心も何もかも懸けている。ゆえに時には非情な選択をするが、それでもやはり、国の未来を一途に見つめる姿勢には敬意を払わずにはいられない。
プリシーが茶会で使うテラスの前を通り過ぎ、階段にさしかかった時だった。ディランは階段を上ってくる二人の足音に歩みを止めた。上ってきたのは、アイヴァンと同じ鳶色の髪を持つ青年と、王国騎士団の青色の制服を着た四十半ばほどの男だ。青年のほうの翡翠色の瞳がディランを認める。瞳は驚き、一瞬だけ戸惑う。瞳に映る本心を隠せる人は、多くない。
「おお……ディラン。父上に会いに来たのか?」
「はい。イーニアス兄さんもですか?」
「まあな」
イーニアスはぎこちない笑みを返す。
どうでもいいことを訊いた。ただ、会話を返すことをイーニアスが望んでいると思った。
「母上が、私の結婚相手を躍起になって探しているのは知ってるだろう? 今月また会うことになったから、父上にも伝えておこうと思ってな」
イーニアスの後ろにいるのは王国騎士団団長のヴェルメリオだ。ヴェルメリオはよくイーニアスの護衛につくため、二人が一緒にいることは多い。
ディランはヴェルメリオの視線を感じていた。言葉にされたわけではないが、ヴェルメリオにはあまり好かれていない。ただ、ほかの騎士団員と同じく、ディランが怠惰だという噂が理由で嫌われているわけではないようだ。
「未来の王妃陛下、ですか。イーニアス兄さんがいいと思う方なら、陛下がなんと言おうとも、きっと素晴らしい王妃陛下になられると思います」
「だといいんだが。誰がふさわしいのかいまいちわからないんだよな。だから結局、母上に勧められる人とばかり会っているんだが……――リチャードあたりに相談すれば、女性の良し悪しがわかるのかな」
「そうかもしれませんが……それほど難しく考えず、単純に、女性としてではなく一人の人間として見るようとすればよいのかもしれませんよ」
「ああ……確かにそうだな。それなら私にもできそうだ。いいことを聞いた」
「いえ」
話を終えるつもりで、ディランは軽く一礼をして階段を下り始めた。するとイーニアスが背中に言葉を投げてきた。
「ディラン。遊ぶのも、ほどほどにしろよ。お前は、ちゃんとやればみんなからいい評価をもらえると思うぞ」
ディランはやや呆然としながらイーニアスを振り返る。
「何か悩みがあるなら、いつでも相談に乗るからな。私たちは、家族なんだから」
イーニアスが眉尻を下げながら笑み、去っていく。ヴェルメリオも追って廊下を歩いて行った。
イーニアスの言葉に悪意はない。だが、ディランはすぐにはその場を動けなかった。