第8話:限界
そんな波乱含みの世界に比べて、ユーチェの周辺は落ち着いたものだった。神子を身を挺して守った事でユイスへの評価は反対方向に変わってしまったのだ。見舞いに訪れた人々に昼過ぎまで寝ているのは、神子の安眠を守っているからだとか言われるとユーチェ自身恥ずかしくて逃げ出したくなる程だった。
矢に塗られていた毒の影響か、ユーチェが顔に受けた傷としては治癒にかなりの時間が掛かったが、視力まで元通りになるとセッカに呼び出されてとある告白を受ける事になる。
「もう身体の調子は良いの?」
「その質問は何度目でしょうね? 大丈夫ですよ、毒の方も神子様のお陰で影響は少なかったですし」
最近のセッカは、ユイスの前だけではなく、親しい人達の前でも声や容姿に似合った口調で話す事にしている様だ。昔の口調で話すのは受けが良くないらしく、矯正中と言った所らしい。
「そう、良かった。何度でも言わせてもらうわ、ありがとう」
「いいえ、当然の事をしたまでです。それで改まった何のご用でしょうか?」
「うん、リオンの事を聞いて貰おうと思って・・・」
「ああ、あの時呼んでいた人ですね。昔の恋人ですか?」
「いいえ、夫よ」
「へぇ、神子セッカ・サイノスに旦那さんが居たんですね」
「違うわ、私が神子になった時にはもうこの世には存在しなかった・・・」
何故からしくも無く口籠るセッカに、ユイスが促す様な質問を投げかける。
「どんな方だったんですか?」
「優しくて、強い人だった。別に戦い向いている様な性格ではなかったけど、少しだけユイスに似ていたかも知れないわ」
「それは光栄ですね」
「女だてらに傭兵なんかになった私を故郷の村でずっと待っていてくれたの、あそこに帰ると私は普通の女に戻れた気がした」
前世で言う専業主夫みたいな物かなと考えたユーチェは自分がヒモである事を思い出して亡きリオン男性に謝罪した。
「でも、仕事で恨みを買ってしまった同業者に襲われた時、私を庇って死んでしまったの・・・」
「・・・、その時に声が?」
愛する夫を失って泣き叫び、美しい声を失ってしまうと言うのは聞きそうな話ではあるが、セッカという女性にはあまり似合わない気がする。
「いいえ、その時は復讐に夢中だったから・・・、でもその時の戦いぶりがサイノス様のお目に適ったのかも知れないわ」
「そうか、それで戦女神の神子になったんですね?」
「ええ、私はあの時、神様に叶えて欲しい願いがあったから」
ユーチェには当時のセッカが何を願ったか簡単に想像がついた。簡単に神子(自分)を切り捨てるような女神でなければ自分が命を引き換えにでも願っただろう事であるから。
「リオンさんを生き返らせて欲しいと願った?」
「そう、愚かにも私はそんな事を願ってしまったの」
「愚かにもって、何故だ!」
「私は女神の試練を、サイノス様を崇める民を5000人生み出せという試練を10年掛けて成し遂げた。そして、リオンを再び取り戻したの」
「そうですか・・・」
「でもね、私が取り戻したと思ったのは、本当のリオンじゃなかった。最初は上手く行っていたのよ、私は神子になってしまったから昔通りとはいかなかったけど、何時も笑顔で私の帰りを待ってくれていたの」
「・・・」
ユーチェは何故かその先が聞きたくないと感じてしまうが、理性がそれを否定している。彼女を襲った悲劇を自分が知る事がどんな意味があるのか分からないまま、ユーチェは彼女の告白を聞く事しか出来ない。
「でもね、何かが違っていたの。例えば本当にリオンは子供が大好きだった、私は昔の怪我が原因で子供を産めない身体だったから、その点では何度か喧嘩になった事もあったのに新しいリオンは子供嫌いに見えたの・・・」
「それは、セッカにとって良い事じゃなかったのかな?」
リオンという男性が何を考えたか分からないが、養子を取ったとしても神子に対して人質になる可能性を考えれば子供を身近に置こうとは思わないだろう。
「そうね、本当に都合が良かった。そのまま新しいリオンを受け入れる事が出来たら今の私は居ないでしょうね。新しいリオンに対しての違和感は日に日に大きくなって行ったの。新しいリオンは私の理想のリオンだった、でもそれこそが新しいリオンが本物じゃない事の証明に思えてしまった・・・」
「それで?」
「新しいリオンへの疑惑は嫌悪感に繋がってしまい、ある晩私は新しいリオンを拒絶してしまったの。・・・、そして翌朝になるともうリオンは何処にも居なかった」
「数日して近くの川の下流でリオンの死体が見付かったの。事故死と報告を受けたけど、そんなの信じられなかった。そう、私は2回もリオンを殺したのよ!」
「セッカ!」
「リオンの死を知って、私は何日も泣き喚き続けて気付くとあの声になっていた。夫を2回も殺した女に下される罰としては軽すぎると思ったけどね・・・」
「セッカ・・・」
神の試練を果たして勝ち取った最高の恩賞を、そして、言動は違っているが魂の根源としては確かにリオンだった男を、再び失った事はセッカにとっても大きな痛手だったのだろう。
「でも、ユイスは死ななかった。私の事を助けてくれてありがとう、そして生きていてくれて本当にありがとう」
そんな心の籠った感謝の言葉を掛けられたユーチェは、自分がしている裏切りを思って何も言えなくなり、ただセッカの身体を抱きしめるしかなかった。
「情けない姿を見せてしまったわね、軽蔑した? 折角だからもう一つ悩みを聞いてくれる?」
「今まで幾つも悩みを聞いて来た気がするよ、神子様を軽蔑できるほど立派な人生を歩んできていないし」
「茶化さないの、結構深刻で本当に他の人には相談出来ない話なんだから」
「聴きますよどんな話でも、そして勿論誰にも話さない」
この倫理は男娼仲間から叩き込まれた物だ、以前のユーチェならば何らかの取引材料にと考えてだろうから。実は最近ユイスに近付こうとした人間は多くなった。ユイスの美貌に魅了された女性も居れば、神子に取り入ろうと言う人間も多いがユイスは彼らをまともに相手にしなかった。
「それは良く分かっているわ。あのね、私が皇国を滅ぼしたらどうなると思う?」
「セッカが名実ともに世界の支配者になるんじゃないかな」
「そうではなくて、戦女神にとって私という存在は意味が無くなるという話なの」
神子が皇国との最終決戦を躊躇っているという噂はユーチェの耳に入っていたし、最近の相談事が皇国決戦を避ける理由を一つ一つ潰していく感覚だった事もあり、ユーチェは意外過ぎる告白をすんなり受け入れる事が出来た。
そもそもセッカが色好みであるのも、戦女神によって肥大化させられた戦闘欲を発散させる方法としてだと告げられた事も、この告白を笑い飛ばせなかった理由になるだろう。昔のユーチェであれば、碌に使われる事も無く捨てられるよりは、使い潰された方が良いとか考えただろうが、今のユイスとしてのユーチェはセッカに肩入れし過ぎていた。
ユーチェの頭には”狡兎死して走狗烹らる”とか”優れた猟犬は獲物を狩り尽くさない”と言う言葉が浮かんで来た。理性的に考えるなら優秀な神子を排除する事が神の利になるとは思えないが、セッカは本気でそれを心配しているらしい。
「セッカの様な優秀な神子を殺してしまったら、戦女神は神力を上手く集められなくなりますよ、考え過ぎでは?」
「そうね、ユイスにはそこまでしか話してなかったわね。私の戦女神の神子としての務めは、人々の信仰を集めサイノス様に送り届ける事ともう一つあるの」
「もう一つ?」
「そう、優秀な戦士を見出して、亡くなった時にそれをサイノス様に届ける事も役目なの」
「まるで、ワルキューレですね、セッカにはぴったりだ」
「ワル、何?」
「いえ、北方の昔話を思い出したのです。”戦死者を選定する女”とかいう意味でしたね。何でも集められた死者の魂は世界の終りに備えて日々鍛錬に明け暮れるとかだったかな?」
「何それは、随分と不確かな目的で戦うのね? サイノス様にはちゃんと倒すべき敵が居るのに」
「敵? リリーサでは無くですか?」
「ええ、イグノスと言う邪神らしいわ。元々サイノス様が支配していた世界を奪った邪な神」
イグノスの名前を聞いて内心驚いたが表面上は何とか平静を保つ事が出来たユーチェだった。イグノスとサイノスの因縁を聞いてセッカが何を心配しているかと言う方へと強引に思考を変えた事で動揺を隠す事が出来たと言っても良い。
「やっと分かりましたよ、セッカはサイノスがイグノスとの決戦に最強の戦士を送り込む事を決める事を心配しているのですね?」
「そう、死んだ後ならばサイノス様の為に戦う事は望む所なのよ。でも用が済んだから殺してと言うのは嫌なの」
「何と言うか、実にセッカらしいですね。今の身体のままで行くというのはどうなんですか?」
「不可能ではないそうよ、でも、肉体の移動は必要以上の神力を消費してしまう上に、あちらの世界に肉体が適応出来ない場合もあるんだって」
それに妙な副作用もあるんだろうと、言った後になって気付いたユーチェだった。
「それで、あちらの世界の情勢はどうなんですか?」
「分からないわ、それを聞くのは不遜だと思うから。でも王国を併呑した事で送れる神力は増えているからもしかすると。えっ?」
小さく驚きの声をあげると、いきなりセッカの態度が一変した。恭しくその場に跪くと、身振りでユーチェにも同様の態度を取る事を求めた。
「サイノス様が御出でになる、黙っていて!」
「こんな所に神様が?」
「影みたいな物だけど、間違いなくサイノス様ご自身よ」
「そうか・・・、そろそろ潮時なんだな」
小さく呟いて跪いた姿勢のままでそっとセッカの手を握るユーチェだった。ユーチェの中ではセッカに対する罪悪感が増し過ぎていたし、神子ならば兎も角、神には自分の小細工など御見通しだろう。
ユーチェの罪悪感の原因は、セッカと触れ合う度に本来であればサイノスに送られる筈だった神力を奪い取っていた事だ。セッカに気付かれずにという条件があったが、それはコトの最中だった事で誤魔化す事が出来たし、今では普通に触れ合うだけで無意識に神力を奪ってしまう程にイグノスの能力も使いこなせる様になっていた。
後は、今のユーチェの神力がサイノスに勝るかどうかだが、本来なら勝負に成り得ない人と神の差を、かき集めた美の女神の神力とかすめ取った戦女神にもたらされる筈の神力、そして、サイノスがイグノスとの争いで必要以上に神力を消耗しているという話が埋めてくれていた。
「これは、我が神サイノス・ドゥ・モノス、急なご光臨とはどう言ったご用件でしょうか?」
『神子セッカ・サイノスよ、お前の神力が一向に送られて来ない。どう言う事かと問いたいのはこちらの方ぞ?』
ユーチェは少しだけ視線を上げて、声(実際に空気を震わせている訳では無いが)の主の姿を確かめてみた。ユーチェが戦女神と言われて想像したのは、鎧を身に着けた勇ましくも美しい女神だったのだが実像は随分と微妙な物だった。
鎧を身に着けているのは間違いないし、勇ましく見えるのも事実だが、お世辞にも美しいとは表現出来ないだろう。例えとしては不適切だが牡牛と表現するのがしっくりくる。兜の左右に角を思わせる飾りがそれを助長しているのだろう。
「神力が? そんな筈は?」
『そこに居るのは、まさか!』
「サイノス様?」
『神子セッカよ、その者を切れ! 切るのだ。その者こそ元凶ぞ!』
「さすがは女神サイノス、こうも簡単に見破られるとはね」
「ユイス何を言っているの?」
『殺せ殺すのだ、リリーサの神子を!』
「神子セッカ、久しぶりですね。私の本当の名は、ユーチェ・キリアス、いや、ユーチェ・リリーサ!」
「ユーチェだと! 馬鹿な!」
「リリーサのご加護で姿を偽っていたのですよ、本当に気付かなかったのですね? 貴女を誘惑して貶めるのは実に愉快な事でしたよ」
口ではそんな事を言ったユーチェではあるが、その視線はセッカではなく戦女神だけを見詰めている。事態の推移に狼狽えている今のセッカでなければ、下手なユーチェの芝居など通用しなかっただろう。
「そんな、そんな事って」
『殺せと言っておる、本当に誑かされたか!』
「くっ!」
戦女神の叱咤の声に、セッカに”ユイス”への攻撃を決心させた。どんな時でも手の届く場所にあるセッカの槍がユーチェの胸へと伸び、咄嗟に胸を庇ったユーチェの腕を鋭く抉る。
槍の勢いを受け止め損ねたユーチェは、壁の方向へといとも容易く吹き飛ばされる、いや、その様に見えるというのが正しい。そしてその壁際には、戦女神が降臨していたのは決して偶然では無かった。
もし、”ユイス”が神子としての身体能力を一度でもセッカに見られていれば、そしてセッカが本気で”ユイス”を殺そうとしていれば、そして戦女神が神子の心情に少しでも気を配っていれば、その瞬間は訪れなかっただろう。
吹き飛ばされた様に見えたユーチェがサイノスの影に触れた瞬間、
『こ、この力は!』
と言う短い言葉だけを残してサイノスの影が掻き消えた。正確に言うのならば、顕現していた戦女神の一部がユーチェに吸収されたのだった。
そしてゆっくりと立ち上がったユーチェは、呆然とするセッカに向けて一度だけ笑顔を向けて、サイノスが消えたのと同様にその空間から消え去ってしまう。後には、呆然とする神子だけが残されただけだった・・・。
それが何を意味していたかセッカには理解出来なかったが、ユーチェがサイノスを追った事だけは理解出来た。そう、空間転移を行う直前のユーチェの目は獲物を追う猛獣の物だったから・・・。
本来、世界の支配権を争う神々は敵対する神にその存在を感知されない様に行動する。神々が直接争うのは大神によって禁じられていたし、相性によっては遥かに神力で勝る神が敗北する事もあり得ないでもない。
サイノスが影とはいえ、モノスに姿を現したのは彼女なりの焦りと、リリーサを完全に抑え込んだと確信した慢心からだった。サイノスの影を吸収した事で半神とも言える存在となったユーチェには、サイノスの隠れ家を探り出す事は容易な事だった。
◆ ■ ◆
そしてその日、一柱の神が姿を消し、新たな神が誕生する。誰に信仰された訳でも無くただ他の神の力を奪うだけで神と成り得たのは、永い神々の歴史でもその男がはじめてだったかも知れない。