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「さすが。詳しいね」

「……」

「ディランさまはお話をご存知なんですか?」

「ああ……子どもの頃に、よく聞かされた話だから」

「エフェメラが知らないのも、無理ないかな。ほとんどの人は、教典の第一巻の内容しか知らないだろうし。『毒蛇の森』のお話を知っている人は、聖都の教典研究部の修道士たちや、たまにいる教典愛読者くらいかも」

「どういうお話なの?」


 ディランが知っていると聞き、エフェメラも話の内容が気になった。「じゃあ、簡単に」とギボウシが穏やかに語り始める。


 ある人里の近くに、小さな森があった。その森にはたくさんの果実が実り、食肉になる動物がいて、怪我に効く薬草が数多く生えていた。けれどその森には、誰一人近寄ることができなかった。森の中にたくさんの毒蛇が住んでいたからだ。人を一瞬で殺せる猛毒を持つ蛇が、百匹以上住んでいた。


 普段、蛇は森から外へ出ることがない。だから人間たちは森へ近づかないことで平和に暮らしていた。でもある時、人の怖さを知らない幼い蛇が、興味本位で人里に下りてしまった。


 幼い蛇は人間に見つかった。人間は蛇を追い出そうと攻撃した。蛇は人間が恐れで襲ってきていることにすぐに気がついたから、戦う意思がないことを示すためにとにかく逃げた。だけど結局、人間たちに囲まれてしまった。


 幼い蛇は殺された。だが殺される直前、自分を守るために、つい一人の人間を毒で殺してしまった。人間たちは改めて毒蛇に恐怖した。そして、誰かが言った。『森をすべて焼いてしまえば、蛇に殺される恐怖がなくなる』と。


「君なら、どうする?」


 エフェメラに向け、ギボウシは試すように問いかけた。


「恐怖から逃れるため、ひと思いに森を焼いてしまう? それとも、いつ殺されるかわからない恐怖に怯えたまま、暮らし続ける?」

「……わたしは……」


 エフェメラは考えた。誰だって毒蛇は怖い。死ぬのは怖い。だがだからと言って、何もしていない蛇を皆殺しにすることが、はたして正しい行いなのか。


 エフェメラは答えを出せなかった。そんなエフェメラを、ギボウシは優しい目で見た。


「うん。君は良心的だ。簡単に決められることじゃないよね。――蛇がかわいそうだから森を焼かない、なんて主張する人はただの理想主義者。現実的に考えれば、非道だけれど焼き殺してしまうのが安全で安心だ。一瞬で命を奪う力など、そばにあるだけで恐ろしい。死への恐怖は反射――眩しいものを見た時に目を閉じてしまう動きと同じ。誰もが、その恐怖からは逃れられない」

「……お話では、森を焼いてしまうの?」

「そうだよ」


 ギボウシはあっさりと頷いた。


「だけど、数匹の毒蛇だけが生き残る。住む場所を失くした蛇は、別の棲家を探して焼けた森を離れるんだ。これでお話はおしまい」


 エフェメラは瞳が潤んだ。蛇が可哀そうで、だが人間側の考えも理解できて、嫌になった。


「どうして急に、このお話を話題に上げたの?」


 すっかり気分が落ち込んでしまった。ギボウシが困ったように笑う。


「あはは……。せっかく一緒にご飯を食べてるんだし、話の種にと思ったんだけど……ごめんね」


 エフェメラは気をとり直そうと残りの料理を食べ始めた。ディランも楽しくなかったようで、話を聞いている間ずっと表情を動かさなかった。


 天幕を出て別れの挨拶をしようとした時、ギボウシがエフェメラとディランに改めて訊いた。


「ところでさ。二人は、どういう関係なの?」


 エフェメラは数回瞬きをした後、ぽっと頬を染めもぞもぞと返した。


「ディ、ディランさまは、わたしの、旦那さまです……」

「ええっ!? エフェメラって、結婚してたの!?」


 ギボウシが顎を落とす勢いで驚いた。それから哀しむ。


「そっか……エフェメラ、結婚してたんだ……。正直、残念だよ」

「えっ?」


 エフェメラはどきりとした。これは軽い告白のようなものだろうか。


 ディランがどんな顔をしているか気になり隣を見上げる。だがディランは何やら別のことを考えているようだった。


「でも、うん……そっか」


 ギボウシもギボウシで、もう気にしていないように元の調子で続ける。


「結婚してるってことは、やっぱり……――今日の二人は、お忍びデートってとこなのかな?」

「え?」


 身分があることをギボウシに明かしただろうか。


「今年の春に結婚したサンドリーム王国の王子とスプリア王国の王女が、ここへ旅行に来てるって噂はさっき耳にしたけど、まさか君たちのことだったとはね」


 ディランも体を硬くする。危険から守るようにエフェメラの前に立ち、低い声を出した。


「お前は、一体……。『毒蛇の森』の話も、俺と握手をしようとした時に気づいて、わざとしたな」

「頭の回転、速いんだね」

「どうして知ってる。誰から聞いた」


 二人だけで通じる話に、エフェメラはただ目を瞬かせる。


 ディランは余裕のない表情だ。どうしたのだろうとエフェメラは思った。王族という立場についてギボウシが知っていたことは確かに不可解だ。だがディランがまとう空気はそれを気にしているだけでなく、剣があったら斬りかかっているというほどに物騒だった。


 ギボウシはディランの鋭い視線から逃れるように、大きなつば広帽子で両目を隠した。


「怖い顔で見ないでよ。僕は、何の危害も加えないよ。エフェメラにも、君にもね」

「質問に答えろ」

「ディ、ディランさま?」


 ギボウシはしばしの沈黙の後顔を上げた。一瞬だけ、哀しげな色を瞳に宿していた。だがそれはすぐに笑顔に変わった。


「じゃあね、エフェメラ。きっとまた会おう」


 ギボウシは身を翻し、すばやく近くの路地へ入った。


「待て!」


 すぐにディランが追いかける。エフェメラも慌ててディランを追った。


 しかし、ディランは路地へ入るなり足を止めた。エフェメラは危うくディランの背中にぶつかりそうになった。顔を上げると、ディランは驚愕して前方を見ていた。


 路地は行き止まりになっていた。だがそこにギボウシの姿はなかった。


「あれ? ギボウシさんは……」


 路地は建物の高い壁に囲まれている。建物にはいくつか窓があるが、大人が一瞬で飛び込むにはあまりにも小さい。光が射さない冷たい路地で、エフェメラとディランは立ち尽くした。


「――不思議な方、ですよね」


 まるで幻だ。


「実はギボウシさん、わたしの羽のことも知っていたんです」


 ディランが息を詰めてエフェメラを振り向く。何かを考えた後、真剣な声で言った。


「あの男は、得体が知れない。あまり親しくしないほうがいい」


 エフェメラは簡単には頷けなかった。


「で、でも、悪い人には見えませんよ? 何かされたわけではありませんし……。次に会った時にちゃんと訊いたら、知っていた理由を教えてくれるかもしれな――」

「フィー」


 子どもに注意をするように、ディランが厳しく名を読んだ。エフェメラは反論できなくなり、「……わかりました」と頷いた。


 ディランが強く言うのだ。本当に、ギボウシとは距離をとったほうがいいのかもしれない。



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