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お気に入りありがとうございます。

「次はどこの国に行く?」


 街を出て隣の街まで続く街道を歩いている最中、夫は手に持っていた地図を私に渡して意見を求めてきた。

 どうやら瑛を出る事を決めたものの、その時は行先を決めていなかったらしい。いつもは勝手に行先を決める夫が珍しく私に意見を求めてきたけれど、正直どこの国がいいかなんて地図を見ても私にはよくわからなかった。

 だから「とりあえず、この街道を真っ直ぐいってみましょう」と東を指さした。


 そうして海に行き当たるまで真っ直ぐ東に歩いて行き、東の国斥≪せき≫にたどり着いた。


 私たちが居を構えたのは、交易の為多くの人でにぎわう大きな港街で、そこで夫は造船の仕事についた。

 私も新しい仕事を探そうとしたのだけれど、夫は港街では荒っぽい人間が多いから、生活に慣れるまでは働くな。ときつく言い含められたので、仕方なく私はそれに従った。

 幸い私塾で稼いだ金額はかなりのものだったので、小さい庭付きの家を買っても当分の間、生活には困ることはなかった。

 その内、夫が現場の監督もまかされるようになると、私が働かなくても生活できるようになったのだが、反対に暇を持て余した私は、近所の女性に機織りを習ったり、畑を作ったりして時間をつぶしていた。この街では、龍と機織りの娘の恋物語の伝承が古くから伝わっており、古くから機織りが盛んな地域で、伝統工芸である機織りを学んでいる内に、内職として少しずつお金を稼ぐようになった。


 そうして半年たち、新しい生活にもようやく慣れてきた春、いつものように夫を送り出した後に、庭の畑の様子を見に行くと垣根代わりに植えてある木瓜の花の前で絵を描いている女の子たいたの。

 年の頃は12、3歳くらいでね、青みがかった黒髪に真っ白い肌が印象的なきれいな子だったわ。

 一体どこから入ったのかと思って、声をかけたのだけれどきこえてないのか、筆を動かす手を止めることもなく、全く私の事に気づいてないみたいだったの。どうしようかと困っていたら、一通り書き終わったのか、道具をしまうとふらふらと家から出て行った。

 そんな事があったと近所の人に話したら、少女は街の領主様の子供で、数年前親が目の前で野党に殺されて以来心を壊してしまったのだと教えてくれた。

 今は親戚の家で生活をさせてもらっているが、たまにふらりと家を出ては外で絵を描いたり、ぼんやりと海を眺めたりしており、街の人たちは少女を不憫に思い見かけても好きにさせているとのことだった。


 少女が次に庭先にやってきたのは、それから1か月後だった。夕飯の買い物に家に帰ってきたら、山にでも入っていたのか髪も服もぼろぼろな姿で、庭を歩いていたの。

 どこかで頭でも切ったのか、血が頬を伝って流れて落ちているのにぬぐう様子も見せずそのまま庭をつっきって出ていこうとしたから、慌てて少女の手を引いて家に招いて治療をした。

 その後少女の親戚の家まで届けて別れたのだけれど、それ以来よく少女は家に現れるようになった。

 

 とはいえ、少女は私が畑を耕す横で絵を描いているだけで、最初の内は会話なんてなかったけれど、根気よく話しかけている内に返事が返ってくるようになり、少しずつ仲良くなっていった。

 そして少女がやってくるのが日常になった頃、彼女は私にたくさんの絵をくれるようになった。

 木の絵、花の絵、船の絵、家の絵、山の絵、道の絵。

 そのどれにもあか色の衣装を着た一人の女性の後ろ姿が描かれていたの。誰なのか聞いても少女は絶対に教えてくれなかったのだけれど、後で少女の亡き母親があかい色の服を好んで着ていたというのを街の人から聞いて知った。

 母親が恋しいのだろう。そう思うと、年甲斐もなく涙があふれてきて少女を抱きしめて困らせた記憶がある。


 そんなこともあり、私は贈られたそれを大切に箱の中にしまっていた。

 なのに、夫が仕事に使った書類と一緒に燃やしてしまったことがあってね、その時は私もさすがに怒って、しばらくの間口を利かなかったわ。


 少女にも謝りたかったのだけれど、それから全く姿を見せなくなって、少女の家に行っても「不在」の一言ですれ違う日が続いていた。

 その上、半月後に街に巨大な台風が襲いかかり、町に甚大な被害を及ぼし、街の人総出で修復の手伝いに駆り出され、忙しくてそれどころではなくなってしまった。

 それから一ヶ月がたち、ようやく街の様子も以前と変わらない状態に戻り、久しぶりに家で休んでいると、一月半ぶりに少女が庭に姿を現した。

 絵の件を謝り、また台風で無事だったことに喜ぶ私とは対照的に、少女の表情は優れなかった。

 どうやら、遠くの親戚に養子として貰われることになったから、この街から引っ越さねばならなくなったらしい。


「遠く離れても、貴方の事だけは忘れません」


 初めに出会った頃とは違う、強い意志を秘めた言葉と共に少女は抱き着いてきた。まるで告白の様な台詞がくすぐったくて、小指を結んで私たちは再会の約束をした。

 それから、少女は新たな人生の為に街を出ってすぐ、私たちも街を引っ越すことになった。


「じめじめじめじめしたここには我慢できん」

  

 また夫の「我慢できない」が起きた事に加えて、丁度その時、夫が私塾時代に交流のあった人と再会したらしく、典の文官にならないかと誘われたとのことだった。その人は現在典の役人をしており、夫はその人の部下として仕える為、斥を出立し、典に向かった。


 典について、夫が初めにしたことは家の囲いの頑丈な、しっかりした家を買う事だった。王都ということもあり、防犯をしっかりした場所がいいと、随分と熱心に探していたわ。

 そうして買ったのは、門以外の場所からは決して誰も入れないような牢獄のような家。一体どうやってこんな物件を見つけてきたのか逆に感心した程よ。

 さすがに陰気くさいから、家だけでも明るくしようと壁の色を塗り替えたり屋根の改修をした。夫はよほどのことがないかぎり家に他人を入れるのを嫌がったので、それらすべてを自分の手でやらなければならなかったが、斥にいた際、造船や建築に関して夫がいろいろ教えてくれたおかげもあり、そこそこ良い出来に仕上がった。


 その間、文官として王宮に出仕していた夫は順調に出世をしていた。初めは適当に仕事をこなして、そこそこ稼げればいいと思っていたらしいが、仕事場でできた友人が名家の出で、いろいろやっかみを受ける立場であったらしく、友人の邪魔者を排除していたら自然と階位があがったとの事だった。途中でそれに気づいた友人に止めてくれと泣きつかれ、しぶしぶ制裁を止めたものの、そのままなし崩しに出世街道をのぼるはめになったとぼやいていた。

 そして、5年とたたずして文官としては2番目に偉い御史大夫≪ぎょしだいふ≫の地位にまでのぼりつめた。


 他人を入れたくないからと今の家を選んだ夫の意に反して、身分が上がるにつれて、家にはたくさんの贈り物と、人が訪れるようになった。

 そうなるとわずらわしい人間関係に夫の機嫌はますます悪くなり、「夫の今後を考えるなら離婚して欲しい」などと親切な助言をしにきた人間は、丁度家に帰ってきた夫の手によって投げ飛ばされる始末だった。

 あの人が地位、名声、金、忠義、義理などで動く立派な人間なら、私はとうの昔に捨てられていたし、もっと長く仕事を続けて定住で、国を渡り歩く必要なんてなかった。だから、周りの人たちが言う「すばらしい御史大夫」は私にとって夫とは全くの別人に等しかった。

 長いことそんな夫と付き合ってきたおかげで、多少の面倒な事は右から左に流せるようになっていたので、適度に相手をなだめてからお帰りいただいていた。

 それから数年間は毎日のように来るお客様に多少胃を痛めつつもそれなりの日々を過ごしていた。夫の友人のおかげで8年間無事に働いてくれていたので、友人が夭逝でもしないかぎりこの安定した生活が保障されるという安堵感がなによりも私の心を穏やかなものにしてくれた。

 できれば何事もなく、このまま一生穏やかにすごしたいという私の願いは、私が流行り病にかかり寝込むようになったことで一転した。


 病自体は2か月で治ったが、長い間の闘病生活と、その後遺症ですっかり体が弱ってしまい病気にかかりやすい体質になってしまったの。

 夫はそんな私を心配して、静かな田舎に引っ越そうと決めたらしい。相談もなく仕事を辞め、静かな山奥に庵を建てると、寝込んでいる私を連れて、ひっそりと都を出た。


 庵は典の王都から馬で北上して半月ほどかかる場所にある龍鳳山の中腹に建てられており、ふもとの村からも歩いて六刻かかるすごく不便な所で、田舎で暮らすというよりは辺境に隠居した気分だったわ。

 最初何の相談もなしに勝手に決めた夫に怒っていたのだけれど、ろくに動けなくなった私の介護と畑仕事、家事炊事となんでもこなし、毎日大変なはずなのに、そんなことを全く感じさせずに優しくいたわってくれる様子に段々申し訳なくなってきて、怒るより早く元気になることに集中することにした。

 それから3年後、一緒に畑仕事ができるまでに回復した時、嬉しい事が起きたの。


 そう、もう知っていると思うけどこの頃子供ができたのよ。


 結婚をして30年近くたっているにも関わらず、私たち夫婦の間には長いこと子供がいなかった。子供が産めない身体なのではと一時期は凄く悩んで、ほとんど諦めかけていたから、それを知った時は天にも昇る気持ちだった。

 高齢出産になるため、いろいろと不安もあったけれど、夫も医師の手配や妊娠中の食事などに気を配ってくれて協力してくれた。


 そして10か月後、無事可愛い娘が生まれた。


 夫にそっくりなたれ目ぎみの目に、リンゴのように赤い丸い頬、小さな紅葉の手、愛されるために生まれてきた大切な子供。

 嬉しくて、嬉しくて泣きながら新しい命を抱きしめている姿に、生まれたばかりの赤子より泣いてどうすると夫が呆れたように言っていたのを覚えている。

  

 そして出産後、無事体力も回復して動けるようになった私は、子供の為にも、村に下りて人の中で生活をしてはどうかと以前から考えていたことを夫に話をした。

 夫は最初渋っていたけれど、3ヶ月間説得を続けた結果、ようやく了承してくれたの。

 

 村へ降りるのを数日後控えた日、夫の知り合いと名乗る男性が庵を訪ねてきた。

 実は、山に居を構えた後も、どこからか噂を聞きつけた人や夫を慕う人が訪ねてくることはまれにあったので、来客自体は不思議に思わなかったのだけれど、ただその人が帰った後、夫は今まで見たことがないほど焦った顔で、すぐにここから離れようと言い出したの。

 いきなりの事に驚く私をよそに、部屋の荷物を纏めてくると隣の部屋入ろうとした夫の体が急に崩れ落ちるようにして倒れた。

 

 その日、夫は死んだ。

 死因は、心臓停止による急性死だった。

 

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