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ちゅー  作者: 黄瀬ちゃん
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女子校での日常

女子校が臭いだとか、いじめがひどいだとか、同性愛者ばっかりだとか。そんなことを言う人は多いけど、そんなものは女の子にはムダ毛が生えないと思っているのと同じくらい、女の子のイメージに対して盲目的だと私は思う。

 少なくとも私が通っているこの里由女子高等学校は、そういう一般的に言われる様なことからは遠いところにある。

 この学校の生徒は他の学校の女の子と変わらない、一般的な女の子だと思う。まあ、私は髪も短いし、スカートだって制服以外じゃ絶対に履かないような女の子らしくはない女の子だけど、それでも、まだ一般的な女の子の範囲内だ。

 そりゃちょっとは変わっている子もいるけど、それはどの学校もお互い様。

 だから、私の友達の乙部櫻子がちょっと変わっているとしても、それは普通の高校の範囲内だ。

 櫻子がどんな風にちょっと変わっているかと言えば、それは言葉にしづらいけど、とにかく変な子だなあと思う。

 まず、一年生の時の自己紹介から変だった。

「乙部櫻子です。えーっと、今朝はハンバーグを食べてきました。よろしくお願いします」

 そう言って櫻子は、綺麗にきっちり九十度に腰を曲げた。

 普通、自己紹介っていうのは趣味とか自分がどんな人間かを説明する場だと思う。ハンバーグを食べてきたかどうかなんて、誰も聞いていない。よろしくされても困る。

 いや、確かに朝からがっつりハンバーグを食べるような女の子だということはわかるけど。

 まあでも、これくらいなら別に許容範囲内だ。受け狙いでそういうことを言う子もいるし、ちょっとのんびりした性格の子はこうだったりする。

 そんな感じでクラスの子は全然気にしなかった。もちろん、私も気にならなかった。俗に言う天然ってやつなんだろうなあ、とかそんな風に思っただけ。

 緩いウェーブのかかったふんわりとした髪と、どこを見ているのかわからないぼんやりとした大きい目。見るからにちょっと天然な子だった。

 でも、櫻子の天然ぶりは度を越えている。

 入学式の次の日、遅刻ギリギリで学校に来た櫻子はパジャマだった。見事なまでにパジャマだった。

 すぐに先生が来て、当然それを注意した。

「すみません。私、昨日は制服のまま寝ちゃって、だから、制服がパジャマで、これはパジャマだけど制服なんです」

 顔を真っ赤にして櫻子は言った。

 正直意味が分からなかった。今でも意味がわからない。

 だけどまあ、その人類には早すぎる言い訳は意味がわからないものの、熱意みたいなものはあって、先生は諦めた様に保健室に行くように言った。

 大抵どこの学校にも保健室に予備の制服がある。なんで保健室にあるのかは知らないけど、まあとにかくあるのだ。

 結局、櫻子はその一日を借りた制服で過ごした。

 しかし『パジャマ制服論』というわけのわからない理論は、何故か多くのクラスメイトから賛同を得て、のちに生徒会に意見を提出するにまで至った。

 当然却下されたが。

 当時、その『パジャマ制服論』を推していた宮内優子は語る。

「今考えると、全然意味が分からないけど、あの時は確かにあったんです。なんていうか、世界を変えてやる! みたいな。昔に学生運動へ参加する人達が持っていたパワーみたいなものが。そういう扇動力みたいなものが、あの理論にはあったんです」

 正直、ちょっと引いた。

 まあ、この『パジャマ制服論』はその一つに過ぎない。

 不思議なことに、櫻子がその天然ぶりを発揮する度に騒動が起きる。

 例えば、国語の時間。

「この人は人間失格なんかじゃありません!」

 国語の教科書にあった太宰治の人間失格を読んで、櫻子は涙を流しながら言った。

 当然、先生も私達クラスメイトも驚いて、これはあくまで架空の話だから、と櫻子を宥めた。

 しかし、その授業が終わってからというものの、私達の頭の中にはその言葉が延々とループしていたのだ。

 この人は人間失格なんかじゃありません。

 そうだ。人間失格な人間などいるものか。

 私達は徹底的に戦った。善を説き、悪を裁く。私達の胸に宿った炎は、一筋の光となって人間失格という本を授業のカリキュラムから外した。

 こんな本を書いたやつこそ人間失格だ! なんて言う子もいたくらいだ。

 まあとにかく、櫻子の天然はちょっと変わっている。

 私はどうしてか、その櫻子と仲が良かった。一年生の初めの時、隣の席だったというのもあるけど、なんだかこの子を放っておけなかった。別にそれほど面倒見のいい性格じゃないんだけど。

 その櫻子と、私は放課後の教室でいつもすることがある。

 キスである。

 いや、ちゅーである。

 一応言っておく。別に私は同性愛者じゃない。この学校は女子校だけど、同性愛者はいない。

 ただある時、櫻子が言ったのだ。

「葵ちゃんは、ちゅーってしたことある?」

 私は顔が真っ赤になった。

 私は男みたいな恰好をしているから、中学校の時は男女なんてからかわれたりもして、コンプレックスもある。だから、そういう話には縁がなかった。

「な、ないけど……櫻子はあるの?」

「私もないよ。でも、どういう感じなのか、気になるよねえ。葵ちゃんならしたことあるかと思って、聞いてみたの」

 櫻子は残念そうに言った。

 私はこの子にもそういう一般的な好奇心があるのか、と少しだけ驚く。

「してみたいなあ」

 憧れのものを見る様に言う櫻子は、まさに乙女だった。同時に、この子ならしてみたいと言う理由だけで、知らない人と急にキスしてしまうのでは? という不安がよぎった。

「じゃあ、してみる?」

「え?」

 櫻子は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている。

 私は言ってから後悔した。自分でもなんでそんなことを言ったのかわからなかったからだ。

 多分、知らない内に櫻子の天然が発動してて、私はその天然に負けて、いつものクラスメイトみたいにおかしなことになっているんだと思った。

「……うん」

 櫻子が頬を赤く染めて、頷いた。

 後には引けなかった。

 

 

 

 放課後の教室で、私と櫻子は自分たちの席に座っていた。

 窓際の列の後ろから三番目と二番目。

 私は椅子を反転させて、後ろの席の櫻子と向き合っている。向かいの櫻子は目を閉じて、まるで神様が世界に降りてくるのを祈りながら待っているようだった。

 開けた窓から風が入ってきてカーテンを揺らすと、差し込んできた夕陽の眩しさに私は目を細めた。その光から逃げる様に私は目を閉じて、ゆっくりと櫻子に顔を近づいていく。

 唇が触れる。

 ふわっとした櫻子の匂いが、私の体中を駆けめぐる。私の心臓から、櫻子の匂いが血液を通して指の先まで広がった。

 制汗剤の匂いじゃない。櫻子の匂い。

 そっと唇を離して、ゆっくり目を開ける。

「えへへ」

 櫻子が照れくさそうに笑っていた。私も照れくさくて笑う。

 私の熱くなった顔を風が冷やして、真っ赤になった顔を夕陽が隠してくれる。

 窓際の席でよかったと思う。

「私、臭くない?」

「臭い? なんで」

 櫻子が不安そうに聞いてきたけど、櫻子はいい匂いがする。私は櫻子の首筋に鼻を当ててスンスンと匂いを嗅いでやる。

「全然臭くないけど」

「今日、体育でいっぱい汗かいたから」

「ふーん」

 私は今日、体育を休んだ。マラソンだったから。

 確かに、あんな日差しの中でマラソンに参加した人は、汗をかいただろうなあ。昼間、馬鹿みたいに校庭を照らしていた太陽を思い出して、想像した。

「全然臭くない。むしろ、いい匂いだよ、櫻子」

「あっ、やめて、くすぐったい」

 櫻子が甘い声で笑う。

 私は楽しくなって、そのまま櫻子の匂いを堪能する。

 耳の辺りに鼻をくっつけると、櫻子はたまらず私を突き放した。

「耳はダメ!」

 ちょっと怒っている。櫻子は耳が弱いから、すぐ怒る。

「ケチ」

 私は不満を出して、櫻子の頭を撫でた。やわらかい、ふわふわした髪の毛。ちょっとだけ羨ましい。

 私はもう一回櫻子とキスしたくなった。少しでも櫻子成分を取っておけば、櫻子みたいな女の子らしい女の子に私もなれるのかもしれないと思う。

 櫻子の頬に手をやって、そっと顔を近づけると、櫻子が理解して目を閉じる。

 キスしてから、なんでこんなことしてるんだろう、と今更ながらに思う。

 最初は櫻子の天然のせいで、こんな風になってると思ったけど、櫻子とキスしたいなんて思うあたり、もしかして私はそっちの気があったんじゃないかなんて不安になる。

 私はその思いを振り払って、違うと言い聞かせる。

 これは、その、なんていうか。練習なのだ。

 そう、練習。

 私達が大人になって誰かとキスするときに、下手くそなキスで笑われない様に。私も櫻子も、いつか他の誰かと付き合って、キスして、結婚する。

 櫻子は私のものじゃない。

 いつか、誰かのものになる。その日のための、練習。

 櫻子が誰かのものになったのを想像するとむかむかして、私は櫻子の唇を軽く噛んだ。

 それから、弱い耳を撫でていじめてやる。

「んんっ」

 櫻子が抵抗の声を漏らすけど、離さない。

 息が苦しくなってきて、大きく息を吸う。肺に櫻子の匂いが溜まって、また体中に行き届く。

 ずっとこうしていよう。そう思った。

 でも二分か、五分か十分か。わからないけどすぐに限界が来て、唇を離したとき、私も櫻子も肩で息をしていた。

「……いじわる」

 櫻子は涙目で私を睨んでいる。

 その表情が私は嫌いじゃなかった。


 うちの学校は臭くないし、いじめもひどくないし、同性愛者もいない。

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