3-22 剣の行方
「うーん、外傷はないし、どこにも異常は見当たらんなあ」
帆船の医務室の中で、禿頭の船医がのんびりと言った。ミナモや青年同様変わった恰好をした船医だ。対面にいるのは丸椅子に座ったニックだ。
「触った感じもなんともないし……どうだ? まだ頭痛むか?」
「うん」
ニックは頭を手で押さえ、苦しむ声のまま続ける。
「でもおれ、少しの間船にのって海を走ったら、いたいのなおる気がする」
医務室にいた一面はそろって心配顔を消した。ミナモが怒鳴る。
「さてはお前、船に乗りたいがために一芝居打ちやがったな!」
ニックは病弱な少年のような表情を崩さない。するとミナモはもう一度ニックの頭を殴った。
「いってえ! いきなり何すんだよ!」
「ほら見ろ! 同じように殴ったって、ぴんぴんしてんじゃねーか!」
ニックの後ろには全身びしょ濡れのエフェメラとディランも立っていた。エフェメラは怒りよりも安堵の気持ちが大きかった。
「良かったわ。どうなるかと思った」
「このガキ! 大人を騙すとどうなるか、いまから体に叩き込んでやる!」
「いきなり子どもをなぐるよーなやつに教わることなんて、ねーよーっだ!」
捕まえようとするミナモの手を華麗に避け、ニックはディランの背に隠れる。剣を抜こうとしたミナモを青年が抑えた。ニックはミナモに舌を出した後、ディランを見上げた。
「ところで、なんでディラン兄ちゃんがここにいんの?」
「……彼女が海に落ちるところを、偶然見かけて」
ディランの登場にはエフェメラも驚いていた。妻の危険に駆けつけるなど、運命を感じてしまう。
「二人とも、着替えたらいかがっすか?」
暴れるミナモを慣れた様子で掴みつつ、青年がエフェメラとディランへ言った。
「船にある着物でよければお貸しますよ。いまから船も出すんで。その辺の海域散歩してる間に、服も風で乾くと思います」
「何言ってんだサザ!」
ミナモが目を吊り上げた。
「こんなガキのわがまま聞く気か?」
身長差が頭二つ分あるせいか、または怒鳴られることに慣れっこなのか、サザはまったくミナモに臆する様子がない。一見怖そうに見える切れ長の瞳でミナモを見下ろす。
「先に手を出したのはお嬢なんでしょ? 詫びとして、わがままくらい聞いてやったらいいじゃないっすか」
「だってそれは、そのガキが、あたしらの剣をばかにしたから!」
「剣ばかにされるたびにお嬢が暴れるのも、客足が遠のいてる理由の一つなんすからね。いい加減、怒るのやめなきゃだめですよ」
「んなこと言ったって……。みんな、触りもしねえで、好き勝手言うから……」
「気持ちはわかります。そんで、お嬢がお館さまやみんなのために怒ってるってことも、わかってます」
「……」
「わかってますから、ここはガキのわがまま汲んで、船出します。いいっすね?」
言い切ったサザに、ミナモはせっかくの整った顔立ちが台無しになるくらい苦い顔になる。だがそれ以上反対はしなかった。
エフェメラとディランはサザの厚意を受けトウノクニの着物に着替えた。エフェメラの着物は白地に花模様が入ったもので、腰には紅色の布を巻いてある。腰の布はトウノクニでは『帯』と呼ぶらしい。動いているうちに帯が緩み着物が解けないか心配になったが、ミナモがしっかりと結んでくれたおかげか大丈夫そうだった。
ディランは紺色の着物を着ていた。雰囲気が変わりいつもより色気がある気がして、エフェメラは見ていてどぎまぎした。
「ミナモさんは、ウィンダルに剣を売りに来ているの?」
流れる潮風を船べりで感じながら、エフェメラは隣にいるミナモに訊いた。船は沖に出ていて、甲板からは夕陽に照らされた公都の街並みが小さく見えている。
後ろでは、サザとほかの船員が巨大な帆を縄で動かしていた。速度と進行方向を調整しているらしい。ディランとニックが彼らの様子を近くで眺めている。
「まーな。でも、昨日と今日はあんまり売れなくてなー」
ミナモは船べりに顎を乗せながら力なく答える。
「この国に来るのはもう六度目だし、物珍しさで買う人もいなくなってんだろーな」
「せっかくの自慢の剣なのに、残念ね」
「ほんとだよ。ここの金集めたいってのに」
エフェメラは意外に思った。自慢の剣を認めて欲しくて売っているのだと思っていた。
「お金は欲しいの?」
「ここじゃあ、あたしらの国の金は使えねーからな。交換もしてくんなかったし。だからこの大陸の金をいっぱい集めねーと」
「ここで暮らしていくために?」
「いや。この大陸を冒険するために!」
ミナモはしゃきっと背筋を伸ばして立つと、夕空を見上げた。すじ状に浮かぶ雲が橙色に色づいている。
「あたしさ、冒険がしたいんだ。世界中、行けるとこまで全部」
ミナモの瞳には夢が溢れていた。
「生きている間に、見たことのない、いろんなとこを見てみたい。十七になって、父さんがようやく島出ること許してくれてさ。んでまず初めに、一番近いこの大陸に来たんだ。そんでここで使われてる金集めるために、うちで作ってる剣を持ってきたんだ」
エフェメラは感心した。しかし言葉を反芻し、すぐに驚く声を上げる。
「ええっ! ミナモさん、十七歳なのっ?」
ミナモはどう見てもエフェメラより年下の少女にしか見えなかった。ミナモが大きく顔をしかめる。綺麗な顔がまた台無しだ。
「失礼だなぁ。あのガキといい、この大陸は失礼なやつばっかなのかー?」
「ご、ごめんなさい。でもその……嘘じゃなくて?」
「失礼にもほどがあるぞっ!」
「まあ、疑いたくもなるっすよね。お嬢は子どもに見られることのほうが多いし」
サザが会話に入ってきた。ミナモが眉根を寄せ振り返る。
「おい、サザ。お前、喧嘩売ってんな?」
「まさか。俺はただ本当のこと言っただけです」
「売ってんだろーが! あたしが身長足りねーの気にしてること、知ってんだろ!」
「背もだけど、足りないのはやっぱりおっぱいじゃねーの」
ニックがサザの隣で陽気に言った。
「ほぼねーじゃん!」
ミナモは堪忍袋の緒が切れたらしい。剣を抜きニックを追いかけ回し始める。周りの船員たちは、甲板をすばしっこく逃げ回るニックと気性の荒い小さな船長を温かな眼差しで見ている。エフェメラは口元を緩めてサザに言った。
「ふふっ、いい船だわ」
「この船に乗ってんのは全員、あのお転婆のお守みたいなもんすから」
サザは、ミナモの家で昔から働いている従者なのだという。船員もミナモの家と付き合いが長い者たちだけらしい。
「遠い島の人たちって、どういう人たちなのかなって思ったけど、わたしたちとあまり変わらないのね」
「それは、俺も同意見っす。お嬢が心配でついて来たけど、とりあえず安心してます」
エフェメラはサザを見上げた。サザの声色に、ミナモへの特別な感情がある気がしたからだ。
「俺らの国は、閉鎖的なんす。船はあっても、他国まで足を伸ばすなんてことはしない。だから、お嬢みたいに国外へ行こうとするのは珍しいし、行こうにも情報が乏しいから不安も大きくて。ほんと、安心しました」