第9話:神様転生?
ユーチェがサイノスを追って姿を消してから、モノスの時間で一日程経った頃、それが美の女神の隠れ家(霧の宮殿)を訪れた。
突然自分の隠れ家を訪れたそれに向かって、美の女神リリーサは声を掛けるが、その声は少しだけ震えていて女神としての尊厳を感じさせる物では無かった。
「良く戻りましたね、神子よ」
「どうしました、美の女神リリーサ、貴方の神子が見事にサイノスを討って戻ったのですよ。もう少し嬉しそうにしても良いと思いますが?」
「よ、良くやってくれました、貴方は神子として私の想像以上の働きをしてくれました。感謝しますよ?」
「ありがとうございます、リリーサ様。ところで、サイノスがどうなったか知りたくはありませんか?」
「それは是非に知りたい所ですね、聞かせてもらえますか?」
「もう何処にも存在していませんからご安心を、最後の一欠片まで忌神イグノス・ドゥ・テールアに喰われてしまいましたからね」
「ひっ!」
「本当にどうしたのです? 貴女の世界を奪い取った敵が消えたと言うのに・・・。そうそう、イグノスは力を失くしたサイノスを渡す変わりに色々な事を教えてくれましたよ」
「・・・」
「おや、どうして私を睨むのです? 同じ存在となったのですからもっと友好的に行きましょう」
「し、白々しい! 私に復讐に来たのでしょう!」
先程までの仮面を脱ぎ捨て本来の気性を露わにした女神は美しい顔に、険しい表情を浮かべて喚くように吐き捨てる。その表情を見たユーチェだった者は少しだけ表情を変えたがその変化の意味を女神自身は察する事が出来なかった。
「復讐されるだけの事をした覚えはある訳ですね」
「くっ」
「そんなに睨まないで下さい、折角の美しい顔が台無しですよ。結果は変わらない訳ですからね?」
ユーチェだった存在がリリーサの顔に向けてゆっくりと手を伸ばす、一瞬逃げる様な仕草を見せたリリーサだがそれが解放した圧倒的な神力に無駄な事だと諦観して様だった。元々、リリーサは戦いには向かないし、逃げ出せたとしてもリリーサの力が神子だった男の内部にある以上見付かるのは時間の問題なのだ。
「えっ?」
しかし、直ぐにリリーサが驚きの声を上げる事になる。神力を奪い取られると思ったのに、逆に神力を注ぎ込まれたのだから当然の反応だろう。実を言えば、ユーチェだった存在はリリーサにも滅びを与える積りだった。
だが、強がったり絶望したりして見せる美の女神の顔が妻や姉を思い起こさせてしまい、彼にはどうしてもリリーサを滅ぼす事が出来なかったのだ。(このモノスと呼ばれる世界の美の基準がリリーサである事は当然だから、美しい女性達の面影は美の女神に被ってしまうのだろう)
「ど、どういう積りよ!」
「そうですね、ちょっとした実験ですよ。元々貴女の神力を貴女に戻しただけなのですが、何かおかしいですか?」
「私を滅ぼさないの?」
「考えてみれば、私は貴女のお陰で前世では得られなかった妻も子も授かりました。結果的に両方を失った訳ですが、人並みの幸せを味わえた事への感謝の現れだと思って下さい」
「とんだ御人好しね? クリス・ドゥ・ロローサが送ってきた人間だからどうも好きになれなかったけど・・・」
「それがあいつの名ですか、まあそれほそれとして、この世界には姉も居れば親戚も居る、他の神々の干渉を受けて混乱に陥るのは歓迎できないという事情もあるのですよ」
「他の神々って?」
「おや、気付かなかったのですか、治める世界を失った”モノ”達がモノスを狙っているのですよ?」
「サイノスが居なくなったと思えば、次があるなんて!」
ユーチェだった存在は正式にイグノスの力を譲り受け、力を試す為に戦神となったイグノス・ドゥ・テールアの治める世界を狙う神や、このモノスを狙う神を平らげて来たから、差し迫った危機と言うのは存在しないがそれを教える程優しい性格をしていなかった。
「分かってくれましたか? また、貴女が人々の神力を与えるのは勝手ですがそれは貴女を窮地に追い込む事になる」
「・・・」
「こうして神の視点で見ると、このモノスは本当に小さな世界ですね。1つの大陸だけで世界が出来てるというのは、珍しいと思いますが?」
このモノスという世界は、文字通り1つの大陸だけの世界だった。地球で天動説が信じられていた頃に想像されていた世界を想像するとぴったりだろう。多くが惑星1つとか、精々星系止まりで、複数の星系に渡ってという神には神となって間の無い彼は会う機会が無かった。
「悪い? 私はこの世界で気に入っているの! ただの石像だった私が神になったのもこの世界の人々の信仰があったからこそなんだから!」
「それならば、人々を不幸にする様な真似は避けるんですね。隙を見せればまた別の神がやって来ますよ? そうだ、あの神子を利用しなさい」
「あの神子って、まさか、セッカ・サイノス?」
「そうですよ、セッカ・リリーサになるんでしょうね? 彼女は十分に美しいし、神子そして統治者としても優れている。今の彼女の集めている神力は今行先を失っているのだから貴女にとっても都合が良いでしょう?」
神子と神の関係はそれ程単純な物ではないが、神子を失った神と、崇めるべき神を喪った神子を組み合わせるのは悪い手では無い。
「何でサイノスの神子なんかと手を組まないといけないのよ!」
「では新しい神子を育てますか? 神子が力を蓄えるまで彼らが待ってくれると良いのですがね。それに、セッカ自身が神格を得る可能性もありますね、そちらの方が早いかも知れないな」
ユーチェだった存在は畳み掛ける様に告げた。前者は現在可能性は低いが、後者は何処かで絶対に起こる事だと思える。それによってセッカという女性が幸福になるとは思えないが・・・。
「ちょっと、冗談じゃないわ!」
「私が彼女と親しかった事は知っているでしょう? 貴女と私には何らかの繋がりがあったのは分かっているんですよ」
本来であればそれを使って神子から神力を受け取るのだろうが、ユーチェ(人間)だった頃にはそれが正常に働いた事は無かった。
「向こうが断って来たら?」
「彼女と親しかったと言いましたが?」
「分かったわよ、やってみる。本当に嫌な奴ね!」
「それで結構、貴女もリリーサ・ドゥ・モノスを名乗るのなら自分の世界は自分で守って下さい」
「言われなくたって身に染みて分かったわよ。貴方はこれからどうするの?」
「私ですか、あの世界に戻ります。クリス・ドゥ・ロローサと会っておきたいので」
「嫌な奴同士気が合うでしょうよ!」
あの陰鬱そうな神と気が合うと言われると釈然としなかったが、彼は無言でその地を立ち去った。忌神の力を引き受けた彼がこの地に長居する事はモノスの人々に良い事ではないだろうから・・・。
◆ ■ ◆
そして舞台は最初の雑居ビルに戻る事になる。正確に言えば、雑居ビルに見えた建物だろうか? 今の彼にはその建物が、雑居ビルにもキリアス候の屋敷に似た建物にも見える。
前世の記憶を取り戻した彼には雑居ビルの方が前世の自分が働いていたビルが原型になって居る事が分かるが、その実体は幻影神の力の影響か今の彼にも見る事が出来なかった。
あれからどれだけの月日が経過したのか分からないが、ビルの3階部分では幻影神クリス・ドゥ・ロローサが忙しく書類整理を続ける姿が見られる。今回彼は、態と幻影神の目の前に現れて見せたが、その反応は前回と殆ど変らない素っ気ない物だった。
素っ気ないと言うより無視していると言う風に見えなくはない。彼はその反応を予想していた様で、面倒そうに近くの天使を一人消して見せた。その時になってやっと幻影神が反応を見せる、今回は周囲の天使が一斉に消えたのだ。
「何だ貴様だったか、あちらの世界はどうだった?」
「色々楽しめたさ」
「ふん、その結果が人外の者になるのか?」
「人間では無いと言うなら、クリス・ドゥ・ロローサ、貴方も同じだろう?」
「言う様になったな? そうか、そう言う事だったか」
堂々と反論が言える様になった彼の姿をじっと見つめた幻影神が、不意に納得いったという風に声を上げた。
「お前は何処の神にも疎まれる存在だと言う事だ」
「何を言い出す? いや今の俺の力は疎まれるに値するだろうが・・・」
「忌神の力か? 違う違うぞ、私はお前の魂の話をしているのだよ」
「俺の魂? 何の事だ?」
「気付いていないとは能天気な事だ、その様子では幾人もの神に会っただろう? お前に好意的な者が居たか?」
「それは・・・」
一番気が合ったのは、忌神と呼ばれるイグノスだったが、忌まわしい力を押し付けられたと考える事も出来る事は分かっていた。そして、それ以外の神には目の前のをはじめとして、好意的な者は居なかった。何人もの神の力を吸収する事になったのも全く交渉が上手く運ばなかった事の結果でもある。
「彼らがお前を疎むのはその力ではなくその”魂”故なのだよ。お前が人であった頃は分からなかったが、こうして神力を溜め込んだ状態であれば良く分かる」
「何が分かるんだ?」
「例えるなら、お前は無限に神力を溜め込む壺の様な物なのさ」
「壺?」
「分からないか? そうだなもっと適した例えがあるな、”底なし沼”や、いっそ”ブラックホール”が適当だろな」
壺ならば兎も角、”底なし沼”と”ブラックホール”には明確な悪意が感じられる喩だが、ある意味実に的確でもあった。
「その溜め込んだ神力、自由に使いこなせているか? 使えていないだろう?」
「何故分かる?」
「さあな、私はお前が嫌いだ。人間であった頃よりはましだが好きになれん。重要な事を聞き忘れていたな、お前はここに何しに来た?」
「それに答える前に1つ教えてくれ、俺が前世の事を思い出せなかったのは貴方の呪いのせいだな?」
「応える義理は無いだろうが教えてやろう。私の呪いは前世の記憶を封じると言う物だったのは認めよう、リリーサにお前を普通に渡したのでは面白くなかったのでな」
「だけど、俺は昔の事を無意識に思い出していたぞ?」
「それは、私の呪いがお前の魂に飲み込まれ十分な力を発揮できなかったからだろうな、他にも要因があるだろうが・・・、忌々しい魂だ!」
状況が状況であれば、呪いが人の人生を正しい道へと進め、恩寵が人の人生を破滅に導くという例を実体験してきた彼には、呪いが言葉通りの意図だったとは考えられなかった。
「俺が自分の昔の事を思い出せなかったのは貴方が呪いを掛ける前だった筈だが?」
「お前の個人的な前世の記憶の話ならば嘘は言って居ない、あの時のお前を覚えている者は居なかった。だが、今は居ると言うだけの事だろうよ」
「そうか・・・」
「もう良いか? 何の為に戻って来たか言って見ろ、生まれたての虚ろな神よ!」
「聞くまでも無いだろうに、貴方に対しての復讐の為さ!」
「お前に出来るかな? 経験不足ではないか?」
そんな幻影神の揶揄の言葉に耳を貸さず、虚神は一気に幻影神との距離を詰める。虚神の手が幻影神の肩に触れた瞬間、幻影神の口から苦悶の声が漏れた。