モブ騎士君のとある一日・2
俺はモブダス。聖軍近衛騎士団所属の騎士だ。
なんだかよく分かんねえんだけど、今回から(仮)ってやつが消えたらしい。まぁどうでもいいか。とりあえずこれからもよろしく頼む。
その日の俺は、聖女様の執務室の警護を担当していた。時間が来たので次のやつらと交代して、休憩時間に入った。
昼飯も食い終わったし、その辺の草むらにでも寝っ転がって昼寝でもしようかなんて考えながら訓練場の裏手を歩いていると、赤い軍服が目に入った。
あの可憐な勇者様だ。
俺は足を止めて、彼女の後姿にじっと見入った。
どうやら井戸水で顔を洗っているようだ。これから昼の休憩でもとるんだろう。
いや、こんなとこじっと見つめちゃ失礼だよな。頭では分かってるんだが、どうも足に根が生えたようで動かない。
(ばれなきゃいいんだよ、ばれなきゃ!)
俺は悪魔の囁きに、魂を売った。
何もあんなに厳しくすることはねえだろって思うんだが、まぁ今日も勇者様は全身、土埃にまみれていらっしゃる。
新米騎士だった頃のしごきを思い出して、甘酸っぱい気持ちになる。あー……二度とあの頃には戻りたくねーな。
俺の視線の先で、勇者様が何やら妙な動きをし始めた。体をかがめたまま、片手を伸ばして、虚空を探っている。
――ああそうか。顔を拭くタオルを探してんのか。
目的のものは木の枝にかけてある。彼女が伸ばした指のもう少し先なんだがな。
ん?
これってお近づきになるチャンスじゃね!?
さっと視線を走らせて、近くにあの妙に怖い副団長の姿がないかどうか確認した。よし。誰もいねえ。
俺は急いで井戸に近寄って、木にかかったタオルを手に取った。
「どうぞ」
勇者様がおどろいたりしないように、出来るかぎり優しげに声をかけた。同時に、伸ばされた彼女の手にそっとタオルを乗せる。
「え!?」
驚いた彼女は弾かれたように体を起こし、濡れた顔のまま俺を見た。見開かれた目は驚きに揺れている。
柔らかそうな頬を滑って、あごから滴り落ちる雫が、きらきらと陽光に光る。
濡れて額に張り付く濃茶の髪、白い頬、ピンク色の唇は小さく開かれている。可憐だと思って彼女が、予想以上に艶めかしくて、俺の思考は即時停止した。
(うわああああああああ!)
心の中で叫ぶ。
ちょっと待て。ちょっと待て。この色っぽさはなんだ。凶器か? 凶器なんだな? 凶器以外にあるまい。
現に、俺はいま、殺されそうになっている。
きょとんとして俺を見ていた勇者様だが、俺があまりにも長い間呆けているからか、不思議に眉をひそめた。
そのひそめた眉にあらぬ妄想を展開した俺は、本当に……何というか……いっぺん死ね。
落ち着け、落ち着け、俺。チャンスをものにするには冷静に、だろ!?
「お、驚かせて申し訳ありません。服が濡れてしまいます。まずは顔を……」
「あ! そうですよね」
彼女は、俺の声にハッと我に返ったのか、慌ててタオルで顔を拭う。
「はーサッパリしたぁ! ――タオル取ってくださってありがとうございました」
にっこり笑いかけられて、頬に血が上った。
ああ、可愛らしい無防備さが俺を苛む。
「い、いえ。お役に立てて良かった」
当たり障りのない返事を、極力穏やかな口調で言う。よし、この混乱状態で上出来だ。
ついでにもうひと押し。デートに誘え、俺。臆するな。
女の子は甘いものが好きだって言うし、最近流行ってる菓子屋の情報はばっちりだ。ぬかりはない。
「時に、勇者様。甘いものはお好きですか? 良かったら――。……っぐ!?」
『今度一緒に美味い菓子を食べに行きませんか』そう続けようとした言葉は永遠に途切れた。
背中に凍り付くような殺気。
あーあーあー!
俺、知ってる。この殺気知ってる。
またこのパターンですか。二回目ですよ。それも連続で。
飽きましたねーははは!
畜生。
どっから湧いてきやがりましたか、副団長。
魔族ってぇのは神出鬼没が得意技ですか、そうですか。
「ここにいらしたんですね、ヤエカ殿。楽しそうですね。何のお話です?」
にこやかな声が背後からかかった。いや、俺にじゃなくて勇者様にな。
「あ、ディナートさん! こちらの騎士さんも甘いものがお好きなんですって!」
屈託なく答える勇者様。この凍てつく殺気に気付かないんですか、貴女。なかなか豪胆ですね。俺なんか眼光に刺されて死にそうですけど。
「ああ、そうなんですか。甘党仲間がいて良かったですね」
ぜーんぜん良いと思ってねーだろ!
「ところで、君。ルーペス隊長が君を探していたようだが?」
(邪魔だ、さっさと消えろ。お前の所属はもう把握してるからな:翻訳:俺)
おだやかーな口調に乗って、氷の礫が飛んでくる。
くっそー。
今日も負けた。
「はっ! ありがとうございます。それでは私はこれで失礼します」
そう答えながら、思った。
絶対、こいつの凍てつく殺気に動じない男になってやる。それも迅速に。
初出 2013.6.2 web拍手小話として掲載