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ララは仕事を果たしたようにつつくのをやめ、嘴で羽の手入れをし始めた。伝言というよりはディランへの文句を実行しに来たらしい。エフェメラは幼子のようにララに触れたそうにしている。
「雰囲気がシーニーさんと何となく似ているのはあれですが、ララさん自身は、きれいでかわいい鳥さんです」
「凶暴だけどな」
ララはくいっと首を上げると、ディランの頭上にひとっ飛びした。そしてディランの頭をまたつつき始めた。
「いまのはディランさまが悪いです。ララさんは、女の子なんですから」
追いかけっこをしていたニックとミナモもララに気づき、ディランたちのそばにやってくる。大陸最速の鳥だとディランが説明すると、ミナモはララを欲しがった。
「最速? お前、あたしの船の船員になれ!」
だがララは、ディランの頭上に乗ったまま澄まし顔でミナモを無視した。ミナモはララを力づくで捕まえようとする。するとララはひらりと飛び上がり逃れた。かと思ったら急降下してミナモの背中に突っ込んだ。ミナモは体勢を崩し、すぐそばにいたディランにぶつかった。船べり際にいたディランはよろめき、船から海へ落下する。
「ディランさまっ!?」
水飛沫の大きな音に、サザやほかの船員たちも事態に気づく。船べりに集まる面々の中、エフェメラとミナモが青い顔をして海面を見ていると、まもなくディランが疲れた顔で浮かんできた。
×××
陽が落ちた頃、船は元の船着き場に到着した。エフェメラとディランは元の服に着替えていた。ディランの髪はまだ濡れている。桟橋に下りたニックが、船を見上げて叫んだ。
「ミナモ! またホノオ丸にのせてくれよな!」
ミナモが船べりから顔を出す。
「どこの船のことだ? あたしの船は、ダイエンネツジゴク丸だけど」
「え? だってサザが、この船の名前はホノオ丸って」
「サザ! どこ行った!」
エフェメラたちは船員たちにもう一度別れの挨拶をし、街へ向かった。
「――ディラン兄ちゃん、大丈夫?」
歩きながらニックが聞いた。エフェメラも激しく同調する。
「そうです! ディランさま、本当に大丈夫ですか? 今日は二回も海に入ってずぶ濡れに!」
「大丈夫だよ。髪ももう乾くし」
近頃は水に濡れるディランをたくさん見ている気がする。その度にエフェメラは、いつもより妖艶に見えるディランに密かにときめいてしまうのだが、本人からすれば大変だろう。
「それより、フィー。ニックと二人きりで街へ来るのは、もう禁止だからな。服を変えたって、せめてガルセクは連れて来なくちゃだめだ」
エフェメラは大丈夫だと返したくなったが、ディランは心配して言ってくれているのだと考え、素直に頷くことにした。
「……じゃあ、俺は」
一緒に船を出たブラウがディランに言った。
「ああ、うん。明日もいつものとこで」
通りの角に消えるブラウを追って、ディランの肩に留まっていたララも飛んでいく。それを見送りながらニックも「あっ」と焦り声を上げた。
「いけねー! おれも晩めしの時間だ! 早く家帰んねーと、おこられるっ」
ニックは慌てて道を走り出す。走りながら、エフェメラとディランを振り返り、「また遊びに行くから!」と手を振った。エフェメラは今日の礼を言いながら手を振り返した。
露店市場はほとんどが店じまいをしていて、街灯だけがぽつりぽつりと灯っていた。空には月が見え始めている。ややゆったりとした速度で、エフェメラとディランは建物に囲まれた細い道を進んだ。
「向こうの海沿いの道を行こう。街中を行くより、早く宮殿に着けるんだ」
ディランの提案に従い行くと、やがて建物が切れて一本の細い道に出た。すぐ左手に砂浜と海が広がる一本道だった。弧を描くように伸びる道の先に、淡い光が灯るウィンダル宮殿が見えている。道の終わりが宮殿前の大通り付近につながっているようだ。道は外灯もなく整備もされていないが、ディランの言葉通り街中を行くよりは早く宮殿へ着けそうだ。
「これは、隠れた近道ですね」
「街を回ってる時に偶然見つけたんだ」
賑やかな通りを隔てた砂浜に人の気配はない。夜の海がそっと波打つ音だけが聞こえていた。銀色の月は明るく、柔らかな光で海辺を照らしてくれている。
ディランと二人きりでいる時間が、エフェメラの体にだいぶ馴染んできていた。ウィンダル公国に来る前と比べ、緊張で落ち着かないということはない。相変わらず心臓は逸るが、のんびりとした幸せを感じる。
ディランは何を考えているのだろうと思い、エフェメラはちらりと隣を見上げた。ディランは海を見ていた。何を考えているのかは、表情からは測れない。
(ディランさまは、わたしのことを、少しでも好きになってくれているのかしら)
嫌われてはいないだろうと思う。大事に扱われているということもわかる。だが、愛おしく思われているかと言えば、恐らく違う。
なら少しでも希望はあるだろうか。以前エフェメラがアーテルに口づけされそうになった時に、ディランが不機嫌になった出来事を思い起こす。あの行動はどういう感情からきたのだろう。ディランも、少しはエフェメラを好いてくれているということなのだろうか。
わからない。エフェメラにはディランの気持ちがまったくわからない。普段から何を考えているのかわかりにくいから、余計に難しい。
だがもし好いてくれているのなら、エフェメラと手をつなぎたいと思ったり口づけをしたいと思ったりするのではないだろうか。例えばいま、エフェメラがディランと手をつなぎたいと思っているように。
「――ディランさま」
「ん?」
「ディランさまは、その……い、いまのわたしのことを、どう思っていますか?」
「いまの君?」
ディランはわりとすぐに答えを出した。
「相変わらず抜けてるところがあるなぁと思うよ。足元には、もう少し気を使ったほうがいい」
船への渡し板から滑って落ちたことを言っていた。エフェメラは甘い空気が飛んでいくのを感じた。
「あ……、えっと、そういうことではなくて……」
ディランはなおもわかっていない様子だ。いつもなら察してくれそうなものだが、今日は調子でも悪いのだろうか。それとも単に、いまがいい雰囲気だと感じていたのはエフェメラだけで、ディランはただ普通に宮殿へ帰っているだけのつもりだったのか。
どちらにせよ、エフェメラは諦めて「……気をつけます」とだけ返した。手をつなぐ挑戦は断念だ。そもそも、本当はディランからつないでもらいたい。
「そういえば、ディランさまに、聞きたいことがあったんです」
エフェメラは話を変え、海を眺めるディランに訊いた。
「その……サンドリームと、ウィンダルのことなのですが」