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3-17

   ×××


 部屋に戻った後、エフェメラはディランが帰って来るまで眠らずに待っていようと思った。自分が何も知らないという不安が心に渦巻き、どうしても気分が晴れなかった。


 ディランの体の傷を見た時にエフェメラが感じたものと同じことを、アラベリーゼに指摘された。やはり知らないことがあるのだ。ディランに直接聞けば、不安を取り払う答えをくれる気がした。


 就寝時間になっても寝台に向かわず、椅子に座り本を手に取った。窓際の小卓にあったディランの本で、『海と民の歴史』という、なんとも興味をそそられない資料集だが、ほかに暇を潰せるようなものがないためエフェメラは本を読み始める。何かに集中し、ディランが戻るまで起きていられさえすればいい。


 ページ数五百超の大長編、全六十八章だ。第一章の二頁目まで読み進め、そこでエフェメラの記憶は途切れた。再び意識を取り戻した時、エフェメラは寝台の上にいた。


 ウィンダル公国特有の、目がちかちかとしてくる細かな文様が縫われた窓幕の隙間から、眩しい朝陽が見えている。隣には誰もおらず、いつものように、ディランが眠っていた痕跡だけが残っていた。


 寝台を下りながら天蓋をくぐり、壁で半分区切られただけの寝室を出る。いつものように、椅子にディランが座っていた。寝癖のまま突っ立つエフェメラに気づくと、茶器を持ち上げたまま優しい声で言った。


「おはよう」

「……おはようございます」


 いつもはそこでディランが本に目を戻し会話は終わるが、今日のディランは言葉を続けた。


「椅子で眠ると風邪をひくから、ちゃんと寝台で眠ったほうがいいよ」

「……はい。気をつけます」


 エフェメラは身支度を整えるため鏡が置いてある場所へ移動した。あろうことか、昨夜は本を読みながら眠ってしまったらしい。帰ってきたディランがエフェメラを見つけ、寝台まで運んでくれたようだ。エフェメラは不甲斐なさで力が抜けた。


 髪を整えドレスに着替えた後、エフェメラはディランの向かいの椅子に座った。宮殿に来てからは身支度はほぼ一人で済ませている。ディランとエフェメラが同室なことに遠慮してか、呼ばない限りローザとヴィオーラが朝に部屋へ来ないからだ。


 ディランがエフェメラにも紅茶を用意してくれた。エフェメラは礼を言って茶器を手に取った。ディランが淹れてくれる紅茶はとても美味しい。エフェメラは紅茶を淹れたことがないが、使用人がよく試行錯誤しているためこつが必要なのだろう。温かな紅茶で目覚めていく頭で、ディランは本当に何でもできるなぁと改めて思う。また一つ、彼を好きになった気がする。


「――今日も、お仕事ですか?」

「うん」


 ディランは表情を曇らせる。


「ごめん」

「いえ……」


 互いに無言のまま紅茶を飲んだ。ディランは紅茶を飲みながら、昨日エフェメラがあっという間に倒された『海と民の歴史』の本を読んでいた。驚くべきことに、もう残り数(ページ)だ。よく眠くならないなと、感心するよりも驚愕する。


 エフェメラの視線が気になったのか、ディランが話題を探すように言った。


「昨日も、アラベリーゼ公妃やガルセクたちと過ごしたのか?」

「はい。昨日は、一昨日回り切れなかった宮殿内の部屋を見ました。あとは、踊りの稽古を見学したり、ウィンダルのお菓子を食べたりしました」

「そっか」

「……ディランさまは、お仕事順調ですか?」

「うん、まあ」

「まだ終わりませんか?」

「うん。……ごめん」

「いえ……。そう言えば、アーテルとアルブスがいないので、ディランさまは一人でお仕事をなさっているのではありませんか?」

「いや。渓谷の仲間がこっちにいるんだ」

「そうなのですか。――シーニーさんは、いませんよね?」


 再び文字を追おうとしたディランの目が止まる。


「う、うん」

「そうですか。良かったです」

「……前も言ったけど、君がシーニーのことを気にする必要はないよ。シーニーは、全然、そんなんじゃないから」

「……ディランさまには、微妙な乙女心はわかりません」


 唇を尖らせ言い返した。紅茶を飲み干し、もう一杯飲もうとした時、ディランが本を読み終え立ち上がった。


「じゃあ、そろそろ行くよ」


 ディランは腰に剣を差し、市民姿で外出する時にいつも着る漆黒のマントを羽織る。首元でマントを留めていると、誰もいなかったはずの窓から男の子の声がした。


「どっか行くの?」


 窓の外に、水色髪のやんちゃそうな男の子、ニックがいた。ディランはニックの予想外の登場に目をみはり、感じ入るように言う。


「本当に気がつかないな。……大したものだ」


 ニックは窓から部屋へ入り、駆け足でディランに近づく。小さな膝には治りかけのかさぶたがあり、遊び回っている間にくたびれたのであろう服には、何度も繕った跡がある。


「おれのお忍び力は大陸一だからな! 約束どおり、湯浴みと着替えの時間はずらして来てやったぜ」


 ニックが得意げに構えをとると、ディランがその頭を軽く撫でた。ニックは満更でもなさそうに鼻をこすった後、ディランを見上げた。


「ディラン兄ちゃん、どこ行くんだ? また勝負しようぜ! 逃げきる作戦を考えてきたんだ。いくらディラン兄ちゃんが相手でも、今度はつかまんねーぞ」

「悪いが、これから用があるんだ。追いかけっこはまた今度な、ニック」


 「ええー!」と声を上げるニックを置き、ディランは部屋を出て行った。ニックは不機嫌に顔をしかめて閉まった扉を睨む。エフェメラは元気づけようと、ニックの目の高さに合わせて膝を曲げた。


「代わりにわたしと遊ぶ?」

「ええー、姉ちゃんとぉー? でも姉ちゃん、走るの遅そうじゃん。おっぱいがじゃまそうだし、鈍くさそうだし」

「そ、そんな……確かに足は速くないけど――でもむ、胸は関係ないわ」


 エフェメラは赤くなりながら胸元を押さえる。


「ま、しょうがねえか。姉ちゃんひまそうだし、いっしょに遊んでやるよ」

「ふふっ、うれしい」

「でも何して遊ぼっかなー。姉ちゃんと追いかけっこしてもつまんねえだろうし……」


 悩むニックに、エフェメラは思いついて提案した。


「なら、街を案内してもらえない?」

「え?」

「ニックはきっとウィーダに詳しいでしょう? 実は来月、ディランさまと街で遊ぶ予定なんだけど、どこに行くのが一番いいか、ずっと悩んでいたところだったの」


 ニックは必死さが窺えるエフェメラの瞳を見て、何かに気づいたようににやりと笑う。


「ふーん。さては姉ちゃん、おすすめのデート場所を知りたいんだろ?」


 エフェメラは閉口した。図星だった。ディランに二人で街へ行こうと誘われてからずっと、どうせ街を回るなら恋人たちが行くような素敵な場所へ行きたいと考えていた。恐らくディランは深く考えておらず、街の有名どころを適当に回るのみだろう。夫婦の距離が縮まらないまま一日は終わりだ。



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