1 とある老婆の語り
私は四方を山で囲まれた旋という小さな国の片田舎で生まれた。
家族は父と母、兄が3人姉が1人弟が3人の大家族で、小さな田畑を耕し、細々としかしみんなで仲良く暮らしていた。
しかし私が13歳の頃、蝗害と不作が重なり、ただでさえ子供の多い一家の生活は厳しい状況に追い込まれた。
こういう時に真っ先にしわ寄せがくるのが、労働力にならない子供であり女だ。姉は数年前にすでに山の向こうの村に嫁に行っていたため、最初に家族から切り捨てられたのは私だった。
村にやってきた人買いは、私をみてからいくつか質問をした後、いくばくかの金子を家族に渡した。幾分か多く見積もってくれたらしく、嘆く母の背中に揺られていた何も知らない弟が滅多に見る事のない貨幣にこれで数日分はご飯をたべれると喜んでいたのを覚えている。
家族に見送られ生まれ育った村を離れ、馬車に乗って人買いと王都近くの街へ連れて行かれた。
私が売られる先の妓楼は遊女に対し良心的な店で、少なくとも奴隷のように扱われることはないと慰めにもならない台詞に心の中のすさんだ気持ちを押しこんで、そうですかと適当な相槌を打つ。良心的な店だろうが、どのみち体を売る事にはかわりない。この頃は性のなんたるかもあまりよくわかっていなかったけれど、女にとって怖いことだけは理解していた。そして、その運命から自分は逃れられないのだと諦めていた。
でも、私の思い描いていた『運命』はたった一人との出会いで、大きく変わったの。
長い道程の末、ようやく街に着き人買いと共に妓楼までの道を歩いていると、一人の青年が人買いを呼び止めた。青年はかなりのお金持ちらしく、今までの人生で見たことがない位仕立てのいい服を着ていた。人買いは青年の事を知っているらしく、腰の低い態度でどうしたのかと要件を伺う。しかし、彼は人買いを無視してその隣にいた私をを指さしこういった。
「それは、いくらだ?」
人買いは一瞬何を言われたのかわからなかったらしく、首をかしげたが、すぐに要領を得たとばかりにいやらしい笑みを浮かべた。
「この娘はこれから妓楼に売られる所で、買いたければその妓楼を教えましょう。いやしかし若様は色に興味ないとうかがっていましたが、こういうのが趣味だとは。遊女になるにしては年を食って見えるでしょうがこの娘はまだ13で…」
「今欲しい。いくらだ?」
矢継ぎ早にしゃべりだした人買いの言葉を遮るように青年は自分の意見を告げた。そのことに少し機嫌を損ねた顔をした人買いは、買い取るならばこの値段になると法外な金額を告げた。そんな値段は出せないだろうと、わざといじわるしたのだろう。
「わかった、やる。だからそれをよこせ」
でも、青年はそんなことを意にもかえさず懐から財布を取り出すと、人買いに渡し人身売買の証文を出すように言った。
人買は思いもかけず手に入った大金に、快く証文を見せると青年はそれを奪い取り買い取った旨を記載した。そして、話の流れについていけず茫然としていた私の手を取ると、青年はそのまま街の中心地にある大きなお屋敷に私を連れて行った。
その屋敷の中は、整えられた庭といい、ちり1つとしておちていない手入れのされた回廊、金でできた彫像などがそこかしこに無造作におかれ、かなりのお金持ちの家であることが伺えた。
ある一室の前で青年は立ち止まると、声もかけずに扉を開いた。そこには豪奢な服をきた二人の男女がお茶をており、いきなり現れた闖入者たちに驚いて茫然とした顔をしていた。
私もどうしていいのかわからず青年を見上げると、青年は私を二人の前に押し出してこう言った。
「これを妻にするから、もう家をでる」
後で教えてもらったのだけれど、この時いた二人の男女は青年の両親で、二十を過ぎたのに結婚もしない息子に嫁をもらえとうるさかったから、丁度目についた私を嫁として買いとる事にしたらしい。
青年の両親はもちろんどことも知れない小汚い娘の存在を認めなかったし、そんな事情も全く知らなかった私自身も事態に理解がおいついておらずただ突っ立っている事しかできなかった。でも、青年は認めなくてもいいからと、そのまま私を連れて家を、そして生まれた街を飛び出した。右も左もわからない私は、そのまま青年と離れることもできずについて行くこととなった。
それから次の街で簡単な手続きを行い夫婦となり、職を求めて王都へ向かった。
夫は少したれ目な所が柔和な印象を与える容姿をしているのに、その外見に比例して気性が激しいひとだった。何かあればすぐに「我慢できない」と仕事を辞めて、職を転々とする。
私は料亭の下働きから餅売りをしたり、内職をしたり毎日くたくたになるまで働いていたのだけれど、なかなか生活は楽にならなかった。
それでも私は幸せだったわ。
だって、帰る場所があるんだもの。
元の家族の元にはもう帰れないし、妓楼に売られていたら、器量よしでない以上よほど運がよくなければ身請けされることもない。そこで一生を終えることになっていたのは目に見えていたわ。
夫は短気な人だけれど、私に手を上げることなんて一度もなかった。それに私の好きな百合の花を贈ってくれたりと意外と優しいところもあったのよ。
そんな夫が私は好きだったから、たとえ生活が苦しくても何の問題もなかったの。
都で暮らして2年位たった頃かしら、用心棒としてある家に雇われていた夫の剣の腕が見込まれて、軍に入らないかと誘いがあった。
丁度その頃、隣国との戦争が激化していて、大量に募集していた事もあったので夫はすすめられるままに軍に入った。
それからいくつもの戦場で軍功を重ねて、階級がどんどん上がっていったわ。でも、私は珍しく夫にしては長続きしているな、位にしか思っていなかった。家は変わらず長屋の一室だったし、夫はお金の使い方がよくわからなかったから、必要な分以外は街の人たちに寄付していたのよ。
それを夫の部下に教えられ、家に帰った夫に問い詰めたら、長い沈黙の後各国で名の知れた“狼将軍”として知られたくなかった、俺の事をただの“――”として見てくれて欲しかった。なんて、言い出したの。
さんざん甲斐性無しな姿を見せておいて、今更何を言っているのかと笑ってしまったわ。しかもその時の夫の顔といったら、まるで変なものでも見たような顔してて、もう笑いが止まらなくなってしまって大変だった。
それからは、それまでの長屋を出て庭付きの家を買った。とはいえ、それほど広い家でもなく、夫が家に使用人を入れるのを嫌がったので、二人きりの生活は変わらなかった。。私は私で将軍に与えられる給料として、見たことがないほどのお金に気後れして、必要な分以外は以前夫がしていたように街に寄付をし続けたため、少し贅沢ができるようになったが、生活の質もこれと言って劇的な変化はおきていなかった。
そしてまた数年がたった頃、いつものように夕飯のしたくのため買い物に行った帰りに、物取りに襲われたの。通りががりの人が助けてくれて、何とか命だけは助かったのだけれど、熱を出して一週間以上意識不明になっていたらしいわ。
しかも意識が戻った時、王都の家じゃなくて少し離れた街にいたのよ。どうやら私が寝込んでいる間に都で大きな火事が起きて、家の近くにまで被害がおよんだから、物騒だからと引っ越すことにしたんですって。
でも夫は仕事があるはずだから、ほとぼりが冷めたらまた王都に戻るのかと思ったのだけれど、なぜか夫仕事はもうやめた。私の怪我が癒えたら3つ離れた国の瑛という国に行こうと言い出した。
「この国はもう我慢できん」
何が夫の気に障ったのかわからなかったけれど、夫の「我慢できない」は「絶対」で、この言葉が出たら何を言っても無駄だと長い生活でわかっていたので、私は大人しく出国の準備をすることになった。
いくばくかの金子と荷物を持ち、私たちは旋を出た。
旋から瑛に行くまでは、陵、丘の二国を通過する必要があり、私たちは隣国の境界にある関所をくぐってすぐ、関所近くを流れる川で双子の兄弟を拾った。
農民の恰好をしていたけれど、とてもそうとは思えない綺麗な顔立ちをした子たちで、縄で縛られたまま川に落とされていた所を、夫が川に飛び込み命を救ったの。
助けた後、どうするのかと聞いたら二人とも親に捨てられたらしく、行くあてがないというから何かの縁だと思って一緒に行こうと誘ったの。
子供たちは夫に凄く懐いていたのだけれど、私にはぜんぜんだったから夫に少し嫉妬してちょっとすねたりもしたわ。
それでも4人での旅はとても楽しかった。
ただ、人数が多くなったからお金を節約するために万寿華を炒ったものをおやつ代わりに作ったりして工夫を凝らした。
毒花ではないのかって?
万寿華は毒がある花だけど、水で何度かさらせば毒が抜けて食べられるようになるの。飢饉の際は腹もちのいい食料として重宝できたのよ。
そして、陵の国を横断し、丘にはいる関所まであと少しという時、子供たちが何も言わずとつぜん姿を消してしまったの。
私は慌てて双子の姿を探したわ。
二人とも木の上にいるのが好きな子供だったから、大きな木のあるところを探したり、街道沿いをあるいていた人に特徴を伝えてみていないか聞いたりした。
でも、彼らは見つからなかった。
その上、気が動転していたのか、私は旅の財布をどこかに無くしてしまっていた。財布は全て私がにぎっていたから、それが無くなったということは無一文になってしまったと一緒だった。でも、夫は許してくれて、一緒に子供たちを探すのを手伝ってくれた。
その内、夫は身なりのいい壮年の男性を連れて現れた。どうやら双子は名家の出身で、命を狙われ誘拐されたという。男性は双子の家に古くから仕える家の者で、一連のごたごたを解決したので双子を迎えに来たという事だった。
助けていただいたにも関わらず、何も言わずに申し訳ないと頭を下げられたが、もともとあの子達がいい家の子であると分かっていたので、なにごともなく無事に家に戻れたのなら、よかったと伝えると男性はもう一度深く頭を下げた。
そして、また私たちは2人になった。
瑛につくと夫は軍人とか戦はもうこりごりだと言って、今度はある家の家庭教師をし始めた。もともと、夫は学のある人で教え方も上手だったので、その家の子供は8歳の頃には『五選八徳』を習得した。
それから、家庭教師をしていた家の方の支援により、私塾を開くことになった。塾の料金は庶民に手が届くように安い価格で設定したため、私は内職をして生活費を補った。
瑛の国には、浄苑という役人を登用する為の試験制度-今でいう挙試があって、夫が教えた子供たちのほとんどが、一次試験を突破するだけの学力を身に着けた。そうして、優秀な教師が、格安で教えてくれる私塾の評判はあっという間に街に広がった。
子供たちは、素直で明るくて塾を出た後も、夫を慕って家によく訪れていたわ。
そうそう、教え子たちの中で、特に優秀な子がいてね。その子の祖父と夫がどういう経緯か友人になって、暇さえあればそのこの家にいっていたのだけれど、なぜかその子に勉強を教えることになって友人とろくに話せないとぼやいていたことがあったのよ。
こういっては、なんだけれど、私は夫は基本一人でも平気な人だと思っていたから友達の事ですねる夫がひどく可愛く思った記憶があるわ。
その内、夫の友人の方から家に毎日くるようになって、目に見えて夫の機嫌は良くなった。
夫の友人は、宋楽さんといういつも眠たそうな顔をしている将棋好きのおじいちゃんで、いつもお互いに何も言わずに庭で基盤を挟んでいた。基本短気な夫もおっとり屋の宋楽さんの組み合わせは見てて面白いものがあったわね。
でも、その宋楽さんも寿命で亡くなってしまったの。
彼の葬式の時、夫は彼の親族の方と何かお話してた。
そして、その日の夜の内に「我慢できないから、引っ越す」と言い出した。
多分、夫はすでに私塾に「我慢」できなかったけれど、宋楽さんがいたから続けていたのよね。でも、彼がいなくなった今、その必要が無くなった。
塾の生徒達や親たちはもちろん止めようとしたが、夫の意思を覆せるはずもなく私は再び旅立つ準備をすることとなった。