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3-31 熱と帽子

ハキーカ暦三〇一五年 セクスティーリス


 アーテルとアルブスがウィンダル宮殿に来たのは、月が変わってしばらく経った頃だった。二人は窓辺にいたエフェメラの姿を見つけ、外から部屋に入ってきた。


「アーテル、アルブス……」

「よっ。元気にしてたか?」


 驚くエフェメラの頭を、アーテルが変わらぬ明るい笑顔で撫でる。アルブスのどこか退屈そうな雰囲気も相変わらずだ。


 エフェメラはひと月ぶりに見る二人の姿が目に染みる感じがした。二人がいる日常は、思っていた以上にエフェメラの体に馴染んでいたらしい。


「……久しぶりね」

「なんかお前、涙目になってねえ? もしかして、オレに会えなくて寂しかったか?」

「ええ、とても」


 予想外の反応だったのか、アーテルは黒い瞳を大きくした。それからすいっとエフェメラから目を逸らす。


「お、おう……そっか。……悪かったな」

「お仕事は終わったの?」

「ああ。何個か問題が残ったのもあったけど、一通りは終わった。だからまあ、もうずっとここにいるし、安心していいっつうか……どっか行くなら、付き合うっつうか」

「ありがとう。でも、しばらく出かける予定はないわ」

「あ……そう」


 アーテルが気の抜けた顔をする。アルブスはそれを見て軽く眉を上げ、それからエフェメラに訊いた。


「ディランの部屋は?」


 部屋にディランはいなかった。エフェメラは表情を曇らせた。


「ディランさまのお部屋は、先月はずっと、このわたしと一緒の部屋だったんだけど――いまは移動したの」

「えっ!」


 アーテルとアルブスが揃って声を上げた。


「一緒の部屋使ってたの?」

「ええ」

「夜も?」

「そうよ」


 アルブスが感心したように「へー」と頷く。アーテルは衝撃で固まった。だがエフェメラが恥ずかしがる気配がないため、アルブスはすぐに疑問を抱く。


「もしかして、何もなかったの?」


 エフェメラはむすっとした顔でアルブスを見た。アルブスはそれを気にせずさらに訊いた。


「え……じゃあ、せめてキスは?」

「ちょっ、おまっ! そーいうのは本人たちの――っ」


 アーテルが慌てたが、エフェメラはさらにむくれて押し黙った。それを見て、アルブスは呆れ笑いをした。


「ディランも貫くなあ」


 アーテルが安堵したように肩を下ろす。エフェメラは不貞腐ふてくされた声で言った。


「ディランさまったら、お仕事でほとんど部屋にいないんだもの。わたしが眠ってから寝室に入ってきて、わたしが起きる頃には椅子に座って紅茶を飲んでいるのよ? 本当に眠っているのかも怪しいくらいなんだから」

「相変わらずの超人っぷりだな」

「ディラン、普段からあんまり寝ないもんね」

「まあ、そうなの? じゃあわたしが無理をさせてたってわけじゃないのかしら……」

「そうだと思うよ。それでフィーが怒って部屋が別になったの?」

「いえ、そういうわけじゃないの。実は――」


 エフェメラは二人にディランが高熱で倒れたことについて話した。二人はまた揃って声を上げた。


「ディランが熱!?」

「ええ。もう、本当に大変だったの。三日間、まったく熱が下がらなくて、それからも上がったり下がったりを繰り返して、昨日ようやく体を起こせるようになったのよ」


 治療のため、ディランは別の部屋へ移動していた。そろそろディランが目を覚ます頃だろうと、エフェメラはちょうどディランの部屋へ向かおうとしていたところだった。だから、アーテルとアルブスも連れて一緒に部屋を出た。


 廊下を歩きながら、アーテルは驚きを隠せない様子で唸った。


「あいつが熱ねー。知り合ってから初めてだな。仕事に差し支えるからって、体調にはいつも気使ってたけど」

「きっと、疲れが溜まってたんだわ。一日に二回も海に落ちた日もあったし」

「……なんだそれ。何してたの、お前ら」

「あんまり熱が引かなくて、わたし、ディランさまが死んじゃったらどうしようって、心配で心配で……。容態が落ち着いて、本当に安心したわ」


 廊下をすれ違った女官が見慣れないアーテルとアルブスの姿を振り返る。あとでこの二人の部屋も追加で頼まなければならない。


「そういえばアーテル。あとで、ローザに会ってあげてくれる? アーテルがいなくてとても寂しがっていたから」

「おー。あいつらも元気か?」

「ええ。毎日のように海へ行っているから、日焼けしたわ」


 ディランの部屋に着き、エフェメラは扉を軽く叩いた。中からディランの返事が聞こえたので、扉を開ける。


「ディランさま、お加減は――」


 エフェメラは中の様子に言葉を切った。


 部屋は広く、奥の壁に大窓があり、入り込む風で白い薄布の窓幕が揺れていた。寝台の天蓋幕は上げてあり、上体を起こしたディランが扉のほうを見ている。室内装飾は少なく、来客用の長椅子が二つと間に卓があり、寝台横には水差しや薬が載った小卓、食事を運ぶ台車が置いてある。壁際の大きな衣装戸棚にディランの荷物がまとめてあった。


 ディランの顔色はまだ少し悪い。何日もまともに食事ができていなかったため、若干痩せた気もする。昨日も用意された食事の半分も食べることができていなかった。熱は下がったため、数日かけて体力を戻せばいいと医者は言っていた。


 エフェメラが言葉を切ったのは、弱ったディランに痛ましさを感じたからではなかった。もちろんディランは心配だが、それよりもまず、寝台の横に立つ瑠璃色の鳥を肩に乗せた少女に目が行った。


「シーニーさん! またいらしてたんですか!?」


 エフェメラは慌てて寝台に駆け寄った。シーニーは澄まし顔で肩の上の黒髪を払う。


「当然でしょう。ディランが熱を出したんだから、毎日来るわ」

「ディランさまのお世話は、わたしがしっかりするので、毎日来なくてもよいと言ったはずです!」

「あなたに病人の世話ができるとは思えないけど」


 言い合いを始めたエフェメラとシーニーを気にせず、アルブスがディランのそばに立った。


「ディランでも、風邪引くんだ」

「俺を何だと思ってるんだ。――いま着いたところか?」

「うん」

「すっげー急いだんだぜ?」


 アーテルが文句を言う。


「そもそもが、終わってからウィーダで遊べる余裕がある仕事量じゃねーし」

「だろうな。急いでも、あと五日は来ないと思ってた」

「なっ! お前……!」


 ディランが小さく笑う。アーテルは顔をしかめた。


「……ったく。ぜんぜん元気そうじゃねーか」

「ああ。もう平気だよ。それより仕事の報告を――」

「だめよディラン。まだ休んでなきゃ」


 シーニーがエフェメラとの言い合いを中断しぴしゃりと言った。


「無茶したから、こんなにこじらせたのよ。ブラウだってかなり気にしてたわ。……私も」

「二人のせいじゃない。俺がやりたいようにやったせいだから」


 エフェメラは話をいまいち理解し切れなかった。恐らく仕事の話だろう。


 ふいに、ララがシーニーの肩から飛び立った。壁際にあった銀色の台車まで飛んでいく。台車には中身を蓋で隠された大きな皿が載っていた。ララは蓋の中の料理が気になるらしい。


「ああ、それ。起きた時からあったから気になってたんだ」


 ディランが言った。エフェメラは「そうでした!」と満面の笑みで手を合わせた。


「実はわたし、今朝早く起きて、ディランさまのためにお食事を作ったんです」

「えっ?」


 ディランが驚いた。表情の端が嬉しげだ。


「作っている間に時間がなくなってしまって、一品しか作れなかったのですが」


 エフェメラはうきうきと台車を寝台横へ移動させた。そして緊張を和らげるように深呼吸してから、「じゃーん」と言って蓋を取った。そこには汁物用の底が深い皿があり、中には黒い塊が入っていた。エフェメラは恥ずかしさに指先を合わせながら、みなの反応を待った。四人とも、黒い塊を見て沈黙している。最初にアーテルが呟いた。


「え……なにこれ」

「ネギとショウガのスープよ。風邪に効くって、宮殿の料理長に教えてもらったの」

「えっ、スープ!? 元は液体だったの!?」

「どう作ったらスープが固まるわけ」


 アルブスも料理にけちをつけた。エフェメラは不本意だった。


「い、一生懸命作ったのよ? 初めてだったから、確かにちょっと、見た目は悪いかもしれないけど……」

「ちょっとどころじゃないじゃん。もはや食べ物じゃないし」

「やめろアルブス。真実が、必ずしも相手のためになるとは限らねーんだぜ」

「ひどいわ、二人ともっ!」


 エフェメラは怒りながらも、やはり失敗したのだと悟った。三回ほど作り直し、一番出来のいいものを選んできたつもりだったが、駄目だったらしい。情けなさに涙が出そうになる。


 だがディランは気にせず皿を手に取った。



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