第6話:奴隷
古くなった”人形”が捨てられるまでほんの30日程だった。僅かな金銭だけを渡され殆ど知らない国に放り出された女性が碌な目に合わないのはどの世界でもどの国でも変わらないのだろうが、その女性には意外な伝があった。
その女性は多少と言うよりかなり常識知らずだったが、上品な振る舞いと、多分本来の彼女の持ち味である笑顔で住み込みで働く宿屋兼酒場での生活に溶け込んでいった。支払を巡ってちょっとした騒ぎが持ち上がった際に、思わぬ目利き(最上級の宝物に囲まれて暮らしてきたのだから当然と言えば当然だが)を発揮して騒ぎを治める事があり、それが縁でとある商人の後添えに迎えられる事になった。
「ぶわーはっは! 髭を伸ばしたのに振られたって、ルミノ?」
「そんなに笑う事はないでしょう、テシムさん!」
「これが、これが笑わずに居られるかってんだ。俺は似合わないから止めとけって忠告したんだぜ?」
「いや、そうですけど・・・」
「振られたんなら、鬱陶しい髭なんか落しちまえよ」
「振られた振られた言わないで下さいよ。この髭は、そうですね、その時が来れば剃りますよ」
「その時って?」
「そうですね、新しい恋が見付かった時でしょうか?」
姉の生活の安定を見届けたユーチェは、城勤めを辞め旅に出る事にし、上役のテシムには恋人に振られて新しい恋を探しに行くと告げたら大爆笑された。似合わない髭まで生やしてその架空の女性の好みに合わせたのに玉砕したとなれば多少笑われる程度は覚悟の上だったが、あそこまで大爆笑されるとは想像していなかった様だ。
髭をもっと伸ばしたのは更に磨きが掛かってしまった自分の容姿を隠す為だが、先日何処かの貴族令嬢の侍女に素顔を見らえて騒ぎになって以来、そろそろ限界を迎えたのを悟った事も事実である。
新しい恋を探す旅の本来の目的は、この世界に多く存在するであろうリリーサの”恩寵”を受けた人々の現状を把握する事だった。あの自分の顔に傷を付け、それを泣きながら喜ぶ姉の姿がユーチェにそれを決心させたのだ。
もしも姉と同じ様に歪んだ神の恩寵により不幸になる人間が居るのであればその不幸の原因を取り去る事が出来るのは自分だけだと考え、それに残りの人生を掛け様と等と考えたユーチェだった。残りの人生と言うと老人っぽいが、今のユーチェには合わせて60年近い人生の記憶があるのだから仕方が無いと言う事にしておこう。
身体は20代前半、実年齢は30代後半、記憶に関しては60年分弱という些か奇妙な人間になってしまったユーチェだが、困った事に姉から神力を引き受けた事で”リリーサの寵児”としての特性が完全に芽生えてしまった事だろう。何処に居てもどんな格好をしていても人目を惹きつけるというのは非常に厄介である。
城勤めの時は妙な格好が原因だと考えていたが、皇国の北方の新米領主の所を訪問した際には真冬だった事もあり分厚いマント等で目以外覆っていても何故か人目を集めた事でその特性が判明した訳だ。新米領主には、
「見違えましたな、本当に美人になられた」
とか言われる始末である。絶世の美男子と評された事もあるが、この世界でも美人も絶世のも男性を称える言葉ではない。新米領主の領地で素顔を晒してみても注目を浴びる事はあるが、その人物がユーチェ・キリアスだと見抜く人間は居なかった。
ユーチェが只の”リリーサの寵児”であれば攫われてそのまま人買いに売り払われるのが落ちだっただろう。旧リサイア王国やシーグス皇国を旅する間に襲われた回数は軽く二桁を超えたが、馬鹿らしくなって数えるのを止めてしまった程だ。
ユーチェの旅はどちらかと言えばリリーサの神力を回収する事が目的となりつつあった。その美貌で幸せになる者も居るが、どちらかと言えば不幸になる事が多く、望まぬ婚姻を押し付けられる方はまだましで、最悪なのは性的な奴隷の身分に落される事だろう。
教国では人身売買は法で禁じられているが、逆に皇国では法で認められている。かつての王国ではそれを禁じる法は無かったからそれを利用する人間が多かった。ユーチェ自身もそれを利用した口である、勿論労働力としてだが、奴隷ではなく普通の領民としてだたから破格の高優遇だったろう。(奴隷を管理する労力さえ惜しかったと言うのが実際の所なのだが・・・)
性的な奴隷にリリーサの恩寵を受けた者が多いと言うのは必然なのかも知れないが、百年以上前であれば考えられない事でもあった。美を至上の価値とするリリーサの教えが衰え、強さが至上となりサイノス教の教えが浸透する事でこの様な事態になったのだろう。ある意味彼らはサイノス教により間接的に迫害を受けていると言っても良い。言い方を変えればリリーサの”呪い”とも言えるだろうか?
話は変わるが、性的な奴隷と言うと女性と考えるかも知れないが、この世界では男の性的な奴隷も多い。男娼や男妾も同様に多く、その需要はある程度財力や権力を持った家の”容姿に恵まれない”(女神の恩寵が少ない)ご婦人方からになる。夫に先立たれてというパターンもあるが、夫が愛人を囲っているのに私は!などと言うパターンもある。(場合によっては、男が男娼を買う事もあるが、ユーチェはそう言った歪んだ欲望を満たすには不向きだったらしい)
実際、ユーチェが男娼としてそういったご婦人の相手をした事もある。そう言った場合、目標は夫の方が閉じ込めている女性の方だったが、ユーチェ自身相手の美醜に無関心になってしまった事もあり、そちらの方面でも色々成長してしまった!(何をやっているんだろうか?)
◆ ■ ◆
そんな日々を過ごす間にユーチェの中にはある感情が芽生えていた。それは随分と無謀な物だったが、ユーチェには人生最後の挑戦への引き金でもあった。
丁度、各地を回って目に付くリリーサの恩寵を受けた人々から神力を回収し終えた所でもあり、とある商人に自分を”リリーサの寵児”としての自分を売込む事からはじめる事にしたらしい。
その商人は表向き酒商人であるが、裏では人買いと言うより奴隷商人と呼ぶべき商売をしていた。それだけならば他にも候補が居たが、商機に敏という面では他の追従を許さない。ユーチェに最初に奴隷を売込みに来たのがこの商人だった事がそれを証明している。
「お前が、ユイスという者か? 確かに美しい男だが、自分を奴隷として買って欲しいとは何を考えている?」
「いえね、男娼として方々を渡り歩いて来たんですが、ちょっとやばいのに引っ掛かってしまいましてね」
「何だ、へまをやったのか?」
「へい、夫婦仲なんてのは分からないもんでして、昨日までは指一本触れなかった妻が男をくわえこんだと聞いただけで逆上するってのは困りもんでして」
半分位は作り話だが、実際にユーチェが巻き込まれた状況でもあった。
「ふん、で?」
「へぇ、その男の方が、その、貴族の方でしてね、それも大物で・・・」
「逃げきれないと悟ったか? 私がその貴族へお前を売ったらどうする積りだ?」
「おっと、それはご勘弁を。それに旦那さんがその程度の商人ならば態々危険な橋は渡りませんぜ?」
「だろうね、”リリーサの寵児”か?」
「へぇ、ご覧くだせぇ、痛てて!」
”リリーサの寵児”である事の証明は、簡単だ。自分の顔に傷を付ければ良い、直ぐに治れば本物、治らなければ偽物という単純な事だ。歳を取らないというは証明が面倒だし、人目を惹きつけると言うのは全く知られていない特性だった。
自分で自分を傷付ける趣味は無いが、取り出した小さなナイフで無造作に頬を切るユーチェも既に何処かおかしいのかも知れない。
「ほう、綺麗に治る物だね」
「商売道具なんで重宝してますよ、顔やら手やら人目に付く所も治りが早いんでね。何故か服の下のひっかき傷とかは普通と変わらねぇ、旦那もやってみますかい?」
商人が差し出されたナイフをユーチェの顔に軽く刺したが、その傷も直ぐに治ってしまう。妙な手品ではない事を確認した商人が売り物にこんな事を聞いた。
「お前が私だったとして、お前を何処に売り込むと思う?」
「はい、教国のご機嫌伺いをする必要があるリサイア王いいえ、旧リサイアの貴族のどなたでしょう?」
「ほう、先程までの口調は作り物か?」
「はい、これでも良い所の生まれですから・・・、育ちは、いえ、済みませんが忘れてください。私は家名も持たない下賤の生まれ、ただのユイスです」
「そうだな、それが良いだろう。それでお前を幾らで買えばよいのだ?」
「いえ、お金は要りませんと言うより、今日から奴隷に零落れる私に金銭をどうしろと? ですが、旦那様には1つお願いが御座います」
「・・・、言ってみなさい」
「皇国の北部に新しい領主が任命されたのはご存じでしょうか?」
「ああ、確か・・・、キリカ子爵領だったかな?」
「正確にはキーリカです、そこと取引をして貰えないでしょう? あちらに知り合いが居るのですが、苦労をしていると聞きますので・・・」
「難しい上に、面倒な話だな」
「はい、利も少ないかも知れません」
実際、新米領主の領地は殆どが森林で、林業と毛皮の取引で生計を立てている豊かとは言い難い土地だった。旧友に泣きつかれたユーチェは、毛皮を使った防寒服のデザインを幾つか教える事になった。そちらが軌道に乗れば利が少ないとは言えないだろうが、現状では成功するかは微妙なのだ。
「私がここで頷いておいて、後は知らない振りをすると考えないのか?」
「何かの間違いで、私が教国の神子様のお気に入りになると、旦那様は困った立場になります」
「ふっ、意外と計算高いな。確かあそこは、キリアス、いや、何でも無い。良いだろう。お前は今から奴隷だ」
こうしてユーチェは他人に売り買いされる奴隷へと身分を落したのだった。
◆ ■ ◆
奴隷になったと言っても、ユーチェに対する処遇は決して悪い物ではなかった。本来なら手の甲か足の甲に奴隷の身分を示す焼印が押されるのだが、ユーチェの場合は治ってしまう場所だった。
献上目的が目的だけに体力を低下させて、いざと言う時に役に立たないでは話にならないから、食事も十分に与えられる。さすがに自由に出歩く事は禁じられたが、館の中では自由にして良いという破格の待遇だった。
ユーチェの品定めに来た貴族や、その使いの前では粗末な貫頭衣を着て首には鉄製の首輪が付けられたが奴隷らしいのはそれ位だった。
買い手は意外と早く決まり、奴隷ユイスは慌ただしく馬車に乗せられて教国の中心地であるサイノリア(通称聖堂要塞)に運ばれる事になる。文字通り荷物として運ばれるという表現がぴったりで、馬車を降りる事が出来るのは馬車馬を交換する僅かな時間だけで、満足な食事も与えられなかった。
正しく強行軍と呼びたくなる旅程で、サイノリアに辿り着いた一行の中で一番元気なのがユーチェという有様だった。別に馬車の中が一番快適だった訳ではなく、場合によっては最も不快な場所だった。そもそも馬車は整備の行き届いていない街道を走破するに向いていないから、ユーチェにとっては地味な拷問だったとも言える。