3-18
「いいぜ。そういうことなら、大陸一の男であるおれに、任せとけ!」
思わぬ幸運が舞い込んできた。エフェメラは笑顔で礼を言い、街へ行く準備に取りかかった。
街へ行くための一番の問題はエフェメラの安全だ。いままでのようにまた賊に襲われては堪らない。エフェメラは女官に頼み、一般的なウィンダル服を借りた。頭には髪が隠れる長頭巾、上衣は体の線に沿ったきつめの半袖、下衣は足首まで隠れるゆったりしたスカートという、どこから見てもウィンダル風の装いだ。スカートの裾には細かなウィンダル模様も縫われている。
長頭巾からはみ出た髪先さえ気にしなければ、初見は普通のウィンダル人にしか見えない。いつもの癖でお洒落に工夫を凝らしたくなったが、目立たないためには質素が一番だと諦める。
護衛にガルセクを連れて行こうか迷ったが、ガルセクは今日、ローザとヴィオーラを海へ入れる約束をしていたことを思い出す。エフェメラのために二人の楽しみを潰すのは悪いので、エフェメラは書き置きを残し黙って部屋を出ることにした。
いまは真昼で、さらに街に詳しいニックが一緒、そして変装もしているのだ。さすがに何もないだろう。あとは暗い路地や人が少ない場所は避け、怪しい人には関わらず、まずいと思ったら早く逃げるようしっかり注意する。これで完璧だ。エフェメラは自分の成長に称賛を送りたくなった。
書き置きには、街へ行くことと、明るいうちに帰るという旨を記した。
×××
「――女に一番人気なのはここかな。ウィーダ大聖堂の『祈りの壁画』。この絵のどこかに一個だけ瑠璃があるんだ。それを見つけ出して、恋人とさわって将来をちかえば、ずっといっしょにいられるんだってよ」
ウィーダ大聖堂は、ウィンダル公国内で最も巨大なハキーカ教会の施設だ。ウィンダル宮殿同様鮮やかな空色の丸屋根と、ウィンダル模様がところどころに彫られた石で建てられている。高い鐘楼も併設されていて、公都ウィーダでは宮殿の次に有名な建物だ。大聖堂の周りは円形の水路で囲まれていて、大聖堂へと渡るために架けられた広い石橋は、待ち合わせなどで市民にもよく使われているらしい。
大聖堂の中に入り回廊まで行くと、『祈りの壁画』はすぐに見つけた。壁の端から端まで一面に描かれた、巨大な壁画だった。エフェメラは絵を見ながらニックに訊いた。
「ラピスラズリはどこにあるの?」
描かれているのは、大陸神ハキーカと天使リースとイヴ、人間、それから町や海などだ。エフェメラはデート場所一覧を記すために持ってきた羊皮紙に、『ウィーダ大聖堂の祈りの壁画で瑠璃を見つけ、二人で触って愛を誓う』と書き留める。
「それは自分で見つけねーと」
ニックが苦笑しながら答えた。
「ええっ! こんなに大きな絵なのに? 見つけるだけで、一日終わっちゃうわ!」
「じゃあ、エフェメラ姉ちゃんは、永遠の愛ってやつがちかえねーな」
ニックは面白がるように笑うが、エフェメラは困ってしまった。それを気にせず、ニックは大聖堂の出口へ走り出す。
「ほら、さっさと次行くぞ! ウィーダで女が好きそうなとこ、ぜーんぶ教えてやるからさ!」
ニックが次にエフェメラを連れてきた場所は街の広場だった。広場の中央には、水が円筒を描くようにして落ちてくる珍しい形の噴水がある。円筒の上には国花である水仙の花が咲いていて、まるで花から水が流れてきているようだ。
噴水の前には若い男女がいた。噴水に背を向けた状態で後ろへと何かを放っている。何をしているのだろうとエフェメラが不思議に思っていると、ニックが理由を教えてくれた。
「後ろから、噴水の中に硬貨をなげるんだ。うまく入ったらねがいが叶う」
エフェメラは肩掛け鞄から羊皮紙と羽根ペンを取り出しまた書き留めた。噴水の中を覗いてみると、透明に揺らぐ水の底には銅貨や穴銅貨が一面に落ちていた。
「穴銀貨をなげるやつなんかもいるんだぜ? もったいねーよなー」
「あっ、あそこに銀貨があるわ」
「え、うそ」
茶褐色の銅貨の中にぽつりと見える銀貨があった。大人が丸一日働いてようやく稼げる金額である。ニックが悔しむように顔を歪ませた。
「しんじらんねー! 銀貨だ! もったいねー!」
「余程大きなお願いだったのね」
ニックはしばらく羨ましそうに銀貨を見つめていたが、拾うなんて不届きなことは勿論せず、「次行くか」と歩き出した。
エフェメラはニックと二人で公都ウィーダを歩き回った。ハートの形に見える岩や、目を閉じた状態で歩き恋人の声の指示だけで辿り着くと願いが叶う木、井戸のように地下へと続く階段を下りてその先にある水場で水を飲むと二人で長生きができる、などなど、恋人が行くデート場所をいくつも教えてもらった。
「このかべ穴から、宮殿を二人で見るといいんだって」
「あ、ほんとだわ。きれいに宮殿だけが見えるのね」
「この垣根どうくつは、二人で寄りそって通りすぎなきゃいけないんだ」
「ええっ! 寄りそわないといけないのっ?」
「この水そうの中に手を入れて、愛を告白するんだ。うそを言うと、手が水にとけちゃうんだってよ」
「と、溶ける……? ……これは、わたしだけにしておこうかしら」
気づけばあっという間に午後になっていた。エフェメラはニックと街の高台へ向けて坂を上っていた。高台にある広場には、恋人たちに人気の『愛の鐘』なるものがあると言う。
雲が少ないため陽射しは容赦なく二人の体に降りそそいだ。汗で服が背に張りつき、前髪も濡れる。坂の先には高台広場へ続く長い階段がさらにあった。土と木で作られた階段で、何度も角を折れて上へと続く。やっとのことで上り切ると、心地良い風がエフェメラの汗を冷やした。
高台広場には、真っ白な水仙の花が波のように揺れていた。それほど大きな広場ではない。人の姿も数えるほどだ。
斜面の手前には木の柵が作られている。柵の前に立てば、練色の石造家屋が並ぶ公都ウィーダの街並みと、空色の屋根の壮麗な宮殿、そして紺碧の海が一望できた。
「……とても、気持ちがいいところ……」
「だろ? 夜景もすっげーきれいなんだ。ここで好きだって伝えるやつも多いみたい」
「ニックは、恋人に人気な場所を本当にたくさん知ってるのね。もしかして、好きな女の子がいて勉強でもしてるの?」
「そんなんじゃねえって。好きな女はまだじっくり選んでるとこだからな。――知り合いの姉ちゃんから、よくデートの話聞くんだ。どこに行ったとか、何をしたとか、何をもらったとか――のろけ話ばっか。そんで覚えちゃったってだけ」
「そうだったの。熱々なお友達なのね」
「ほんとだよ。同じ話ばっか何度もすんだ。だらしない顔しながらさー。聞いてるこっちがかゆくなるくらい」
「なんだか、とってもかわいらしい方ね」
「うーん……まあ、顔はかわいいほう、かな」
「もしかして、好きなの?」
ニックが顔を赤くした。慌てふためく男の子は、女の裸に瞳を燃やしている時の百倍は可愛く見えた。
「好きかきらいかって聞かれたら、そりゃあ好きだけど、べ、別にそういうんじゃねーよ!」
「うーん、本当かしら」
「本当だって! だいたい、ソフィア姉はもうすぐ結婚するし!」
「え?」