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3-09

 エフェメラは思わず表情を明るくして頷いた。アラベリーゼもふわりとほほえむ。髪色が暗めなため、金色の瞳がよく映えて見えた。


 大広間とつながる庭には、人工小川が縦に横にと何本も引かれていた。小川の合間にある花壇には、白や黄色の水仙(スイセン)の花が植えられ、噴水に、それからハキーカ教会の天使像もいくつか置いてある。


 庭の向こうには広い砂浜と、静かな波音を立てる紺碧の海が広がっていた。水平線の向こうに夕陽が沈もうとしている。澄んだ小川と噴水、それから海の水がきらきらと橙色の光を反射させていた。


「宮殿で一番の自慢の庭園です。海の庭と呼ばれております。お気に召すとよろしいのですが」

「とっても気に入りました! きれいです……」

「ふふっ。良かったですわ」

「……あの、アラベリーゼ公妃」

「アラベリーゼで構いません。歳も近いようですし」

「では、アラベリーゼさん。あの中央にあるものは、何でしょうか?」


 庭の中央には巨大な硝子(ガラス)の水槽があった。珍しい球体の水槽だ。大きな魚を何匹も飼育できそうなほどに大きいが、中には水以外何も入っていない。


「あれは、わたくしの舞台です」

「舞台?」


 エフェメラはアラベリーゼの返答がいまいちわからなかった。アラベリーゼは説明をせずほほえむだけだ。


 その時、大広間から黄色い声が聞こえた。振り返って見た光景に、エフェメラはかっと頭が熱くなった。


「ディランさまっ!」


 急いでディランのそばへ寄る。数名の踊り子たちがディランにくっついていた。踊り子たちはディランの頬に手を当てたり腕を抱いたりしている。エフェメラが近づくと、踊り子たちは「きゃーっ」と楽しそうに叫びながらディランから離れた。


「な、何をなさっているのですか!」


 ディランの顔は、酒のせいもあるだろうが赤くなっている。


「フィー……」

「でれでれとして、いい、いやらしいですっ!」

「してないよ、でれでれなんて」

「してました! ……ディランさまは、このような、露出の多いドレスが好きなのですか!」

「…………そんなこと」

「いまの間は何ですか!」


 そばでやりとりを見ていたシュトホルムが声を出して笑う。


「あははっ、かわいいねえ。女性の嫉妬って、どうしてこんなにかわいいんだろうねえ」


 エフェメラは額まで赤くなる。


「し、嫉妬と言うわけでは……っ」


 言い訳の言葉をもごもごと並べるが、シュトホルムはすでに聞いていない。庭の方角に目を向ける。


「おお、陽が落ちたね。――アラベリーゼ」


 アラベリーゼは庭を背に立っていた。縦横に流れる小川の横に小さく火が灯され、水が淡く光って見える。水の波紋が水仙の花や天使像に映り揺れていた。大広間が静かになる。シュトホルムは穏やかな声で言った。


「夢を、見せておくれ」

「はい、大公さま」


 アラベリーゼは庭の中央へ向かった。球体の水槽の裏に取りつけてある銀色の階段を上る。そしてアラベリーゼは、音も立てずに水槽の中へ体を滑り落とした。


 エフェメラが戸惑っていると、シュトホルムが落ち着いた声で教えてくれた。


「エフェメラ姫は、サラーブの歌を聞くのは初めてかな」


 〈水中歌人(サラーブ)〉という言葉には聞き覚えがあった。サンドリーム城の図書室で、第四王子のサウエルが言っていた。


「サラーブの歌は、僕らに夢を見せてくれるんだ。すべての哀しみと苦しみを忘れ、楽しみだけで心を満たす夢を、ね」


 水槽の中で、アラベリーゼの唇が動く。人間が水中で呼吸することは不可能なはずなのに、アラベリーゼの喉からは美しい歌声が紡ぎ出された。瞬間、エフェメラの視界から大広間が消えた。


 現れたのは森だった。慣れ親しんだスプリアの森だ。エフェメラの父と母がいた。エフェメラが差し出す鉢植えを見て、『すごい』とエフェメラの頭を撫でる。七歳の時の出来事だ。エフェメラが枯れていた花を元気にしたことを父と母が褒めてくれた。


 場面が変わる。ローザとヴィオーラがいた。いまよりもさらに幼い。二人がエフェメラに笑顔で抱きついてきた。これは、ずっとふさぎ込んでいた二人がようやく心を開いてくれた時のことだ。ローザとヴィオーラは、いまでこそエフェメラに打ち解けているが、預かったばかりの頃は違った。両親の死が二人から笑顔を奪っていた。だから二人が笑ってくれた時、エフェメラは本当に嬉しかった。


 また場面が変わった。まるで夢のように、いままでの楽しかった思い出が次々と色鮮やかに再現されていく。


 さらに場面は変わる。今度は最近の思い出だ。ディランと仲直りができた、アプリ―リスの朝の景色が見える。朝を迎える王都の美しさと、ディランと仲直りできた嬉しさで、心は幸せに満ちていた。


 もっとこのまま幸せに浸りたい。そう思っていたのに、視界がぼやけた。そして気がついたら、エフェメラはウィンダル宮殿の大広間に戻っていた。みな変わらぬ場所に座っていて、ぼんやりと水槽を眺めている。


 空は(よい)の口から完全な夜になっていた。アラベリーゼが水槽から抜け出し、銀の階段の上に立っている。みなの拍手を受けると、アラベリーゼは水に塗れたドレスの裾をつまみ、優雅に一礼をした。


   ×××


「こちらが、お二方のお部屋となります」

「……え?」


 女官に案内された部屋の前で呆けた声を出したのは、エフェメラだけではなかった。ディランもだ。女官は不思議そうに首を傾げる。


「いかがいたしましたか?」

「あ、……いや」


 ディランは口ごもる。女官は「ごゆるりとおくつろぎくださいませ」と笑顔で去っていった。部屋に入り、エフェメラとディランは扉を背にしたまま、無言で部屋を見渡した。


 開放的な広い部屋だ。大きな窓は開け放たれ、部屋の中に扉はない。寝室すら壁で半分区切ってある程度で、その代わり、目隠しの天蓋(てんがい)が寝台についている。大浴槽は窓のすぐ外にあり、海を一望しながら湯に入れると同時に部屋の中からも丸見えだ。


 ほかの室内調度は、ウィンダル風の卓に椅子が三組、二人で寄り添って座れそうな長椅子は五つ、小物はすべてお揃いで、二つずつ用意されている。絵画や壺など、装飾もすべて異国風だ。


 持ってきた荷物はすべて荷解きされていた。ディランの剣も壁に立て掛けてある。


「……そっか」


 ディランが思い出したように呟いた。


「サンドリームでは、どんな時でも夫婦別の部屋を用意しておくのが常識だけど、ウィンダルでは夫婦が一つの部屋だった」


 エフェメラは想定外の状況に心臓を(はや)らせていた。一緒の部屋ということは、着替える時も、湯浴みの時も、寝る時も一緒ということだ。


「ごめん。俺の伝達漏れだ。もう一つ部屋を用意してもらえるよう言ってくる」

「えっ?」


 ディランがあまりに普通に言ったので、エフェメラは思わずディランに迫った。


「どうしてですか? わたしと一緒の部屋では、嫌ということですか?」

「嫌っていうか……だって、湯浴みは時間をずらすにしても、寝る時は困るだろ。寝台が一つしかないんだから」

「……い、一緒に、眠ればいいではないですか」


 上目遣いでディランの反応を窺う。ディランは言葉をなくしていた。ぱっと目を逸らし、頭を掻きながら部屋の中央へ歩く。


「一緒に眠ればいいって……そんな簡単に」

「難しいことではありません。ローザとヴィオーラだって、一つの寝台で眠ってます」

「それは例えが違うだろ」

「一緒です。……何一つ、困ることはありません。……わたしは、何があったって……」


 消え入りそうな声で言った。それでも聞こえたはずだ。その証拠にディランは動きを止めている。



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