3-29
「なんだ。まだ仲間いたのかよ」
「ディラン、どうして出て来て――」
気をとられ、思わず駆け寄ろうとしたシーニーの隙をミナモは見逃さなかった。距離をひと跳びで詰められ足元をすくわれる。シーニーは船べりから海へと滑り落ちた。視界の端で、ミナモがディランへ標的を変えるのが見えた。
シーニーは落下の途中で槍を船の側面に突き刺した。槍にぶら下がり、どうにか海へ落ちることは免れる。高熱があるディランを戦わせるわけにはいかない。早く甲板へ戻るため、シーニーは槍に上ろうと腕に力を込めた。
すると、槍からみしりと嫌な音がした。恐る恐る見上げる。槍の柄に、大きな亀裂が入っていた。
「え、嘘、これくらいで?」
もしや太ったのかと最近の食事内容を素早く振り返る。だが違った。目を凝らすと、いまの動作で入った亀裂以外にも、槍に小さなひび割れがたくさん入っていた。ミナモの剣を防いでいた時にできたものらしかった。
一見でたらめなミナモの攻撃がこれを狙ったものだといまさら気づく。トウノクニの剣が高い硬度だということは理解していたが、一戦交えたくらいで槍が使い物にならなくなるほどとは思わなかった。
二年は使っていた愛槍だ。シーニーは衝撃に呆然とし、だがすぐにいまの状況を思い出す。折れることを覚悟で槍を足場にすると、シーニーは跳躍して船べりに掴まった。足下で、愛槍がぽっきりと半分に折れ海へ落ちていく。断腸の想いで前を向き、シーニーは甲板にいるディランの姿を探した。
丁度、ミナモがディランに斬りかかったところだった。ディランは最小限の動きでそれを避ける。動きは、いつもよりはやや鈍い。二、三度同じように避け、四撃目は剣で受けた。ミナモが素早く斬り返す。ディランはそれも避けるとミナモの背後に跳躍した。そして振り向いたミナモが剣を振るう前にぐっと距離を詰めた。そして一閃、上から下にミナモの帯を斬った。ミナモの着物の前がはだける。
「うわっ」
うろたえたミナモが反射的に着物の前を合わせようとする。シーニーは口をあんぐりと開けた。思わずディランの目を覆いたくなる。だがディランは女の裸に一切の反応を示さず、容赦なくミナモの手首から剣を弾いた。ミナモが衝撃で尻もちをつく。
青く反射する剣がミナモの首に添えられた。ミナモはディランを見上げる。金色の前髪の下の夜空色の瞳からは、一切の感情が失せていた。体の奥底からの恐怖でミナモがすくんだのは束の間で、瞳の向きは幸いすぐに逸れた。
「お嬢!」
サザがブラウから離れ、ディランに剣で斬り込んだ。ディランは予期していたように危なげなくサザの攻撃を避ける。深く踏み込んできた重い剣戟を受け流し、次の振りは正面から受ける。
「――ずいぶん、卑怯な真似してくれるっすね」
「……」
ディランは後ろへ跳躍した。すぐさまサザがそれを追う。剣への負担を減らすため、ディランはサザの攻撃のほとんどをかわしてやり過ごした。
ふと、ディランがシーニーを見た。目が合う。するとディランは今度はブラウに目線を流した。シーニーは意図を理解し、ブラウのもとへ走った。ディランがミナモの着物をはだけさせたのは、サザをブラウから離れさせるためだったらしい。
ブラウは負傷していないほうの手と口を使い、裂けた服の布で傷口の止血をしようとしていた。シーニーが近づくと顔を上げる。額に汗が浮かんでいた。
「手伝うわ」
シーニーは携帯している白布で手早く傷の応急処置をした。脚のほうの傷は想像より浅かった。引きづりながらも歩けそうだ。ブラウが痛みに顔をしかめながら謝る。
「わりい、しくじった」
「お互いさまよ。……あの二人、強いわ」
「……あいつ、もう熱が下がったのか?」
「そんなわけは、ないと思うけど……」
ディランの動きの鋭さはいつものものに戻っていた。無理をしているようにも見えない。
サザがディランの後ろへ回り込んだ。振り向く間を与えない早さで斬り込む。ディランはそれを振り向かずに避け、大きく跳躍した。空中で片足が着いた先は帆柱だ。帆柱を利用し、今度はディランがサザの後ろをとった。
サザはすぐさま反応しディランの剣を防ぐ。そのまま力でディランの剣を押し込める。ディランは受け流しながら、いきなり剣から手を離した。
一瞬、サザが前方へと平衡を崩す。その刹那、ディランはサザの腹へ回し蹴りをした。体格差は頭一個分ほどあるが、平衡を崩していたせいもあり、サザは簡単に後ろへ飛んだ。そして荷箱の山に突っ込み、崩れた木箱に埋もれた。サザの手首からは剣が離れていた。軽い脳震盪を起こしたようで、すぐには動けないでいる。
呆けていたいたミナモは、慌てて自分の剣を拾おうとした。しかし剣に手が届く前にディランに着物の胸元を掴まれた。体を持ち上げられ、帆柱に背中を強く打ちつけられる。ミナモが息を詰まらせ咳き込んでいると、剣先が首の側面を掠めた。帆柱に刺さった剣は、ミナモの首から一筋の血を滴らせる。
「――あなたたちが剣を売っている相手を、知りたい」
目前の青年は言う。美しい青年だと、ミナモは思った。だがその美しさは、いまは恐怖を増加させる。
「言わないのであれば、あなたの前で、仲間を一人ずつ殺していく」
ただの脅しとは思えない冷淡な声だ。数日前にミナモが会った青年とは、まるで別人だった。
「わ……わかった、言うよ」
ミナモが返事をした時、木箱が崩れる音がした。サザが起き上がり、ぐらつく頭を押さえながら剣を握る。
「お嬢……そいつらの言いなりになんて、なる必要ないっすよ」
ディランは相も変わらず感情のない瞳でサザを見やる。ミナモを掴む力は緩まない。
サザは崩れた木箱の山に立ち、剣を構えた。だがシーニーとブラウがディランのそばに加わる。ミナモがディランに捕まっている以上、不利な状況だ。
「サザ、いいんだ。……もう、いい」
ミナモはすんなり呼吸ができない喉から声を絞り出した。
「みんなの、命のほうが大事だ。……あたしらは、この国に、死にに来たわけじゃない」
サザは不服そうに眉根を寄せた。だが少しの逡巡の後、剣を鞘にしまった。ミナモはディランを見る。
「あたしらが、三回目にここに来た時だったかな――剣を売ってくれないかって、男二人に頼まれたんだ。全部で百本ほど。あんまり金の羽振りはよくなかったけど、まあこっちも、稼ぎがないよりはましだったから、安く注文を受けた」
話し始めても、ディランの力はまったく緩まない。
「受け取り場所に指定されたのは、ここから船で半刻ほどの場所にある海蝕洞の中だ。前回ですべての剣の受け渡しと代金の支払いは済んだから、今回はもう会う予定はない」
「男二人の身元は?」
「わからない。名前も連絡先も、普段の職業も知らない。服装から見れば、金持ちって感じじゃなさそうだったけど……前金の用意はちゃんとしてたし、態度も横柄じゃなかった。だからまあ、悪い印象は受けなかった。――剣を何に使うか、一度訊いてみたけど、悪いことには使わないとだけ答えた。嘘をつているようには、見えなかった」
「……男たちの外見の特徴は?」
「髪がもじゃもじゃの、熊みたいな大男と、あとは前歯が一本欠けた声の高い男だ。歳はどっちも二十前半かな。剣を受け渡す時だけ、さらに一人加わった。目が隠れるくらい前髪が長くて、不健康なくらい色の白い男だ。こいつも同じくらい若かった」
「ほかに、何か特別気づいたことはあるか?」
ミナモは考えるように難しい顔をした。
「そうだな……三人とも、仲が良さそうだったかな。仕事仲間って言うよりは、友人に近いような。あとは……どうだろ。すぐに思いつくようなことは、もう……」
ディランはしばしの沈黙の後、ミナモを解放した。帆柱に刺していた剣も抜く。ミナモは腰が抜けたように座り込んだ。すかさずサザがミナモに駆け寄る。ディランは続けてミナモに要望した。
「人物について、姿絵などを描くことはできないか?」
ミナモは髪紐を解き、着物の帯代わりにしながら頷いた。
「できる。――サザ。あたしの部屋から紙と筆持って来い」
サザはミナモを残して行くことに顔をしかめたが、ミナモに促されると急ぎ足で船の中へ入った。サザを待っている間、ミナモがディランに話しかける。
「あんたも、そっちの顔隠してるほうの男も、この前ここで会ったばっかだな。こんなことなら、あんたらを船に乗せるんじゃなかったよ。あん時から、あたしらのことを狙ってたってわけ?」