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 妻の傷が癒えるまでしばらくの間は都からすこし離れた街で養生していたが、ある程度動けるようになった頃を見計らい、男は妻の手を引き瑛に向かう道を急いだ。


 瑛に向かうには2つの国を経由しなければならず、そのうちの1つである隣国-陵の関所にたどり着くと、元部下の男が選別にくれた偽の身分証である木簡を検閲の兵士に見せる。

 当時の陵は酒と女に溺れた愚王が治めており、国境を管理する兵士の質も悪く、木簡を渡す際に通行料として払う額とは別に袖の下を渡すと、特に何も言わず顎をしゃくるだけのぞんざいな仕草で入国を許可した。


* 


 陵の関所を出てすぐの所には短里ほどの大きな川が流れており、丘に行くにはまずこの川を渡る必要があった。

 船着き場に行くと、次の船が出るまで時間があると言われたので、一時の休憩として川岸で足を休めることにした。並んで座り、ぼんやりと川の流れを見ていると、妻がいきなり服の裾をつかんで男の意識を自分の方に向けると川の上流を見るように指さした。何事かと示す先を見ると、上流から2人の子供が流されている姿が目に入った。2人は一緒に流れている木に引っ掛かっているため、沈みこそしていないがこのままでは危険な状態に陥ることは見て取れた。

 騒ぐ妻を尻目にそんなことかと男は流れゆく存在を無視しして寝そべるために体を倒したが、妻は何を考えたのか「助けなきゃ」つぶやくと川に向かって駆け出した。男は静止の言葉をかけたが、それで足を止めたのは一瞬で、すぐさま男に背を向けると、そのまま川の中に足を踏み入れた。

 

 いくら体力がある人間でも水で溺れている人間を助けるのは策がなければ自殺行為に等しい。しかも着衣のまま川の中を進もうとする妻の愚かな行動に、仕方なく男は立ち上がると代わりに自分が二人を助けるからと、服を脱ぎ護身用の剣をつかみ川の中に飛び込んだ。


 幸い二人は気を失っており、暴れて手間をかけさせることがなかったので、すぐさま岸に引き戻すことができた。 


 それから半刻ほど経ってから、子供たちは目を覚ました。子供たちは自分たちは農家の子供で、口へらしに両親に捨てられたと説明した。しかし、男の見る限り粗末な服こそ着ているが、手入れの行き届いた肌に、庶民訛りのない言葉づかいから一定以上の教養を受けていることがわかった。しかもそれを隠しているという、一目で面倒事を抱えているとわかる子供たちに助けたことを後悔した。

 全員が水浸しの状態であったため、一旦渡し場の近くにある宿を取り、子供たちが寝たのを確認すると彼らをどうするべきか相談をした。初めはせいぜい人のよさそうな役人を見つけて引き渡せばいいと思っていたが、素性を隠している以上は嫌がるかすぐ逃げ出すだろうことは想像にたやすい。一度助けた以上は、下手に中途半端なことはしたくないと伝えると、妻はそれならもし2人に行くあてがなければどこか落ち着く先が見つかるまで一緒に行こうと提案した。

 面倒事を自ら背負い込もうとするなど冗談ではないと反論しようとしたが、乞うように男を見上げた目を見た途端、言うべきはずの言葉は男の頭の中で霧散し「好きにすればいい」と答えた。

 翌日、目覚めた子供たちにその事を話すと、彼らはよろしくお願いしますと頭を下げ、男は子供達に手を差し出した。


 そして、4人の旅が始まった。


 子供達は自分を救ってくれた恩人だと男に懐き、四六時中その傍に纏わりついた。男はそれを鬱陶しく感じていたが、下手に無碍にすると妻からたしなめられたので、仕方なく時々剣の使い方などを教えて相手をしていた。

 そうして一緒にいる時間が増えると自分で言い出したことなのに懐かれて羨ましいと、妻からものいいたげな視線を向けられ、理不尽な思いをさせられた。

 自分の所にばかり来ず、妻ともいるように子供たちに言い含めるが、過去にあった出来事のせいで女性が苦手だから、男が言うなら我慢はするがそれでもいいか彼らはと問うてきた。男の妻であるはずなのに、「女」という部類に属しているだけで嫌がる子供たちを我儘と断ずるには、好き嫌いの激しい男はその気持ちはわかりすぎるくらいに分かったので、そのうち妻にも慣れてくれればいいと楽観視してその態度を放置することに決めた。

 

 子供達は時折周りを警戒している様だったので、何か追手の様なものがくるのかと思っていたが、1月近くはほぼ何事もなく旅は進んだ。


 しかし、丘の関所の前の城に続く街道を歩いているあたりから、妙な視線を感じ始めた。それは街道を囲む林の中からじっと男たちの様子をうかがっており、巧妙に気配を隠していたが、少しづつ距離を詰めてきているのを感じたので、街に入る前に先手を打つために、妻と子供たちを先に城門に入るよう言い送り出した。そして彼らと別れてから木陰に身を隠し、相手が姿を見失ったと注意を周りに向けた隙を見計らい捕縛した。

 縄抜けできないように強くしばりつけ、覆面をしていたのでそれを剥がして顔を見ると、まだ30にも届かないような武骨な顔立ちの青年が忌々しいとばかりに男を睨みつけた。青年は自分が今囚われの身であるにも関わらず「坊ちゃま達を返せ、この誘拐犯め!」とふてぶてしい態度で男を罵った。

 話しをするでもなく身に覚えのない汚名を浴びせられたことに機嫌を悪くした男は、青年を気絶させてから山に放置しようと決め拳を振り上げた。

 その時、背後から宿に帰っているはずの子供たちが、青年のものと思しき名前を呼んでかばうように青年に抱き着いた。子供の一人が自分の家のもので、だから彼にひどいことをしないでと泣きつき、もう一人は男が命の恩人で誘拐犯などではないことを青年に説明した。

 

 青年は一通り子供達から話を聞くと、先ほどまでの態度が嘘のようなかしこまった態度で礼の言葉を述べた。男はその様子から敵意は無くなったと判断し、縛っていた縄をほどき詳しい事情を聞くことにした。それによると、跡継ぎをめぐるお家騒動により、正室腹である子供たちは誘拐された。それに気づいた男はすぐに追いかけるが姿を見失い、さらに川に捨てられた子供たちが旅の夫婦-つまり男と妻に拾われ、家族として旅をしたために「子供2人」の行方を追っていた青年は探すのに手間取ったらしい。もう騒動もある程度落ち着いてきたため、家に帰っても大丈夫だと告げる青年に、子供達はお互いの顔を見合わせて喜んだ。


 男はその光景を見て、これで肩の荷が下りたと思った。青年は見るところ、嘘をついている様ではない。子供達は青年と本来あるべき自分の家に帰り、妻と自分は目的の国に行く。

 

 また、2人の旅に戻るのだ。

 

 それを想像した時、何故か少し物足りないような気がしたが、その理由が分からなかった。だからそのまま子供達にこれからどうするか問うた。

 子供達はお互いに視線を交わしうなずき合うと揃えて口を開いた。


「「----将軍。もしよかったら、僕たちと一緒に来てくださいませんか」」


 子供達は本来死んだとされている隣国の「狼将軍」の素性を知っていた。知っていたが、知らなかったふりをしていた。それはまだいい。しかし、それまでそんな素振りすら見せていなかった子供たちが突然その事実を言い出した事に警戒し、わずかに足を引いた。その行動に気付いた子供たちは慌てて男の手をつかみ、引き留めるための言葉を矢継ぎ早に紡ぐ。だが、必死の願いを男はゆるく首を振って断った。


「私はこのまま妻と共に先を行く。お前らがこの国に留まるというならば、置いてゆくしかないだろう」


 突き放す様な言葉に、子供たちは顔を俯ける。


「それでも、あの人は連れていくんですね」


 拗ねた様な言葉からにじむ嫌悪の感情に、男は眉を顰めた。子供たちはお互いの目を一瞬あわせた後に、顔を上げた。


「あなたの奥様……、いえ、あの方は、僕らが邪魔だと毒を食べさせていたんです」


 そこからは「いつも疎ましそうに僕らを見ていた」「計画性もなく金を使うからすぐに資金がなくなるのだ」等、男にとって聞くに堪えない台詞が続いた。

 1つ言葉を紡ぐごとに男の顔から表情は次第に消えてゆくことにも気づかず、子供たちは男に訴えかける。


(分からないものなのか……)


 妻は万寿華を食べさせる前に必ず先に毒見していた。自分たちこそが、金を使わせている張本人だと気づかせないように、いつもこの位で物を買っていると単純な嘘でごまかした。それまで真っ先に男に延ばされた手は子供たちに向けられるようになった。自分の外套を売って子供用の服に替え、4人になり旅費がかさんだ分をなんとかしようと休憩中も食べられる草花を探し、時には毒花である万寿華を手間をかけて毒抜きして食糧にするなど工夫をこらした。そのおかげで、かつかつながらも問題なく予定通りに行程を進むことができた。

 子供たちはそれを知らない。一緒にいた時間ですら、まだ1月にも満たない。男も知っていて彼らに何も伝えなかった。

 だから、気づかないのも当然なのだ。


 だからなのか、不思議と怒りは湧いてこなかった。

 ただ、彼らとの間にあった小さなつながりが音もなく切れたのを感じた。服を掴む手を引きはがし、距離を空ける。

 

「何を言おうと私は意見を変える気はない。悪いが、ここでお別れだ」


 そのまま背を向け立ち去る男を、彼らは追うことはなかった。



 元の街道に戻ると、街に入るほかの旅人たちに何か話しかけている妻の姿が目に入った。妻は男の姿を認めると駆け寄って、子供たちと一緒ではないのかと詰め寄った。その時、子供たちはすでに男にとってないものになっていたからそれに対し、男は「知らない」と答えた。

 その返答を聞いた妻は、子供たちとはぐれた事を男に伝え、まだ見ていない場所を探すために身をひるがえして街道からそれた場所に向けて駆けていった。

 静止の言葉をかける前に男の前から去っていった妻に男は大きなため息をついた。傾き始めているこの国では、反乱軍が立ち上がり、内乱が起こったこともあり日々治安が悪化しており、街道沿いですら追剥がめずらしくない。それなのに、女の身一つで護身用の武器も持たずに行くなどと不用心にもほどがある。仕方なしに、その背を追うために男は歩き出した。


 しかし、もちろん子供たちが見つかることはなく、いたずらに時が過ぎると、やがて城門が閉まることを告げる鐘の音が響いた。


 まだ子供たちを探すと言い張る妻呼び戻すと半ば引きずりながら町に入る。適当な宿とり、前金を払うために財布の入っている巾着を出せと後ろにいる妻を振り向くと、何も入っていない巾着を逆さにして青い顔で立ち尽くしている姿が目に入った。


 その日の宿は念のために男が小分けにして持っていた銭で支払いをすませた。案内された房室に備えられた椅子に茫然とした状態の妻を座らせる。男は卓の向かいに腰を下ろし、しばらくは無言の状態が続いたが、うつむいた顔から落ちた一滴の涙が膝の上に落ちたのを契機に、ごめんさいと謝罪の言葉を口にした。


 私があの時二人について気を付けておけば、もっとちゃんとしていれば、あの手を放すことなどなかったのに。


 嗚咽を漏らしながら、止まらぬ涙をぬぐいつづける妻の姿に男はどうしていいかわからず、妻が泣きつかれて眠るまで途方にくれたように立ち尽くすしかできなかった。

 

 男がどれだけ蔑ろにしようと笑っていた妻が見せた初めての涙に動揺しだか、それでもこの出来事を大したことではないと心のどこかで思っていた。。

 彼らとであったのは、ほんの少し前の出来事だ。

 ただ、偶然出会っただけの存在であって、自分の子供ですらない。それに、この時代子供が拐わかされ、いなくなることなんてそう珍しくもないことだった。だから、見つからなくても、そのうち諦めるだとうと、そう考えていた。


 そんな男の思いをよそに、妻は次の日の朝になるとすぐでかけたと思えば調理場の仕事を見つけて戻ってきて、しばらくは路銀を稼ぐためにこの街に逗留し、子供たちを探すと男に宣言した。

 それからの妻の行動は早かった。朝鶏の声が泣き出すより早く起き出して仕事にでかけ、昼が過ぎから暮れ前の空いた時間に子供たちを探し、夕方には再び仕事に戻るという生活を繰り返した。男が自分が探すから休めと言っても聞かず、その足を休めることはなかった。


 しかし、日に日に治安が悪化し、戦が近づく気配を街の人々の話からも感じていた男は、路銀がたまる前にこの街を出ていかなければならないと思っていたが、妻が仕事に向かう足を止める言葉を言い出せずにいた。


 必要がない。

 子供たちは迎えが来て、お前を悪しざまに罵って、私はそんな彼らを置いていった。


 ただそれだけを伝えて、この街から出ればいいだけだというのに。


 

 どうしていいかわからず、街をぶらついていると、子供を捜しているうちに知り合った餅屋の男に声をかけられた。


「まだこの街にいたのかい?」


 家の荷物を馬車に移していた餅屋は、今日には家を出る予定であることを告げた。王の治世に反対する反乱軍がついに本格的に動き出した。その拠点と王都の中間地点にあるこの街を攻め入る日も近いと。

 元々、なにかと声をかけてくる餅屋に世間話のついでに交通の要所であるこの街の立地からくる戦の危険性を伝えたのは男である。そして男が子供を真剣にさがしていない事を知っていた。それなのに、未だにその男が街にいることに不思議に思ったようだ。

 それに対し男は口を一文字に引き結び、顔をそむける。隠し事をしている子供の仕草そのままの行動に餅屋は吹き出しそうになるのをこらえ、男にどうせ会うのはこれで最後になるだろうから少し話を聞かせてくれないかと荷物の少なくなった店の中に案内した。


 この店で作った最後のものだと餅屋の妻に出された焼餅を二人で食べながら、語られる男の話を聞きおわると、君は奥さんが大切なんだねぇ、と間延びした声で餅屋は笑った。

 その言葉の意味がわからず、怪訝な顔をする男に餅屋は呆れた様な、仕方ないものを見るかのような目で男を見た。


 奥さんに真実を話して悲ませるのが嫌なんでしょ。


 でも嘘もつきたくないから、言い出せずに悩んでいる。難儀な人だ。


 そう言うと、思案するかのように腕を組んでうなった後、いい方法があると男に告げた。誰か代わりにその子供たちを迎えにきた男のふりをしてもらい、全て話さず必要なことだけを伝えてもらうように頼めばいいと。

 その餅屋の提案に男は乗り、人の好さそうな顔の壮年の男を捕まえ、簡単な経緯を話し、子供たちを迎えに来た男のふりをして、事情を伝えてほしいと妻を安心させてやってほしいと依頼した。

 頼まれた男は、少し考えるとそういうことならと快諾した。

  

 そして、妻のもとに男を連れてゆき、見事に妻はその男の演技に騙され、良かったと安堵の笑みを浮かべた。


 それから、妻に近いうちにこの街は戦になる可能性が高いことを告げ、なるべく早く出るべきだと急かし、2人で瑛への道を歩き始めた。

この「物語上」では、短里は約70メートルを指しています。

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