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短編

二十三番の彼女

作者: 高野環奈

 初めてきみを見た春の日、きみは切り過ぎた前髪を気にしてはにかむ女の子だった。

 高校三年生になって新しい教室に入ってきたきみ。入り口で少しだけきょろきょろして、よし、とでも言ったのかな、ひとつ頷いてから窓際のここへやって来た。

 真新しい教科書を出しながら、誰が近くの席なのかどきどきしてたの? 背すじはぴんとしていたけど、クラスメートが教室に入ってくるたびに目で追っていたね。

 きみの前に座ったのは身長も肩幅も立派な男の子だった。小柄で華奢なきみは黒板が見えるか気になって仕方なかっただろう。もっとも、彼は授業のたびに寝ちゃうとわかったから、きみの悩みはすぐ解消したんだけど。

 きみの出席番号は二十三番。二十二番の彼を起こすべきかどうか悩む姿を、ぼくは後ろで見ていたんだ。


 きみが半袖の制服に着替えた夏。

 みんなが暑さにやられて机に突っ伏しても、きみの薄い背中はいつだって伸びていた。この頃にはほとんどの同級生が制服を着崩したりこっそりパーマをあてたりしていたのに、きみは校則を頑なに守っていたね。

 よく言えば「しっかり者の真面目さん」で悪く言えば「堅苦しい委員長」の位置にきみはいた。受験生とはいえ、最後の高校生活を謳歌しようと苦心するクラスメートからはなんとなく浮いていたきみ。休み時間も苦手な英語の参考書を開いてがんばっていた。

 休み時間くらいはと恋の話に盛り上がるクラスメートたちをまぶしそうに見つめていたのには気付いていたよ。きみも混ざりたかったのかな。あれこれ邪推してはみたけれど、きみは結局行動には出なかった。

 せめてぼくに寄り掛かって、肩の力を抜いてくれたらいいのに。

 密かな願いは届かない。きみは憎らしくなるほど凛々しく、真っ直ぐだった。


 一大イベントの文化祭を明日に控えクラス中がそわそわしていた秋、きみは放課後の教室で頭を抱えていた。いつの間にか机に入っていたラブレターのせいだ。

 インターネットが普及しまくってるこのご時世に手紙なんて古風だよね。おまけに、お相手は二十二番の彼。大きくてがっしりしてて無愛想っぽくて、実際見た目どおりの彼だけど、いつも後ろでがんばってるきみを感じていい子だなって思ってたんだってね。気持ちを伝えたかっただけだから返事はいらないって言ったんでしょ、なにその言い逃げ? きみが動けなくなっちゃうのもわかるよ。


 受験がいよいよ差し迫った、冬。

 年明けの自由登校が始まってからきみはあまり学校に来なくなった。

 受験のためとはわかっていても寂しかった。いつも見ていたきみの背中じゃなくて、ひとつ先の同級生、つまり二十二番の彼を眺める毎日はどことなく味気ない。その彼も日によっていたりいなかったりして、教室中が今までより少し広く見えた。彼の言葉どおりきみは返事をしていない。でも、ぼくは知ってるんだ。「初詣で買ったから、ついでに」って、二十二番の彼が受験にご利益のあるお守りをきみに渡してたってことを。


 そして、積もっていた雪もすっかりとけた、今日。


「色々あったなあ」


 きみは夕暮れの光が差し込む教室でつぶやいた。小さな傷や落書きが残る机をそうっと撫でて、大切な何かを懐かしむように目を細める。

 この一年で伸びた髪がさらさらとなびいて、毎日見ていたはずなのに知らない女の人を眺めているような気になる。

 一度は出ていったはずの教室に一人で戻ってきたきみ。手にはもらった卒業証書が。きみが綺麗な姿勢で見つめていた黒板には後輩からの激励やイラストが並んでいる。今日を過ぎればもう、ここに来ることもほとんどなくなるだろう。


 きみはゆっくりと座った。

 肩甲骨のあたりで揺れる黒髪と石けんのにおい。

 きみの背中を、いつもぼくは見ていた。


 いま、きみの瞳には何が映っているんだろう?


 ここで過ごした毎日。泣き笑いする家族の顔。「おめでとう」と力強く肩をたたいた担任の教師。

 きっとたくさんの思い出がきみを包んでいるんだね。


「今までありがとう」


 ぽろりとこぼれたきみの声は、少し震えていたから。


「悪い、待たせた」

「ううん、こっちこそ、無理言ってごめんね」

「気にすんな。……泣いてんのか?」

「大丈夫。さ、行こ」


 遠くから聞こえた足音はあっという間に大きくなって、そのままの勢いで扉を開いた。身長も肩幅も立派な、精悍な顔つきの男の子が教室を覗きこんできみを呼ぶ。

 きみは慌てて立ち上がりながら、彼に向かって微笑んだ。

 きみはもう振り返らない。

 この学び舎を離れて、同じ大学に受かった彼と未来へ歩いていく。

 さよなら。またいつか会えたらいいね。

 ぼくがきみを見守れたのはたった一年だったけど、きみの幸せを願ってるよ。


 四月になったら新しい子がやって来る。ぼくはきみと同じように一年かけて彼女を見守る。

 今までだってそうしてきたんだ。

 ぼくに座るのはずっと、二十三番の彼女。

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