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※残酷表現あり。苦手な方は戻ることをおすすめします。
麓にある村の廟で葬儀はひそやかに行われた。
夫の死をどこから聞きつけたのかを多くの人が参列した。いたわりの言葉をかける人、私のせいで死ぬことになったのだと罵倒する人、ただずっと泣いている人、様々な形でその死を悼み、そして去って行った。
葬儀も終わり、一旦山の庵に戻った時、夫の兄と名乗る人物がおつきの者を従えて訪ねてきた。
兄がいることは知っていたが、実家の事は全くと言っていいほど話さず、彼の幼い頃の話には世話をしてくれた老婆の事しか聞いた事がなかった。私を妻にした経緯からして、もともと実家との折り合いが悪かったことは容易に想像がつく。
今回の葬儀にしても、礼儀として夫の実家に亡くなった旨の書状を送りこそしたけれど、わざわざ他国にまで足を運んで来るとは露ほども思ってもいなかった。
驚きながらも来ていただいたことにたいする礼を述べ、廟に案内しようとした所、義兄はいきなり私が抱きかかえていた娘を奪う様に取り上げ、信じられない言葉を口にした。
弟の娘であるあの子を引き取りたい。金をやるから娘を手放せ。
一方的に自分の主張を押し付け、懐から巾着を出し中に入っていた銭をぶちまけるように私の方に投げつけた。
余りにも理不尽な言動に呆然としているうちに、義兄は背を向け村から出ていこうとした。我に返った私は、すぐさま追いすがり娘を奪い返そうとしたが、義兄の従者はその手を振り払い、反動で転んだ私に幾度も杖を振りおろした。
次に気が付いた時、私は左目の視力と左腕の感覚を失っていた。
最初それを知った時、目の前が真っ暗になったわ。体が動くならあの子をどんな手をつかっても取り戻して、二人で暮らせる。
でも、体もろくに動かせなくなった私ではたとえ取り戻せたとしても、養ってゆくことなどできやしない。よしんぼ育てることができたとしても、成長した子供にとってあとあと負担をかけるしかできなくなる。
いつも傍にいてくれた夫はもういない。守るべき子供は遠くに連れ去られてしまった。
色んな物を一気に失くしたことで、心が空っぽになった。村人達は好意で怪我が治るしばらくの間村で生活するように勧めてくれた。
そうして一月が経過した頃、夫の文官時代の友人である突昌≪とつしょう≫様が訪ねてきた。
夫の友人と名乗る人間はたくさんいるけれど、夫が友人と言っていた人はたった二人しか私は知らない。だから突昌様とは数回しか会った事がなかったけれど、顔を見てすぐ思い出せた。
彼は家の事情で夫の葬儀に間に合わなかったと、遅れたことをわびた。村の者から娘が連れ去られた事情を聞いていたらしく、随分と親身になってくれて、7歳になる病弱な娘の話し相手として屋敷に来ないかと誘ってくれた。
それまで相手をしてくれていた者が辞めたばかりで、新しく人を探していた所らしく、給金もはずむといわれた。
あまりの好条件に一瞬不安になったが、このまま生活を続けるわけにもいかないとは感じていたから、彼の好意の手を掴むことにした。
彼によく似た面差しの娘―突春≪とつしゅん≫―は本の好きな大人しい少女だった。
普段はまったくといっていいほど健康なのに、時折体に原因不明の激痛が走り、倒れたまま苦悶の悲鳴を上げるという発作を持っていた。私は長い時には一日中狂ったように悲鳴を上げ続け、助けてと泣き続ける苦しむ彼女を抱きしめた。そして、落ち着くと子守唄を歌い、疲れて眠るまで傍にいた。
その頃典では夏でも冬のように冷え込むという異常気象が続いていて、彼女が具合が悪くなる日は決まって寒い日だったから、きっとその気候の影響を強く受けていたんだと思う。突昌様もそれを考え、一度療養として南に連れて行こうとしたら、移動中に今までにない発作を起こし断念したらしい。
でも、発作の時以外では、一緒にお話したり、手の空いたときは片手で機織りをして織った布を商人に売り込んだりして、比較的穏やかな日々を過ごした。
6年も経つころには彼女の発作も少しずつ治まってきて、それにあわせるように私の心と体もゆっくりと癒されていった。
突昌様は無事元気に育った娘の為に、13歳の春に使用人も交えた宴会を開き、贈り物として白い子犬を与えた。動物が好きだったけれど、体の事もありあまり生き物には近寄らないようにと言われていた突春はとても喜び、それからはまるで姉のように子犬の世話をしていた。
尊敬できる主、優しい使用人たち、懐いてくれる主の娘、その娘の後を追う様にかけてくる子犬。
子供を失くした時には、二度と手に入らないと思っていた暖かな光景が、そこにはあった。
でも、そんな幸せな日々も突昌様を快く思わない人間が、国費流用の冤罪の罪を着せたことによって唐突に終わりを迎えたわ。
本当に、いきなりだった。
いつもの様に、突春と一緒に庭を散歩していた時、突然役人達が屋敷に押し入り、抵抗した使用人たちごと、突昌様を捕えた。
私は事態に気づくとすぐ突春の手を引き、屋敷の裏手口から逃げ出した。そして、突家と関係の深い商家にかくまって貰ったものの、その家の使用人に密告され居所がばれてしまった。なんとか囮になって突春だけ逃がすことは出来たものの、肩を切られ、ろくに手当もされないまま、牢の中に放り込まれた。
牢屋に入ってすぐ、突昌様が処刑されたと隣の部屋の囚人が教えてくれた。
突昌様の冤罪が晴れたのは、それから半月後。私が牢屋からでられたのはそれから更に半月たった後だった。
牢屋に迎えに来てくれた突春は、「ごめんなさい」と助けが遅れたことに関して何度も謝りながら事情を説明してくれた。
私と別れた後、偶然夫と突春様の既知の間柄であった園閣≪えんかく≫という人に保護され、その人が色々と手をまわしてこの事件の真相を暴いてくれたらしい。私を迎えに来るのが遅くなったのは、別れた後に切られた姿を見ていたので、死んだと勘違いしていたためだったとの事だった。
何はともあれ、無事再会できたことを喜び、私たちは屋敷に戻った。
突昌様の一族は冤罪の際に、ことごとく処刑され唯一残された突春が家を継ぐことになったのだが、まだ幼く女ということもあり、園閣様が成人になるまで後見しようという話が出ていた。
しかし、そんな周りの動きもよそに、突春は家の管理を任せ、武道を極めるためにとある山にある道場に入り武門の道を究めたいと言い出した。もちろん周りは止めたが、彼女の決意は固く、最後まで反対していた園閣様も最後には折れた。
そして旅立ちの準備を進める彼女見て、私は山の庵に戻る決心をした。
もともと突春の話し相手として屋敷にいたので、彼女が独り立ちするならば私はただのお荷物でしかない。体もある程度動くようになったし、今までの貯金と機織り生計をたてれば不自由しない程度には食べていける目途がついた以上世話になるわけにはいかない。
今までありがとう、と突春に感謝の意を伝えると、笑顔で送り出す約束をしてくれた。たまに遊びに行っていいのかと聞かれたので、私はもちろんと頷いた。
なのにその日から、春先だというのに季節外れの大雪が降り続き、しばらくの間王都から出られなくって困った記憶があるわ。
その後私が出ていくと知った使用人たちや園閣様からは、なぜか物凄い勢いで止められたし。突春が家を出たいと言った時よりも、周りの慌て様は酷かったかもしれない。
しかし、突春のとりなしもあり、毎月二回近況の手紙を突春に出すという条件付きで庵に戻ることを許された。特に手間がかかる事ではないので、条件に付いては問題がないのだが、その約束をした時に皆のぐったりとした姿が印象に残っている。
そして、雪が春の日差しに解けた頃、私は7年ぶりに山の庵に帰ってきた。
誰も使わなくなった庵は随分荒れ果てていると思っていたのに、ほとんど私の記憶のままの姿をとどめていた。どうやら村の人たちが、山に狩りに出る際に休憩所としてつかっていたらしい。多少いい気はしなかったものの、そのおかげで庵の状態が保たれていたので、良しとすることにした。
一人の生活だったけれど、突春はまめに顔をだしてくれたし、村の人たちも山に入った時に立ち寄って様子を見に来てくれたりしていたので、さびしくは無かった。
そして、どこから噂を聞きつけたのか、斥の港街で仲良くしていたいたあの子供が立派な青年になって訪ねてきた。
そう、再会して初めて気づいたのだけれど私はずっとあの子の事、女の子だと勘違いしていたのよ。だって、まさかあんなに綺麗な子が男のはずがないって思いこんでたの。成長した姿もほんとうに綺麗で、完成された「美」というのかしら、もう30歳を超えてるはずなのに肌もきめ細かくて、20歳位にしか見えないほど若々しくて、高い鼻梁に涼しげな目元の下にできたほくろが何ともあでやかな雰囲気を醸し出していたわ。
青年になったあの子は私の事情を村で聞いていたらしく、義兄に対しひどく憤って、娘を取り返そうといってくれたが、あの子と離れてからもう7年以上の歳月がたっており、今更のこのこと現れて母親面などできるわけがない。
でも、遠くから見るだけでもいい。成長したあの子の姿を一目見てみたい。
そうぽつりと漏らした言葉を青年は「では、行きましょう」と近所にでかけるような気軽さで、旋の国まで連れて行ってくれた。
夫と初めて出会ったあの街で、遠くから娘を見た。
あの子は義兄を父と呼び、義姉を母と呼びとても幸せそうに暮らしていた。
家の近くにある広場で友人と蹴鞠をして遊んでおり、親達の見守る中明るい笑い声を響かせて、鞠を追いかけていた。
もっと、その顔が見たくて隠れていた木陰から身をだしていたのが悪かったのかしらね、義兄は私に気が付くと誰だかすぐに分かったらしく嫌悪の表情を浮かべ、人を呼び私を痛めつけると街から引きずるようにして放り出された。
そして、気が付くと私は山の庵に戻って来ていた。青年は旋の街についてすぐ、気をきかせて少し離れた所にいたため事態に気が付かず、私を助けられなかった事に酷く悔いていた。
青年は私を手当てする傍らで、ずっと泣いており、まるでそれに呼応するかのように雨が連日のように降り続いたのを覚えているわ。
それから彼は泣き止んだ頃に、彼の家族が戻ってこない青年を心配してやってきて、彼は実家に戻ることになった。
別れ際に「いつか、また会いに来るから」と言っていたけれど、家人が私に向ける厳しい視線に多分彼と会うことは二度とないのだろうと思った。
それから更に時は流れ、私の元に成長した娘が夫となった人物と一緒に私の元を訪れた。
娘は捨てた事も同然な私の事を許してくれた。そして、一緒に暮らそうとまで言ってくれた。
娘の夫は、どこかのやんごとない家柄の人物らしく、優雅な立居振舞と教養ある話しぶりからそのことが伺えた。彼は娘を一途に愛しており、娘の為にもどうかと、生活の保障はすると頭をさげられたが、私はこの家を離れる気はなかったから首を縦に振ることはなかった。
だというのに、まさか娘の夫を良く思わない人物がいて、人質として無理矢理連れて行かれることになるなんて思ってもみなかったわ。
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こんなおばあちゃんの長話に付き合ってくれてありがとうね。
ん?なんでこんな話をしたのかって?
冥土に行く前に心の準備をしておきたかったの。
私の人生は後悔することもたくさんあったけど、悔いはないわ。
最近あの人の夢をよく見るの。
あの人は夢の中で、迎えにくるから待っててくれって、何度も何度も言うの。
だから私は、さんざん苦労させた仕返しに長生きして待たせようと思っていたのだけれど、それが娘たちの足かせになるくらいなら、少し早いけどあの人に会いに行こうと思うの。
高い所はあまり好きじゃないけれど、この際仕方ないわ。
さようなら
あら、何かしら……あれは…赤い…
鳥?
老婆の語りはここまでです。次回、旦那視点になります。