雨の日の過ごし方
その日は朝から柔らかい雨が降り続いていた。
だから剣の稽古はお休み。
私はディナートさんに付き合って貰って、読み書きの練習に励んでいた。
不思議なことに、私はこっちの言葉をしゃべれるだけじゃなくて、字を読むことも出来る。
けど、あっちの世界にない単語、私が知らない単語は翻訳されない。
だから、本を読んでいると、読めるけど意味が分からない言葉が沢山でてくる。主に固有名詞――地名や、花や食物の名前なんかだ。
分からない単語が出るたびにディナートさんに聞いて、一つ一つ覚えていく。
難しい物語でははかどらないだろうってことで、ディナートさんが選んでくれたのは、いくつかのおとぎ話。
お姫様を救い出す騎士の話、正直者が冒険の末に幸せになる話、そして狂った王を忠臣が諌めて国を救う話――最後の話を読んだ時は、何故か胸の奥が軋むように痛んだ。隣に座るディナートさんが訝しむほどに。
「そろそろ一休みしましょうか? 根を詰めすぎても効率が下がるだけですからね」
立ち上がった彼に続いて私も椅子から腰を浮かした。
その瞬間、けたたましい音を立てて扉が開いた。
「わっ!?」
驚いた私は咄嗟にディナートさんにしがみついた。――しがみついてしまった。
そして当のディナートさんはそれが当たり前と言うように私の腰を左手で抱くと、右手を前に構えた。
「エーカ! お茶しましょ、お茶ッ!!」
お気楽なルルディの声が部屋に響き渡った。
闖入者がルルディだと分かった私たちは大きなため息をついて、体から力を抜いた。
「な、なんだ……ルルディか。驚かさないでよ、もう~!」
「あら、ふたりとも抱き合っちゃって何してるのよ~~やーねぇ」
誰のせいだ! 誰のッ!!
て詰め寄って文句言おうと思ってたのに、ディナートさんが手を離してくれない。
「落ち着きなさい、ヤエカ殿。ルルディ様のこういう性格は今に始まったことじゃないでしょう?」
「あらやだ、ディナートまでそんな嫌味なこと言うのね」
可愛くむくれても騙されないんだからっ!
「まぁいいわ。ラプロの今月の新作、手に入ったのよ! 一緒に食べましょ」
ラプロと言うのは聖都で一、二を争う人気のお菓子屋さんだ。
「え!? ほんと! 買うの大変だったんじゃない?」
ルルディはこう言うところで絶対に職権乱用したりしない。それを知ってるから、まさかあの血で血を洗うような争奪戦に参加したのかと思った。
「うちのモブダスっているでしょ? あの子が買ってきてくれたのよ。私とエーカにって!」
「モブダス、さん? ……えーと……」
誰、だっけ?
記憶の底を手繰って手繰って……思い出せないっ!!
「以前、貴女が顔を洗った時にタオルを差し出してくれた騎士がいたでしょう? あの者ですよ」
「タオル……? あ……。思い出したっ!!」
思い出した。思い出した。すっかり忘れてたけど、あの甘党の騎士さんか!
「あの騎士さん、モブダスさんって言うんだ~。よし覚えた! ディナートさんありがとうございます。おかげで思い出しました」
「そうですか、それは良かった」
ん? なんだかディナートさんの微笑が変だ、ぞ?
あれ?
今、「別に覚えなくていいのに」って呟きませんでした? ――いや、そんなこと言うわけないよね。私の空耳だよね。だっていまだにルルディの開けた扉の音が、耳の奥でわんわん言ってるし。
「モブダスさんって親切な方だね~」
「その親切を無にするわけにはいかないでしょ?」
この前、『甘いものは好きか』って聞かれたんだけど、あれってこう言うことだったんだね。差し入れしてくれるなんて、なんて優しいんだろう。
今度会ったら、ちゃんとお礼言わなきゃ。
「――ディナートさん。あの……」
「構いませんよ。ちょうど休憩するところでしたしね」
ルルディとお茶してきていいかと尋ねようとしたのに、先を越されてしまった。
「ディナートもおいでなさいな」
「ですが、女性同士の華やかな茶会に、私などがお邪魔しては無粋で……」
「何言ってるのよ! ヴァーロも一緒だし、あなたが来ないと今度はエーカが困るわよ」
ふふふと楽しそうに笑うルルディの誘いに負けたディナートさんが「ではお言葉に甘えて」と優雅に一礼した。
良かった! 本当に良かった!! 私一人で、ルルディとソヴァロ様のイチャラブ攻撃を受けるのは辛すぎるもん!!!
ホッと胸をなで下ろしてたら、上から小さな呟きが落ちてきた。
今度は「釘を刺すのは後でも出来る」って聞こえた、ような?
上を見上げたら、ディナートさんと目が合った。
「どうしました?」
といつも通りの微笑が返って来た。
何だ。やっぱり私の気のせいか。
「ほら、いつまでもベタベタしてないで! 目の毒だわ。 さあ行きましょ!」
いっつもイチャイチャしてる人に、ベタベタしてるなんて言われたくないですね!
さっさと部屋を出るルルディの背中に
「全くもー! どの口がそう言うこと言うのよ」
と悪態をついたら、ディナートさんが小さく吹き出した。
「まぁいいじゃないですか。さ、我々も参りましょう」
そう言いながら、彼は私の腰から手を離した。
――って!!
あ、あれ!?
ももももももしかして……。
私、い、今の今までめちゃくちゃディナートさんとくっついてたってことか!?
ルルディの勢いにのまれてすっかり失念してましたああああっ
って言うか。まさかディナートさんまで、自分の体勢を忘れてたわけじゃないよね?
ちらりと横目でみると、にっこりと悪意のない笑顔を返してくれた。
それが逆に胡散臭い気がしたけれど、藪蛇はご免こうむりたいので知らないふりを決め込んだ。
それにしても!
今月の新作、どんなのかな。
すっごく楽しみだ!!!
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【半刻(約30分)ほど前】
俺はモブダス。
近衛騎士として聖女様にお仕えしている身だ。
今日はあいにくの雨だ。
だが、俺は目的を達するため降りしきる雨をものともせずに、無事任務を遂行した。
あとは手に入れたこれをあの方にお渡しするだけだ。
俺は両手抱えたそれをちらりと見下ろした。
濡れないように細心の注意をしながら運んできたのだ。
あと少し、あと少しだ。
こう言う時が一番危険だ。終わりが見えたことに気が緩む。そしてミスを起こしやすい。
いいか、俺。
これまで以上に慎重に行くんだぞ。
「あら。モブダスじゃない。今日は非番ではなかったの?」
どっきーーーーーーん!!!!!!!
背後からかかった鈴の転がるような声に、俺は文字通り飛び上がった。
いま、この世で一番会いたくなかったお方、である。
「なにを持って……あらやだ。この箱、ラプロのじゃない! そう言えば、今日は新作発表の日じゃない!! もしかして……?」
いつの間にか俺の目の前で、ルルディ様が目をキラキラさせている。
あああ、神よ。
あなたはどうして俺にこのような試練を与えるのですか。
「はっ! 実は……」
ヤエカ様へのプレゼントだと正直に話してしまえ。
じゃないと、奪われる。絶対、奪われる。
しかし、だ。両手を胸の前で組んで、目をキラキラさせて、期待に顔を輝かせながら見上げてくる絶世の美女が、目の前に、いる。
だ、ダメだ、ほだされるな、俺。
心を鬼にしろ、俺。
「――ルルディ様とヤエカ様へ差し上げようと、思いまし、て……」
あああああああああああああああ!!!
ばっかじゃねーの、俺!!
しっかりしろよ俺!!
「きゃーーー!! 本当に? 本当に貰っていいの!? モブダス、ありがとー!」
「そ、そのように喜んでいただけて……光栄、です……」
あんまり嬉しそうに聖女様が笑うので、まぁこれはこれで良いか、と思ってしまった。
去っていくルルディ様の後姿を眺めながら、俺は次は何を差し入れしようか、とか、次は絶対にヤエカ様に手渡ししてやるとか、そんなことに思いを馳せた。
ああそうだ。
次はラプロのライバル店が、水菓子特集って言うのを開催するって言ってたな。買いに、行くか。
初出 2013.7.18 web拍手小話として掲載




