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 隣国との戦が本格化すると、軍属であった男も当然のごとく戦に駆り出された。

 男にとって戦うことはいままで人生そのものであり、戦うためだけに作られた前の身体は幾日、幾月戦い続けても疲労すら感じなかった。


 だから人として初めて戦場に出た時、男は自身の弱さに愕然とした。

 

 以前は自分ひとりの力だけで戦況を変えてこれた。剣をほんの一振りするだけで、多くのテキを屠り、陣を崩すことでミカタを守ってきた。それがそれまでの男にとっての当たり前だったのだが、今の体はあまりにも無力だった。


 切られたことが原因で腕が壊死した者、死にたくないと泣きながら人を殺す者、逃げる中躓いた拍子に倒れこみ二度と目覚めなかった者、壊れたような笑い声を上げながら炎に包まれた者など、戦場での殺し合いによる死をたくさん見送り、あっけなく死んでゆく者達を助ける事すらできなかった。自身が生き残ることだけを考えて必死に剣を振るわなければ、次に死体になるのは自分だということは、男に大きな衝撃を与えた。


 なぜか前線に送られることが多かった男は、人の戦に多く関わるうちに自身の力だけで生き延びるのが限界であると悟った。しかし、今までの人生経験から誰かにたよるという発想の無かった男に、同じ隊にいた旋からいくつもの国をはさんだ遠国にある瑛出身の壮年の男がいざというときお互いを協力し合わないかと声をかけてきた。

 最初は盾にでも利用するのかと思い、全く話を聞く気はなかったが、壮年の男はしつこく、また他にも手が思い浮かばなかった男は、半ば賭けのような気持ちでその話に乗った。


 結果としてその賭けには成功した。壮年の男は剣の腕こそ一般の兵士とそう変わらなかったが、機を見る目に優れており、剣を交えながらも敵をうまく誘導し、男が効率よく動けるような場を作り上げた。

 背を預ける相手ができ、周りと連携を取ることを覚えた男の元に我もと自分を売り込む者が増えた。

 もともと自身を弱いと評価していた男だが、その身体能力は高く、戦なれした経験により一瞬の隙も見逃さず無駄のない動きで敵を切り伏せる姿を味方から狼のようだと評されており、強さを絶対とする戦場では心強い味方として信頼が高かったからだ。 


 そうして順調に戦功を重ね、部隊を任されるようになると今度はその知略で戦況を切り崩すきっかけを幾度となく作ってきた。その時に、男は壮年の男を直属の部下とした。他にも部下はたくさんいたが、率直にものを言うが、無神経ではなく、気配りができる部下を男は重用した。部下は40代だったが、すでに孫がいるらしく、仕事の無いときなどしきりに孫娘の絵姿をみて戦をはやく終わらせて帰りたいとぼやいていた。

 男もそれは同感だったので、なるべく早く戦を終わらせるために戦略を練り、必要ならば王にすら掛け合った。


 それからは家と戦場を往復した忙しい生活が続き、気付いた時には将軍になっていた。


 将軍になったことで給料も以前とは比べ物にならないほど増えたが、金というものに価値を持たない男は生活に必要な最低限額以外は全て寄付をした。


 そのせいか、妻は珍しく仕事が続いていることに嬉しそうにしていたが、男の地位について全く気付いていなかった。それもそのはず、男は自分が将軍位についたことをわざわざ言わなかったし、未だ生活が苦しいと思い込み休みなく働いて寝る生活をしていた妻にとって、世間の噂を聞く暇もなかったから仕方ないとはいえ、少しだけほっとしていた。

 位が上がるごとに、だんだん周りの目が尊敬から畏怖、そして崇拝りようかちのあるものに変わっていく様は男の“我慢できない過去”を思い起こさせた。もし妻にまでも男自身ではなく“狼将軍”として男を見られたらと思うと、とても我慢できることではなかった。

 

 後にそれが杞憂だと分かった時、どれほど救われたかきっと妻は知らない。


 部下によるおせっかいで現在の地位のことが妻にばれた後、男はそれまで寄付していた給料を使い、家を買った。

 本当は長屋でそのまま生活しても良かったのだが、当時の部下が「将軍である夫をこんなところに住まわせて、みずぼらしい恰好をしている妻」というのは、たとえどんなにいい人であろうと妻としての力量を疑われ、女性としての評価を貶める事になると言われたからだ。

 給料も以降は全て預け、管理させるために簡単に帳簿をつけさせるため、文字を教えた。しかし、妻は見たこともない大金の扱いに困り、最低限体面を保つに必要な分以外は全て寄付をしていたから、帳簿は「その他」欄が最も出費が多い所になった。


 そのうち隣国との戦が終結し、事後処理もおわると国も内政に力を入れ出し、男の肩書きは禁軍右軍将軍になり、王宮に出入りする機会が増えた。

 戦上手の成り上がり者と評されていた男が、将軍、それも王にもっとも近しい禁軍でも最高位に近い地位についたことで男の周囲は騒がしくなった。しかし、剣の腕しかない下賤の者みなされていた男に対する評価は一目その姿を見たただけでがらっと変わった。

 背はとびぬけて高いわけではないが、多くの兵を従え毅然と立つその姿には威厳があり、口数は少ないが、発せられる言葉には嘘偽りはなく、難しい問いかけにも如才なく答える様は学の高さが伺えた。そして何よりもその存在感はいるだけで他を圧倒させた。

 これは傑物だと見た彼らは仕事場にまで押しかけて男に対し娘や妹を勧めてきてきて、男を辟易させた。その中には、いつぞやに男が助けた貴族の娘の父親もおり、「貴方以外と結婚しないと言っており早くしないと嫁ぎ遅れになる」とか一度は引き離したのに随分と勝手な事を言っていた。

 しかも彼らは見栄えもしない容色に、学もなく、貴族的な礼儀もろくに知らない下賤者と妻をあざ笑った。その言葉には、以前貴族の娘と妻を比較してなぜだと聞いてきた同僚達とは違い、明らかに妻を貶める意図を持っていた。一度我慢できず手がでそうになった時、その気配を察した部下に羽交い絞めにされ事なきを得たが、以降くだらない用の客は部下の手によって門前払いされる事になった。また、当時の王も男が下手な有力貴族や豪族と結婚することで新しい派閥ができると面倒だと感じており、色々手を回して牽制をしてくれていたため、周囲は大人しくならざる得なかった。

 

 それでも男の精神的負荷が少し減った程度であったが、この当時は周りに恵まれていた事もあり、だましだまし軍人としてやってこれたのだった。


 その生活が崩れ始めたのは、それまで男を陰で支えてきた部下の息子のうち一人が名門の姫君に懸想した挙句誘拐騒ぎを起こしたため、部下が責任を取るために職を辞したことがきっかけだった。さらにその半年後には、王が急病で亡くなり、その側室の息子が次の王になったが、自身の弱い後ろ盾をなんとかするため自分の妹を男に押し付けようとした。

 味方が減り、再び騒がしくなってきた周りに男がついに我慢の限界が来そうになった時、さらにそれに追い打ちをかける出来事が起きた。買い物途中の妻が物取りを装った暴漢に襲われたのだ。

 その一報を聞き、男はすぐさま軍の力を使い、数日後に犯人を取り押さえた。妻を襲ったのは、依然助けた貴族の娘に横恋慕していた青年が仕向けた者だった。恋に狂った目をしたその愚か者は、彼女は男をいまだ愛しており、ならぬ想いに悲しんでいる。だから邪魔な妻を殺そうとしたと、臆面もなく言い放った。それ以外にも何か言っていた気がするが、気が付いたらそれ(・・)の首と胴が離れていたので、二度とそれを聞き出すことはできなかった。


 もう、我慢ができなかった。


 男は青年の処分を下の者達に命じた後、都のはずれで隠居生活を送っていた元部下の家へ行き、自分と妻に背格好の似た死体を用意してほしいと頼んだ。


 たとえ我慢できないからと、素直に辞めたいなどと言っても、男の存在はすでに国の要であり国家権力をつかってでも無理矢理引き留められる可能性が高い。自分ひとりなら逃げ出すこともできるが、妻の存在を質にとられては身動きが取れなくなってしまう。

 だから男は国から逃げるまでの時間稼ぎとして、自分たちを死んだことにしようとしたのだ。


 元部下は久しぶりに会う元上司に驚いたが、部下がやめてからの事情を聞くと、肩をすくめ「そりゃあ、仕方ないですね」と男の気持ちに同意し、願いを聞き入れるかわりにどうせ国をでるなら瑛に行って知り合いに手紙を届けて欲しいと頼まれ、男はそれに了承した。


 それから3日後、部下の調達した死体を秘密裡に家に運び込んだ。そして、いまだ意識が回復していない妻を背負い、家に火を放ち旋の都を後にした。

念のため、地の文で男の「部下」の呼称は壮年の男→部下→元部下です。また、この部下は老婆視点で一瞬出てきた部下と同一人物です。

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