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×××
サザは毎晩煙管を吸うのが習慣だ。だがミナモが煙管を嫌うため、いつもミナモがいない場所で吸うようにしていた。今回の渡航の公都ウィーダでの最後の夜も、サザは自分が交代するからと船番に休憩させ、桟橋で煙管を吸っていた。
今宵は雲で月が見えない。紫煙が宙を漂い、昏い夜空へ消えていく。七日間の滞在だった。剣の売上は芳しくないまま終わった。次に向かうサイレス市でも似たようなものだろう。ミナモは初め、落胆していた。どう励ますか考えていたが、気づけば勝手に気分を持ち直し、次は別の国へ剣を売り込むなどと意気込んでいた。
可能ならば、ミナモには、知らぬ地で不要な危険を冒さず、灯ノ國で安全に暮らしていて欲しい。だが同時に、自由であって欲しいとも思う。結局は、サザが何を言っても関係がない。だからミナモの旅についてきて守ることにした。
もう一服しようと、刻み葉入れに手をかけた時、人気のない夜の船着き場に足音が響いてきた。一人の娘が駆けてくる。娘は不意に立ち止まると、焦った様子でしきりに周囲に首を巡らした。
誰かを捜しているのだろうか。見ていると目が合う。娘はサザに駆け寄ってきた。
「すみません。ここへ、十歳ほどの女の子が来ませんでしたか? すぐそこで、妹とはぐれてしまって」
やはり人捜しをしていたようだ。
「いえ、誰も」
「そうですか……」
娘は肩落とし、瞼を伏せた。歳は、ミナモと同じほどだろうか。肩までの黒髪の、なかなかの美人だ。サザは持っていた煙管を着物の内側にしまった。
「捜すの、手伝います」
「え?」
「もう夜も遅いっすよ。早く見つけないと。人手もあるんで、船から呼んできます」
「いいんですか?」
娘が感動するように瞳を潤ませた。瞳の色は黒に近い青色だ。例えるなら、夜空の色といったところか。
「助かります! なんとお礼を言ったらいいか」
「気にしないでください。じゃあ、少しだけここで待っててもらっていいっすか。すぐに戻ります」
サザは一旦船内に入り、ミナモに事情を説明してから、船員数名に声をかけた。とりあえずすぐに集まった五人ほどで、娘を待たせていた桟橋へ戻る。
「……あれ?」
だがそこに、夜空色の瞳の娘はいなかった。
×××
ディランとシーニーとブラウは、シーニーが船番を追い払うことに成功したため帆船に侵入することに成功していた。甲板の奥にある積み荷の陰まで移動した後、シーニーは愛用の槍をブラウから受け取りながら小声で言った。
「船番がろくでなしじゃなくて助かったわ。あんなに簡単にいくとも思わなかったけど」
消えた剣の行方についてミナモと直接交渉するため、三人は船へ侵入した。交渉するのはシーニー一人だが、失敗した時に備え、逃亡の助けにディランとブラウも一緒に来ていた。ブラウがからかい半分に言う。
「名演技だったな。お前が涙を浮かべて声震わせるとこなんて、初めて見たぞ」
「うるさいわね。あれは、トーリスが作ってくれた丸薬を奥歯で噛んだの。すごく辛くて、一瞬で涙がぼろぼろ出てくるのよ」
ディランやシーニーの幼なじみでもあるトーリスは、戦闘や侵入時に使える小道具を渓谷で開発している。
「異性相手に穏便に事を運びたい時に使うのおすすめって、エイデスが教えてくれたの」
ブラウが渋面になった。刻まれた眉間のしわがさらに深くなる。エイデスは渓谷出身の女性で、王の慧眼の要員だ。
「まったく、あいつは。誰かれ構わず使ってんじゃねえだろうな」
「心配してるの? 大丈夫よ、エイデスは。器用だから。ねえディラン?」
ディランは二人の会話に反応を示さず、心ここにあらずといった様子で、積まれた木箱に寄りかかっていた。
「ディラン?」
シーニーがもう一度名を呼ぶと、ディランはようやく二人に視線を定めた。
「ごめん。えっと……もう動くって話?」
シーニーは探るようにじっとディランを見つめた。ディランが狼狽える。
「何?」
「ディラン、あなた……もしかして」
シーニーはディランに迫った。ディランは逃れようとしたが、甲板の隅にある縄や積荷に邪魔され詰め寄られる。
シーニーは互いの前髪をさっと上げ、額同士をくっつけた。ディランが身を硬くする。ディランの家もシーニーの家も、幼い頃から熱を出した時の確認方法は同じで常識だった。
「……やっぱり!」
額を離したシーニーが目を剥く。
「すごい熱じゃない!」
ディランはついに知られてしまったといった様子で、溜め息をつく。
「大丈夫だよ」
「大丈夫なわけないでしょ! こんな高熱で――どうして黙ってたの!?」
「……ごめん」
ブラウも心配と呆れの表情だ。
「こないだ船で顔色が悪かった原因は、これか。お前、本当は数日前から風邪気味だったんだろ」
「……まあ」
申し訳なさそうなディランに、ブラウは言った。
「お前、今日はもう帰れ。あとは俺たち二人でやる」
「そういうわけにはいかないよ」
「ブラウと私で平気。いいから帰って。もしも戦闘になっても、これを使うから、真っ向からやり合うってことにもならない」
シーニーは懐から小さな小瓶を取り出す。小瓶の中には油と、それから木の実のような赤い球が数個入っていた。交渉決裂した場合の逃亡用の小道具だ。それでもディランは頷きたがらない。
「ならせめて、仕掛けだけは手伝ってく。終わったら、あとは二人に任せるから」
シーニーとブラウは仕方なく頷いた。
三人はその場を離れ、前もって決めた段取りで動き出した。ディランとブラウは逃亡用の小道具が上手く作動する仕掛けを船内にほどこし、一方シーニーは、ミナモがいる船長室へ向かった。船内の構造はディランから聞いて頭に入れてある。
帆船は、侵入するには手狭だ。少し選択を誤れば、すぐに誰かと鉢合わせてしまう。シーニーは甲板の階段を降りたシーニーは、たくさんの吊り床がかかる休息室の前を慎重に通り過ぎ、食堂兼調理場の前を通り過ぎる。小さな医務室があり、その隣が船長室だ。
しかし医務室の前を通り過ぎようとした時に扉が開いた。シーニーは慌てて戻り、食堂に身を滑り込ませた。食堂は会議室にも使われているらしく、四人掛けの卓が四つ並んでいる。
いま人がいるのは一番奥の卓だけだ。座る三人の男は会話に夢中だ。入り口際の卓の陰にいるシーニーには気づいていない。医務室から出てきた男が通路を通り過ぎるのを息を潜めて待っていると、三人の会話が聞こえてきた。
「それでサザさんは、消えた女の子心配して、探しに行っちゃったわけ? ほんと優しいよなぁ」
「ほんとなぁ。見た目はあんな怖いのに」
船に侵入するために先ほど行った、シーニーの一芝居のことを言っている。
「きっとさ。その娘さんは、妹が見つかったんだよ。んで実は、サザさんが怖かったもんだから、黙って帰っちゃったんだって」
「妹が見つかったかはわかんねーけど、サザさんが怖くていなくなったのは確かだな。捜そうかって言われて、実はめっちゃ怖かったんだけど、断れなかったんだって」
「だな。サザさんかわいそうになぁ。ほんとのこと、言ってあげたほうがいーんじゃね? お前言えよ」
「やだよ。俺、サザさんが落ち込むとこ見たくねえ」
シーニーは通路が無人であることを確認し、音を立てずに食堂を出た。
(ちょっと悪いことしちゃったかしら)
サザの切れ長の目と襟足を刈り上げたような髪型は、確かに優しそうな人には見えない。シーニーは心の中で謝ってから、船長室の前まで来た。