空を飛べたら
ギデオンとこんなに長い間離れ離れになったことははじめてのことだった。家がとなり同士で、生まれた時期も近く、初等学校から高等学校まで同じ学び舎で過ごした。ギデオンは彼の祖父と同じ大工になり、わたし――カレンは町の小さな洋裁店で働いた。
わたしたちは性別こそ違っていたけれど、とてもよく似ていて、いつも同じことで笑うことができた。幼い頃は町のすぐ傍にある丘を駆け回り、少し成長してからはその丘をゆっくりと散歩して過ごすようになった。天気が悪い日はどちらかの家で、彼は木彫りのおもちゃを作り、わたしは自分のものや彼のものを繕ったりした。
丘を町に向かって駆け下りると、このまま脚が地面を離れて空を飛べるのではないかと幼い頃はよく空想したものだ。今、わたしの足元のある丘の、自然そのままの草たちはそうはさせまいと言うようにわたしの脚を地面に縫い付けているようだった。
空は分厚い雲で覆われ、今にも雨が振りそうだった。ギデオンと離れて過ごすのに、今までで一番長かったのはどのくらいだっただろう? 彼が祖父に弟子入りしてすぐ、となりの町の教会を直しに行くのについて行った時だっただろうか? あれは確か、五日間ほどだった。それまではほとんど毎日顔を合わせていたから、とてもさみしくて……涙が止まらない夜もあった。
「いい経験だったよ」
戻ってきた彼は、わたしのさみしさの半分ほどもさみしいなんて思わなかったのだろう。やわらかく微笑んで祖父とこなした仕事について楽しそうに話してくれた。
「じいさんの昔からの知り合いが大勢いたけど、筋がいいってほめられたよ。早く一人前になれるよう、がんばらないとな」
「一人前になったら、町を出て行くの?」
「どうして?」
「だって、となりの町の方が大きいから、仕事もたくさんあるんじゃない?」
「そうだけど、俺はこの町で働くよ。カレンはこの町が好きだろう?」
「好きだけど……」
「一人前になったら、この町に家を建てるんだ。俺たちで考えた家をさ」
それが彼なりのプロポーズだったと気づいたのは、やっぱり五日くらいたった後だった。わかりにくいことに散々文句を言うと、彼はこの丘で改めて「結婚しよう」と言ってくれた。照れくさそうな顔。でも、今まで見た中で一番好きな彼の笑顔だった。
雨がぽつりぽつりと空からこぼれ、丘を濡らしていく。町の方から誰かが丘をのぼってくるのが見えた。ポールだ。父の仕事仲間で、しばらく前からこの町に滞在している。ギデオンも彼に懐いていた。彼は一人っ子だったから、ポールのことを兄のように思っていたのだろう。
体の大きな彼は、さしている傘を小さく見せていた。履いている長靴には泥がこびりついている。今日も川に行っていたのだろうか? あの大雨の時よりは落ち着いただろうけれど、まだ危ないのではないだろうか? もし少しでも危険が減っているのなら、わたしも川を見に行きたかった。
「ここにいると思ったんだ。親父さんが心配していたぞ」
持っていた傘を彼が差し出したけれど、わたしはそれを受け取らなかった。着ている黒いワンピースが、水を吸っていっそう色を濃くしていく。「風邪を引くぞ」と言われたけれど、それにも小さく首を振って答えた。
この丘を駆け下りたら、そのままの勢いで空を飛べないだろうか? 子どもの頃に何度も夢想したことが、今また脳裏に過っている。そしてわたしは思いに背中を押されるまま、ポールの横を通り過ぎて丘を駆け下りた。
何もかも、背中の向こうに飛んでいく。雨粒も、足元の草から跳ね返った水滴も、何もかも……。このまま空を飛べたら、ギデオンの元に行けないだろうか。彼とこんなに長い時間離れ離れになるのは、これがはじめてだった。彼はもう戻らない。もう、二度と。




