3-27
船長室の扉に耳を当て中の様子を確認する。中には二人の人間がいるようだった。高い声はミナモのもので、もう一つは船員の一人だろう。手の甲で扉を軽く叩いた。会話が止まり、ミナモの返事が聞こえる。何もせず扉の横で待っていると内側から扉が開いた。
開けたのは船員のほうだった。シーニーは船員の死角から入り、槍の柄の先で顎を打ち上げた。後ろに反れる船員の腹を強く蹴り部屋へ戻しながら、自らも船長室へ入り、扉を閉める。ミナモが呆気にとられているうちに、シーニーは槍の刃先を倒れた船員の首に当てた。船員は気を失っている。ミナモが近くに置いてあった剣を掴んだため、シーニーは素早く口にした。
「あなたたちに危害を加えるつもりはないわ。――私の目的は、ミナモさん、あなた。船長である、あなたと話がしたくて来たの。だから、剣から手を離してもらえない?」
ミナモは剣に手を添えたまま動かない。気を落ち着かせながらシーニーを観察する。
「……危害を加えないっつーんなら、まずはあんたがその槍をどかせよ。あたしの部下の首をとろうとしているようにしか見えない」
シーニーは迷い、しかしゆっくりと船員から離れた。それでも敵地の中だ。いつでも応戦できるよう、槍は握ったままする。幸い、ミナモのほうは剣から手を離してくれた。綿詰めされた派手な肘掛けに、気怠げに体重を寄せる。
「それで? 話ってなんだよ。正直なところ、あたしの船に無礼に押しかけてきたあんたを、いますぐ叩き出したいとこだけど――理由くらいは、知っておかねえとな」
ミナモは分厚いござのような敷物に座っていた。背の後ろに漆塗りされた低い机がある。敷物に座ったまま読み書きができる、椅子のない机だ。机の横には一人用の寝台があり、上質そうな着物が数着投げ置かれていた。壁にはたくさんの地図や海図が乱雑に貼ってある。船にある個人部屋にしては広いはずだが、全体的に整理が行き届いていないため狭く感じられた。
「単刀直入に訊かせてもらうわ」
シーニーは質問した。
「明日、あなたたちが大量の剣を売ろうとしている相手を教えて欲しいの」
ミナモは眉一つ動かさなかった。
「さあ。何の話か、わかんねーけど?」
「調べはついているの。いいから、教えて」
鋭く見つめるシーニーに対し、ミナモはくつろぐように足を組み直す。着物の裾がめくれ上がり、細く白い太ももが覗いた。
「まあ、仮に売ってたとしても、顧客の情報を流すことはできねーな。こっちは商いをしてる身だ。顧客を売るようなやつは、商人失格。――もう話すことはねーはずだ。あたしに一言謝ってから、さっさと船を出て行け」
「……」
ミナモの反応は予想していた。だからシーニーは、服の中から手の平ほどの大きさの布袋を取り出した。それをミナモの前に置き、袋の紐を解いてから離れる。袋の中身を見たミナモがわずかに目を見開いた。
「百枚、あるわ」
布袋から覗くのは眩い金貨だ。
「この大陸では、金貨百枚を銀貨一万枚として数えるの。あなたたちの剣の売値は、銀貨三十枚から七十枚。利益は銀貨十枚から二十枚といったところかしら。――このお金で、情報を買わせて」
ミナモは袋の中の黄金色から目を離さない。シーニーは畳みかけた。
「悪い話ではないはずよ。もちろん、情報を売ったことであなたたちが被害を受けることはないようにする。私たちがあなたたちに関わることも、この場限り。情報さえ売ってくれれば、そのお金はすべてあなたたちの自由。旨すぎるってくらい良い話じゃない?」
じっと返答を待っていると、ミナモは吐息を漏らすように笑い始めた。笑い声は徐々に大きくなっていく。シーニーが怪訝にしていると、ミナモは顔を上げた。そこに笑みはなく、代わりに激しい怒りがあった。
「あーあ。無傷で返してやろうと思ったけど――やめた」
はっとしてシーニーが槍を構えた瞬間、机の上にあった筆入れが飛んできた。数本の筆が宙に飛び散り、ミナモの姿が一瞬隠れる。筆が木板の床に落ちると同時に、ミナモの剣とシーニーの槍がぶつかった。
二度三度、ミナモは素早く剣を振るった。シーニーは防戦しながら後ろに下がり体勢を立て直そうとする。しかし体勢を立て直す前に、軽やかに跳躍したミナモが両脚蹴りで飛び込んできた。とっさに槍で受けることに成功はしたが、ミナモの小柄な体とは裏腹に、うまく体重が乗った蹴りはシーニーの体を扉ごと吹き飛ばす。廊下の壁に背中を打ちつけ、呼吸が詰まる。
「……舐めるのも、大概にしろよ?」
ミナモは扉の破片を踏みしめ仁王立ちする。
「あたしらはなあ、金なんかで情報売るほど、低級な商人じゃねーんだよ!」
怒り露わに言い放つミナモに、シーニーは心の中で溜め息をつく。そして見下ろしてくるミナモをしっかりと睨み返してから、背を向けて逃げ出した。
「あっ、待て!」
ミナモはシーニーに負けず劣らずの速さで追ってくる。シーニーは懐からディランに見せた小瓶を取り出しながら、やっぱり交渉なんてするんじゃなかったと思った。最初から脅して吐かせれば早かったのだ。
それをしなかったのはディランの意思だ。ディランはいつだって剣を使うことを最終手段にする。穏便に済ませようと努めても、実際は今回のようにうまくいかない場合が多いのだが、懲りずにいつもこうだ。意志は尊重するが、失敗するたびに無駄な労力を使ったなと思う。ディランもやらなければならない仕事は多いのだから、もっと自己優先に行動すべきだ。でないと、シーニーは多忙なディランをいつも心配していなくてはならなくなる。
シーニーはもう一度心の中で溜め息をつきながら、先程入った食堂に駆け込んだ。視線を巡らし目的のものを探す。それは、まだ座談していた三人の船員の卓にあった。三人の船員は、聞こえた扉の破壊音と、急に現れたシーニーに戸惑う。
「え……誰?」
「もらうわよ」
シーニーは水が入った陶器を卓の手前に引き寄せた。ミナモが食堂へ踏み込んでくる。逃げ道をなくしたシーニーに、ミナモは好戦的な笑みを向けた。
「なんだ、腹でも減ったのか?」
「まさか」
シーニーは持っていた小瓶の蓋を開け、中に入っている赤い球を一つ取り出した。そして水の中へ入れる。その瞬間、赤い球から朱色の煙が吹き出した。煙はあっという間にシーニーと三人の船員を包み、入り口に立つミナモの足元へまでも届く。
「目くらましのつもりか? ――おい、そこの三人。そいつを逃がすな。侵入者だ」
ミナモは「なんだなんだ?」と慌てる三人の船員に命じる。三人はシーニーに向かってきた。だがシーニーが攻撃を避けている間に、彼らの動きはみるみる鈍くなっていく。
「なんか、頭がぴりぴりしてきた……」
「体が、思うように、動かねえ」
ミナモは煙がただの目くらましではないことにようやく気づいた。
「ちっ。毒か!」
着物の袖で慌てて鼻を押さえる。侵入者の少女が鼻を隠している様子がないため、毒だという考えを除外してしまった。恐らく少女は事前に耐性薬でも飲んでいたのだろう。煙の勢いは廊下へ漏れ出るほどに続く。少女が入口へ向かってきたため、ミナモは片手で刀を持ち対抗した。だが毒煙に動揺したせいもあり、少女を食堂の外へ逃してしまう。
少女は甲板へ向かっていた。ミナモは体に痺れを感じながらも、侵入者の少女を追いかけた。
「待て……っ!」
逃がすわけにはいかない。ほかの船員を集めようと声を上げようとしたが、別の部屋からも朱色の煙が上がり始めた。予想できたことだが少女には仲間がいたらしい。ミナモは悪態をついた。この調子だとほかの船員たちも毒にやられている可能性が高い。痺れる体を動かして、ミナモは甲板へ急いだ。