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3-14 平和な世界

 都の夜はどこも似たようなもので、海の都と謳われる公都ウィーダの夜も、例に漏れず華やかな賑わいを見せていた。海岸線沿いに伸びる通りには煌々と明かりが灯り、海から望めばさぞ美しいことだろうと想像できる。


 賑やかな通りを一本隔てた影の道をディランは歩いていた。途中、店への呼び込みをしている若い女性に何度か声をかけられ、それをぎこちなく断りながら、ウィンダル公国特有の練色の石造家屋の合間を進む。いくつかの坂を上り、人の声がまったく聞こえなくなった頃、ようやく辿り着いた場所は閑静な住宅街だった。


 坂の上で後ろを振り向く。蒼ざめた都の中央に繁華街の光が見えた。光の向こうには静かで暗い夜の海がある。辺りがあまりに静かなため、見ているだけで波の音が聞こえてきそうだ。


 空に浮かぶ銀色の月には薄く雲がかかり、朧げな月光が海を照らしている。


(いい景色だな)


 平和な毎日の一瞬を切り抜いた、そんなありふれた景色だ。観光名所に選ばれるような、多くの人を魅了する景色ではない。だがディランはそんな普通の景色が好きだった。


 潮風が吹き、ディランの金色の髪と漆黒のマントが大きく揺れた。それを合図にまた歩き出す。そしてやがて見えてきた細い小路に入った。


 そこには二階建ての共同住宅が建っていた。扉の数から部屋数は二十といったところだ。建物の端では茶色い毛の猫が気持ちよさそうに伸びをしている。


 ディランは階段を上り、扉の一つを軽く叩いた。すぐに扉が開いた。中から、真っ直ぐな黒髪を肩まで伸ばした、目鼻立ちの整った少女が現れる。初対面の人には冷めた印象を与えるくらい落ち着いた雰囲気の少女だが、本当は面倒見がよく優しいことをディランはよく知っていた。


「遅かったわね」


 シーニーはディランの姿にかすかに表情を緩め、玄関へ招き入れた。ここはシーニーがウィンダル公国に長期滞在するにあたり一時的に借りた部屋だった。中の部屋数も一つで、一人暮らしに最低限必要な広さしかない。


「悪い。尾行をまくのに少し時間がかかって」


 扉を閉めながら理由を述べたディランに、シーニーが形のいい眉を上げる。


「大公に監視されてるの?」

「指示してるのは大公じゃないと思うけどな。補佐官たちでもなさそうだし、たぶん、公妃の誰かかな。……あの大公には、俺を監視しろなんて指示はきっと出せない」


 シュトホルムが、より厳密に言えばウィンダル公国の君主が、サンドリーム王国に何かしらの行動を起こそうとするなどあり得ない。もう何百年もそうなのだ。


 ウィンダル公国は、言わばサンドリーム王国の属国のようなものだ。力関係がはっきりしているため、要求にはまず逆らえない。公国の現状を正しく理解していれば、誰でも気づく事実だ。


「ブラウは?」

「もう来てるわ」


 壁際にはシーニーの衣服やよろいが綺麗にしまわれた棚があり、その奥には几帳面に寝具が整えられた寝台がある。窓辺には真っ白なお腹以外すべて瑠璃色の鳥、ララがいて、いつもと変わらぬ澄まし顔で羽を休めていた。


 シーニーの愛用の槍は壁に立てかけてあった。そしてその槍のそばに長身の青年が立っていた。歳は二十を超えたくらいで、眉間にしわが寄っているせいかいかめしい印象を受ける。背には大剣を収めた大きな鞘があった。


「ようやく来たか」

「悪かったよ、遅くなって。――久しぶり、ブラウ」


 ブラウは僅かに青藍の瞳を細めた。眉間にしわがあるのはブラウの癖のようなもので、怒っているわけではないということは長年の付き合いでわかっている。


 ブラウは渓谷けいこく出身のディランの友人だ。五歳離れていて、ディランやシーニーを弟妹のように可愛がってくれている。子どもの頃からの癖が抜けないのか、ブラウは再会したディランの頭に手を乗せた。


「元気そうだな。最後に会ったのは去年のデケンベルか。……あれから半年以上経ったんだな。早いもんだ」


 渓谷の民のうち、王の慧眼(ラズワルド)の要員として渓谷の外で仕事をしている者は、年に一度、デケンベルになったら帰郷する決まりだ。普段は忙しく渓谷に帰る余裕がないディランも、デケンベルだけは仕事を切り上げ必ず帰るようにしている。渓谷から出ない母に会えるのも、必然的にこの時だけだ。


「結婚式はどうだったんだ?」


 ブラウが軽い調子で訊いた。ディランは瞬時に無難な言葉を考えた。


「何もおもしろいことはなかったよ。ただいつも通り、貴族の相手をしてただけ。退屈だった」

「ここには王女も一緒に来たんだって? 意外だな。お前だけでくる予定だったろ」

「うん。本当は連れて来たくなかったんだけど、陛下の命令で仕方なく」

「なんだ。まだ王女の扱いに困ってるのか?」

「うーん、まあ……でもいい子だし、それなりにやってくよ」


 それ以上、ブラウは訊かなかった。ブラウは、ディランの王子としての義務を面倒なことだと思ってくれている。シーニーもそうだ。同情のような気持ちを抱いてくれている。


 だからディランはいつも返答を考える。そして結局、楽しいことではないけど前向きにやっていけるというような、曖昧な言葉を選んで返す。本当は悪い暮らしではないのだと正直に言ってしまうには、事情や立場が複雑過ぎた。


「――さっそく本題に入るか」


 ブラウが椅子に座った。ディランは棚に体重を預け、シーニーは寝台に腰を下ろす。


 昨日はディランが公都へ到着したばかりだったため、今日の夕方に三人で会う約束をしていた。目的は異邦人についての情報共有だ。ブラウはすでに、半年ほど異邦人の調査を続けている。


「『トウノクニ』という国名はもう聞いたか?」


 ディランは頷いた。宴の席で大公補佐官に教えてもらった。シーニーが軽く肩をすくめる。


「海の向こうの国だけあって、変わった名前よね」

「ぽつんと浮かぶ島国らしいな。ここが最も近い大陸らしい。人口は五百万。政治は、専制よりは共和制に近い」


 一応の君主は存在するが、合議で政策を決めることが多いという。国民も生まれながらの貴賤上下の差別が大きくはなく、実力次第で土地が得られることもある。


 ディランの言葉にブラウが頷き、話を続けた。


「そのトウノクニの連中が最後にここを発ったのが、ちょうど十日前になる。五度目の来航だった。一度目と二度目の来航については、もう伝えてある通り、数日ウィーダに滞在し剣を売って帰るというものだった。だが三度目の来航から、ウィーダに寄った後にサイレスにも寄るようになった」


 サイレス市はウィンダル公国で二番目に大きな港都市だ。公都ウィーダよりずっと東、スプリア王国がある果ての大森林(ジェンニバラド)寄りにある都市である。異邦人たちは、自国から公都まで船で来て、それからサイレス市に行き、サイレス市から自国へ帰るという順路をとっているということだ。


「ウィーダからサイレスへの移動に使うのは、もちろん乗ってきた帆船だ。馬車だと五日はかかるが、帆船だと二日ほどで着くらしい」

「早いな」

「船長の無茶のおかげもあるらしいがな。その船長は――見た目は子どもみたいに若い女なんだが――安全よりも速さ重視の渡航を好むらしい」

「名前は?」

「ミナモ。トウノクニの大商家の一人娘らしい。歳は十八。雇ってる船員の数は、来るたび多少変わるが、だいたいは十五人程度だ」

「そのミナモという女性は、どういった女性なんだ?」

「なんというか……とても豪快な人よ」


 シーニーが答えた。前回の来航、つまり五度目の来航時は、ブラウの調査にシーニーも同行していた。


「言ってしまえば、女性らしくないというか……剣も扱えるみたいね。商品の剣に難癖をつけてきたお客さんに斬りかかっていたから。周りの船員に慌てて止められてたけど」

「……なるほど」


 自分たちが作った剣に相当な自信と愛着があるようだ。話で人物像は掴めてきたが、やはりディラン自身も確認したいところだ。


「次に来るのは、三日後だったな」


 ディランが得ていた情報に、ブラウとシーニーも同意する。


「まずは、トウノクニの人たちの本当の目的を知る必要がある。そして何かを企む確証を得たら、当面は行動を起こせないよう、策を講じる」

「……そのことなんだが、ディラン。気になってる点が、一つあるんだ」


 ブラウが慎重に話し出す。


「前回と前々回の来航でのことなんだがな――トウノクニの連中は、ウィーダで剣を売った後、サイレスでも剣を売るってさっき話したろ? だからそれなりの数の剣を船に乗せて国からやって来るんだが、実際にウィーダで売れるのは、持ってきた量のせいぜい三分の一程度だ。だが驚くことに、サイレスから国へ帰る頃には、船は空になっているらしい。――俺は、サイレスで剣を相当売っているんだろうと思って調べてみた。しかしサイレスでは、ウィーダで売れるよりもさらに少ない数しか剣が売れてなかった。連中が余った剣を船から運び出す様子も、なかった」

「それって……」


 ディランが続けようとした言葉をブラウが引き継ぐ。


「ああ。ウィーダからサイレスへ移動する途中で、剣が大量に消えてるんだ」



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