自分の娘から真実の愛なんて言葉を聞きたくなかった
ふわふわふるる、なーろっぱ。
これは自論だが、真実の愛を声高に主張する者は八割程が、自己陶酔型かつ自己中心的な人間だ。
「私達は真実の愛を見つけたのです。
どうか、陛下。私がリリアーナ殿下の王配となり、女王となる彼女を支えることをお許しください」
国の統治者になって十五年。
どれだけ努力しようとも、世の中にはままならないことが多いものだと私は溜息を落とし、けれど側に控えた王配のステファンが咳払いをしたことで背筋を正した。
女王としての威厳は大事。
隙を見せれば付け込まれる。ここは野心に溢れた魔物の棲み処で、仕事と生活の場所なのだから。
今いる場所は謁見の間だ。
公休日を除いて朝と昼に一回ずつ、三十分から一時間程度で公務の進捗確認を行っている。
そこにやってきたのが、アポ無しどころか業務妨害となる二人組だ。
目の前にいるのは二人の娘と、そして片方の婚約者。
王太女であるイオアナ第一王女、リリアーナ第二王女、そしてイオアナの婚約者であるはずのミハイル・トゥドレスク公爵令息。
イオアナは進捗確認に毎回参加しているので、空気を読まない真実の愛は後の二人だ。
ミハイルがリリアーナの肩を抱いて現れた時点で色々お察しだったが、わざわざ仕事中に押しかけてまで言うことなのかとツッコミたい。
「唐突に姿を見せ、何を言いだすかと思えば。
それで?そなたはイオアナとの婚約を解消し、リリアーナと婚約を結びたいということだな?」
問えば、真っ直ぐな目で頷かれる。
事情を知らない人間が舞台で見れば、都で流行っている恋物語の主人公だと思える態度だ。
実際は都合の良い言葉で不貞を誤魔化している、ゆるふわ脳みその持ち主だが。
自然な仕草で扇を広げ口元を隠しながら、ステファンを呼んで耳打ちした。
「こいつ、もしかしなくても見込み違いの馬鹿だったか」
「身分と血筋と学業の成績は良かったはずですが。
リリアーナとの恋で浮かれてしまっているのかもしれないですね」
こちらの声は聞こえていないからか、きっとどうするか相談を始めたとでも思ったのだろう。
ミハイルが一歩踏み出して口を開く。
近寄ることを許してもいないのに不敬。
「リリアーナ殿下は常に民のことを考え、炊き出しの回数を増やす提案されたりと、貧しき民を気遣われる優しさをお持ちです。
危険を顧みずに街へも出かけており、民の生活を体験しております。
それに引き替えイオアナ殿下は書類ばかりに目を通し、何を言っても稟議書の提出や予算算出の提案をと言い返してくるばかり。
今まさに貧しき民が亡くなろうとしているのに、部屋に引き籠っているばかりのイオアナ殿下には何も見えていないのです」
王太女が執務室で公務をする。ごく当然のことなんだが。
そして定められた予算をいかにやり繰りして最善の治政を敷くか。これだって当然のことなんだが。
綺麗事さえ言っておけば、無尽蔵に金が出てくると思っているのだったら始末が悪い。
「それに日々、執務室で書類の処理に追われるだけの有様で、王としての器が足りない様子。
あまつさえ、自分だけでは処理しきれないからと私に押し付けようとする始末で、それをリリアーナ殿下が諫めてくださらなければ、王太女と思えぬ暴挙がまかり通っていたでしょう」
今の口ぶりだとリリアーナに声をかけられては、イオアナの手伝いもせずにリリアーナと過ごしていたと自ら言ってるようなものだ。
不貞を美談に持っていけるまでの手腕があれば、まだ見込みがあったものを。こいつは駄目だ。
「それにリリアーナ殿下は気さくに使用人に話しかけ、常に笑顔でいらっしゃるが、イオアナ殿下といえば表情を変えることなく、まるで氷の彫刻のよう。
しかも王家の特徴である金の髪も青の瞳すら持ち合わせておらず、これでは臣下も民も殿下を慕うことなどないでしょう」
イオアナは確かに王家の色を受け継いでいないが、容貌は私によく似ているし、色はステファンの色を引き継いで淡い栗色の髪と翠の瞳で、この組み合わせは国民の大半が持つ色だからか親近感を持たれやすい。
リリアーナは指摘されたように金髪碧眼であるが、王家の黄金より淡い色味で、瞳も海の色と呼ばれる青ではなく空色だ。
これは侯爵家より嫁いできた私の母似であって、王家の持つロイヤルカラーではない。色の判別もつかずに何でもかんでも一緒にするあたりで、美術に対する造詣も浅いのだろうと想像もつく。
大体イオアナが王家の色とは異なると宣うが、五代前に国民からの支持が圧倒的だった女王が栗色の髪と新緑の瞳だったというのに、目の前で選民意識バリバリな発言をしているのは頭が悪過ぎる。
さては歴史の試験は暗記派だな?試験が終われば忘れるクチだな?
よーし、こいつには後で不敬罪も追加しておこう。
「随分と自信ありげに言うが、リリアーナには王太女教育をさせておらぬのに、それでも女王になれると?」
「リリアーナ殿下であれば、聖女のようなお心だけで女王の務めを果たされるでしょう!
殿下の足りないところは私が支えます!」
アホか。お気持ちだけで女王になれるなら、誰だって資格があるわ。
回すのは政治。清濁併せ吞む汚いお仕事をするのに、清らかな聖女の心なんて必要あるか。
清らかな心が良いならば、二人揃って神殿にでも帰属してこい。
どうしてこの手の輩は、少しくらい乗り気になるようなプレゼンを用意できないのか。
次回からは王配候補の選抜基準を見直したほうがいいな。内面まで確認する、身分の上下を問わない評価制度にしよう。
「お母様、ミハイル様と民を想う気持ちは誰にも負けないつもりです!
どうか、リリーとミハイル様の真実の愛をお認めになって、私達の婚約を許してください!」
すっかりおだて上げられて、リリアーナも女王になるつもりでいるらしい。
先ずは幼い子どもみたいに一人称を「リリー」なのを直せ、恥ずかしい。
リリアーナの教育係って誰だっただろうかと考えたが、イオアナと同じ教師だったことを思い出し、個人のスペックの問題かと内心で溜息をつく。
リリアーナについては降嫁先を決めるにあたり調査も行っていたところで、今日にも総評価を聞くつもりだったのだが、その前に残念な結果だったことを知ることになるとは。
王太女にするわけでもなかったからせめて王女らしくと教育を施してもらったつもりだったし、頭が綿菓子みたいになっているので国外に出せないと中間報告がきたので、それを含めて引き取ってくれる家も見つけていたのに。
そもそもの話だが、ミハイルと民を並べてミハイルが最初にきている時点で、女王に向いていない。
王が最初に口にすべきなのは民なのだから。
顔を洗って出直してこいという言葉は喉の奥で押し留めたけれど、横にいるステファンが不安そうな顔で私と娘たちを見比べていた。
まあ、気持ちはわかる。
あまり育児には関われなかったが、それでも血の繋がった娘なのだ。心配であろう。
そこに調子に乗ったのか、満面の笑みのミハイルが更に一歩踏み出してきた。
同時に近衛も一歩前に出たが気にしていない。その図太さをもっと他に活かしてほしかった。
「陛下。恐れながら、平民の血が濃い者が上に立つのは誰もが不安になりましょう。
そんな貴族の、いや国中の民の不安を払拭するために、リリアーナ殿下と次いで高貴な身の私が立ち上がったのです。
どうかイオアナ殿下を選んだ間違いをお認めになり、リリアーナ殿下との婚約をお認めください」
目の前のポンコツを見つめること数秒。
こいつは人の王配を、私のステファンを見下した挙句に、女王である私の判断が間違っていると言ったな?言ったよな?
決めたわ、こいつは徹底的に潰そう。
公爵夫人が泣いてヒステリーを起こさない範囲で潰そう。あの人が泣くとしつこくて嫌なんだ。
もれなく娘も一緒に片付けることになるが、現実を突きつけるいい機会だと思えば特に問題ない。
一応可愛い娘かもしれないリリアーナの人生を棒に振ることになるが、真実の愛とか言い出した時点でどうしようもなかったのだ。
我らは王家、諦めろ。
「イオアナ、お前はどうしたい?」
真実の愛が囀り始めてから全く口を開かなかったイオアナへと視線を向ければ、氷のようと言われた表情に僅かな笑みだけ刷いて答えた。
「陛下、トゥドレスク公爵令息に私は相応しくないと存じます」
「……他に当てはあるか?」
「立場を問わずに頂けるのでしたら、推薦したい方が一人」
ならば問題無いなと答えれば、婚約の解消が確定したのだということだけ理解したのか、リリアーナとミハイルが目を輝かせて手を取り合った。
この能天気共が。
まだ何も言っていないというのに勝手に都合のいい方に解釈して、ほんと駄目。てんで駄目。
「イオアナがそう言うのであれば、婚約は解消で構わん。
後程、新しい婚約者候補の調書を提出するように」
承知しました、と頭を下げたイオアナに不満気な様子はない。
大方、婚約者と妹の関係になどとっくに気づいており、こうなることを予想して準備していたのだろう。
想定外だったのは、婚約解消を口に出すタイミングが早かったということか。
「確認するが、トゥドレスク公爵令息。イオアナとの婚約は王命であった。
二人の望みは王命を反故にする大それた申し出だ。
ここでリリアーナとの婚約を認めた場合、例え何があろうとも今度は婚約の解消を許さぬし、婚姻後の離婚も認めぬ。
死が別つまで添い遂げ、それを破った場合には王家への反意があると見て、リリアーナ個人とミハイル、及び公爵家に相応の罰が与えられるものとする。
それでもここでの言葉を間違いとせず、己の気持ちを優先するのか?」
「私と、私の愛は全てリリアーナ殿下に捧げる所存です」
「ならば、これ以上言うことはない」
私の意図を読んだステファンが近くの文官に書類を一式用意することと、トゥドレスク公爵を召喚するよう言い付ける。
頭を下げた文官が急ぎ足で謁見の間を出て行った。
ステファンが文官を追うように部屋を出て行ったのを確認して、三人へと向き直る。
「互いの気持ちが決まっており、公の場で口にしたのならばどうしようもない。
リリアーナへの懸想を口にした時点で、イオアナと心を通わせることは難しいだろう。
何より、実際の有無はどうであれ、婚約解消以前から人の目を盗んで関わりがあったのならば、既成事実も疑わねばならん」
そのようなことは、と顔を赤くして抗議の声を上げるミハイルを無視する。
あろうとなかろうと、隠れて二人で過ごしていた時間があるのは事実。
どうしたってトゥドレスク公爵令息が責任を取るのは時間の問題であったし、イオアナが何かしらの証拠を持参している場合は、有責によっての婚約破棄と慰謝料の請求、王命を反故にしたことによる相応の罰となっていたはずだ。
まだ提出されていないからセーフなだけである。
もしかしてイオアナはその辺りを配慮して手元に留めたのだろうか。
だとしたら公爵家には多大な恩が売れるだろう。彼女が女王になるにあたって、先行きの良い話ではある。
「書類上の手続きはすぐ後となるが、今この時点でイオアナとトゥドレスク公爵令息の婚約は解消となり、新たにリリアーナとの婚約を命ずる。
これは王命とし、先程も言ったように生涯添い遂げることとして、以降は婚約解消と離婚を一切認めない。
破られた場合、リリアーナは王家から籍を抜き、ミハイル・トゥドレスク公爵令息からは個人資産の全てを慰謝料に充て、公爵家は一つ下へと降爵とする」
いくら親戚関係とはいえこちらは王家であり、そして相手は公爵家。
臣下がわきまえないならば相応の罰が与えられるのが当然のこと。
まあ、その意味もわからずに首を縦に振るだけの者など、イオアナは必要としていない。
既に私の気持ちは新しい婚約者の為人がどうなのかに移っているが、この場の責任者として全てを終わらせる義務はある。
こちらが準備を進めている間にも、婚約が決定した二人がイオアナに謝っている。
私がミハイル様に愛されたせいでお姉さまが可哀そうとか、貴女が私を想う気持ちに応えられず申し訳ないとか、あの二人は一体何様なのだろうか。
私の若かりし頃にも公の場で婚約解消する、頭も身持ちも悪い令息や令嬢がいたものだが、自分が悪いのだと口にする割には上から目線のマウントを取らなければ気が済まなくて、周囲の常識的な貴族達からは冷ややかな視線を向けられていたものだ。
いつの世も変わらないらしい。
そんな二人に対応していたイオアナも面倒になってきたのか、お気になさらずの一辺倒で目も合わせなくなっている。
最終的には真摯な謝罪もなく、真実の愛をひけらかしての茶番劇に付き合う必要がないと判断したらしく、近くにいた従者に処理中だった案件の相談を始めていた。
イオアナにも相手にされなくなった二人は、今度はどのような国にしていくかという壮大な未来予想図を口にし始めているのが実に滑稽だ。
内容は荒唐無稽。それなのに相手への賛美が小刻みに挟まれる。
かと思えば、結婚式のドレスは地味なお姉様より豪華なものが似合うはずとか言い出して、民のことを想っているはずの口が予算を積み上げてくる始末。
確かにリリアーナは美しい。かつて社交界を騒がせて王の心を射止めた、母に似た彼女の容貌は麗しいと評判だった。
しかしイオアナは私似であり、目の前の二人はイオアナを通して女王である私を貶めているのに気づいていない。
こういうのを何と言ったか。
無神経。空気が読めない。場が読めない。察することができない。状況理解が乏しい。頭はいいけど頭が悪い。
つまりは周囲へと気を配ることができない人間だということで。
女王と王配なんて無理だわ。全然駄目だったわ。
安易に婚約解消をする者達を、頭がお花畑なのだと称した者がいたので上手いこと言ったものだと感心していたが、まさか自分の娘がそうなるとは。
どこで育て方を間違えたのだろうか。それとも生まれた時からの気質だろうか。
そう考えている間に、数枚の書類を抱えた文官が戻ってきた。
すぐに簡易の書きもの台が調えられ、ペンが人数分揃えられる。
そして護衛騎士を複数人携え、ステファンが重々しい表情で小箱を手に戻ってきた。
あの大事そうに抱えられた、箱の中は王印だ。
本来ならば本人達が署名したら余程のことがない限り、王印の処理は王の執務室で行うことにしている。
盗難のリスクを避けるためだ。
今回のことは後回しにできないと判断したのを察してくれたのは、さすが長年の王配である。
最初に書きもの台に並べられたのは婚約解消の合意書。
婚約を結んだときは子どもであったことから親の署名で締結されたが、既に両名ともに成人しているので、この場にいる者の署名で書類は正式なものだと認められるのだ。
婚約者ミハイルが勢いよく名を書き、無言のままにイオアナが名前を追加する。
続けてリリアーナとミハイルの婚約誓約書だ。
二人は目を合わせると照れながら、仲良く一緒に書き始める。
これが二人の初めての共同作業って、言っていて恥ずかしくないのか。
あの娘は王女としての公務をどうしていたのか。
報告では恙無く公務を行っていたと聞いていたけど、周囲が優秀で支えてくれていたのか、何も考えずに名前だけ書き込んでいたのが今までバレなかっただけか。
何もしていないようだったら、リリアーナ付きにしていた文官達に特別手当を検討しなければ。
そう思っていたら、ステファンが断りを入れると、第二王女の公務報告をしていた文官を隅へと連れて行く。
いつものことながら察しが良くて本当に助かるわ。
王配はあらゆる分野で優秀であるのは当然として、女王をサポートするのに察しの良さが強く求められる。
ただただ学業の成績や外見が良ければいいという話ではない。
そういった意味でステファンは完璧だ。
書類の内容を確認した文官が問題無いと判断し、盆に載せて運んできたのを今度は私が確認する。
ちゃんと私の言った公爵家への罰も記載されているのはさすがだ。
本当は公爵家に確認してから記載するべきだろうが、不良物件を抱えているのはお互いさまとはいえ、自分の家の息子が王家の者に対して不貞を働いた上に、自分勝手に婚約解消を声高に要求してくるのだから諦めてもらいたい。
王家としても舐められるわけにいかないのだ。
どちらの書類にも押印し、そして署名は不要な書類が私の手の中に残された。
後は女王として対処するのみだ。
「お母様、ミハイル様との真実の愛を認めてくれてありがとうございます!
リリーは誰よりも幸せな女王になって、ミハイル様と立派な国を築きます!」
両手を胸の前で重ね、歓喜の顔で声を上げるリリアーナに対して無表情になるのは、痛々しくて無を保つのに精一杯だったから。
リリアーナの隣に立つイオアナが同じ無表情なのは、同じような理由なのかと思ったけれど、微妙に唇の端が上がっている。
あちらは痛々しいという気持ちよりも面白いものを見たといった感情なのかもしれない。
だとしたら随分と肝が据わっているし腹黒い。女王として頼もしい限りだ。
「リリアーナ、お前が何を言っているのかわからないのだが」
そう返すと、きょとんとした顔でリリアーナが私を見る。
「え、でも、ミハイル様が私の婚約者なのだから、私が女王になるのですよね?」
「戯言は程々にするがよい」
私が立ち上がれば、文官達が部屋の端へと控え、代わりに近衛騎士が前へと進み出た。
「いつ、トゥドレスク公爵令息を王配にした者が女王になると言った?」
そう言っても、明るい未来を描くのに夢中だった二人は理解できずに、手を取り合ったまま私を見ている。
「お前には王太女としての教育を受けさせておらぬ。それが答えだ。
次期女王はイオアナであり、イオアナの選んだ者が王配となる」
顔色の悪くなっていくミハイル。どうやら、自分の置かれた境遇を僅かながらに理解したらしい。
真実の愛の相手は全く気付いていないようだが。
「なぜですか!血筋だけでなく学園での成績も優秀であった私こそ王配に相応しいですし、私が選んだ相手こそが女王ではないのですか!
第一、イオアナ殿下は公務を満足にこなせておりません」
「優秀だと自負が高いのは結構だが、イオアナが公務をこなしている間、お前は何をしていたのだ?」
途端に黙り込むミハイル。黙っていれば状況が好転するわけでもあるまいし、お前は三歳児か。
「イオアナに与えられた公務は、王配予定であったミハイルが共に行うことを前提で割り振られている。
公務が始まった年に参内したとき、その旨を説明したし、そのために王配用の控室も用意したはずだが?」
「私は与えられた仕事はちゃんとしていました!婚約者として登城するようになってからずっと、変わらず同じだけの仕事をこなしています。
けれどイオアナ殿下は持ち分が多いからと、私の公務を勝手に増やそうとしていたのです」
私は鼻で笑う。
「当たり前だ。公務は年々増やしている。ゆえに王配に回される業務が増えるのも当然のこと。
なぜ最初に与えられたものが全てだと思うのだ。
そもそも、イオアナをサポートするのは王配となる婚約者として当然のこと。それなのに次期女王となるイオアナからの指示に逆らうとはどういうことか。
イオアナのサポートすら満足にできず、王太女教育を受けていないリリアーナをどうサポートできるというつもりだ」
イオアナ、と声をかければ、すぐに言いたいことがわかったらしいイオアナが従者から手渡された資料を開く。
「トゥドレスク公爵令息は何度説明しても納得せず、都合の良い解釈をしてはリリアーナと立ち去るため、こればかりに時間を割くと業務に障ることから保留としておりました。
証拠もない状況で陛下に報告もできませんので、記録官に頼み、トゥドレスク公爵令息の発言と実際の業務量を記録してもらっております。
ある程度準備も整ってきましたので、そろそろ婚約解消を提案しようと持参していたところでした」
薄い書類がイオアナから文官に渡り、私に提出される。
必要な事が簡潔に書かれた、読みやすい報告書だ。
なんで、と呟くミハイルに、イオアナからは呆れた視線が向けられる。
「なんで、と言われましても。
毎回毎回申し上げておりましたのに、何も聞いていませんのね。
私の公務のサポートは婚約者であったトゥドレスク公爵令息の仕事である、と。何度言えば理解できるのですか。
それを聞きもせずに、子どもでもできる『お手伝い』を朝一番に済ませたら、仕事は終わったとばかりに迎えに来たリリアーナの部屋に向かう毎日。
どうして仕事を放棄して婚約者を蔑ろにする相手を、私が王配にしたいと思うのですか」
「でも」と「だって」を繰り返すトゥドレスク公爵令息の言葉は、上手く言葉で表現できずに尻すぼみになる子どものよう。
「でも、リリーは民のことをちゃんと見ています!
コッソリ出かけたのは駄目かもしれないけど、国を想ってのことなんです!」
ミハイルの横でリリアーナも声高らかに主張するが、これも鼻で笑って一蹴案件だ。
「民の生活を体験と言ったが、それは街での買い物を楽しんで、貴族向けの流行りのカフェに行くことか?
お前は平民が手を出すことのできない高価な菓子を食べることで、民の何を知った?
それらしいことを言うために、お前の貧弱な頭で絞り出せたのが炊き出し程度なのは、誰でもすぐに気がつくわ」
こちらで調査させていた報告書にもその辺りは記載されている。
上手いこと周囲の目を誤魔化して、二人でデートを楽しんでいたつもりだろうが、面倒なのと不貞の事実確認にと見えない場所に護衛騎士を配置して泳がせていただけだ。
「先月はカプサスのペストリー、先々月はアガプティアスのシャルロットケーキか。
お忍びと称して姉の婚約者と遊び惚けているのは、以前から耳に入っておるわ。この愚か者め」
とうとう口をパクパクさせるだけになった二人は、浜へと打ち上げられた魚のよう。実物を見たことはないけれど。
「民のことをと言うが、無断外出の建前に使っているお前たちと違い、イオアナは民を見ている。
きちんと要望書を出し、公式な視察としてな。
新しい国営病院の記念式典に、国境騎士団への慰問。他都市の貧民街に行くと言い出した時には頭を抱えたがな」
陛下にそっくりですよ、というステファンの呟きは聞こえなかったフリをする。
何を言う。私は堂々と申請などせず、コッソリと出かけて大目玉を食らった側だ。
開き直り過ぎな態度のイオアナとは一緒にはされたくない。
「もうよい。お前たちの言い分を聞いていると、こちらの頭まで花畑が広がりそうだ」
まだ言い募ろうとする二人を、手で払う仕草をして黙らせる。
「既に処分は決めておる。
リリアーナ、お前は成人を迎えたらすぐに臣籍降下させる。
王領の一部とドラグニア伯爵の名を貸し与えるので、二人で支え合い、領地の繁栄に励むとよい。
ドラグニア伯爵になると同時に王位継承権は剥奪とする。同時にミハイル・トゥドレスク公爵令息の王位継承権も剥奪となる。
また、二人への援助は公爵家が行うとし、王家からは政務官を向かわせるも、一切の金銭や物資の援助は行わない。
念のためとして、イオアナの女王就任前後は王都に滞在することを禁止する」
二人の顔が希望から呆然としたものに移り変わり、そして絶望と怒りに満ちていく。
既に真後ろでスタンバイしている近衛騎士に気づかない程、自分のことで一杯な様子だった。
唐突にリリアーナがミハイルの手を払った。
「伯爵なんてお金がなくて嫌よっ!
私は王女なのに!領地経営なんて難しいこともできないのに!
それだったらミハイル様と結婚できなくていいです!」
おっと、早々に真実の愛が崩れたか。我が娘ながら掌返しが酷いな。
手を振り払われたミハイルが呆然としているぞ。
「女王になれないなら、ミハイル様はお姉様に返してあげます!
だから私はもっと立派な家にお嫁に出してください!」
「既に王命は成った。もし破るというならば、リリアーナ、お前は王家から籍すらも抜く。
その意味はわかるな?ドラグニア伯爵が嫌ならば平民になるしかない」
わからない、とは言わせない。
我儘も言わせない。
私達は王家で、私は女王だ。
その采配に一つでも不正や甘えは許されない。
「リリアーナ、お前が姉の婚約者を奪わずにいたならば、身の丈に合った降嫁先を用意していただろうに」
血筋だけをメリットに引き受ける裕福な家であれば、侯爵だろうと伯爵だろうとリリアーナをお姫様扱いして上手に掌で転がしてくれただろう。
それを捨てたのは、他でもないリリアーナ自身だ。
「成人するまではリリアーナの個人資産の一部を民生予算へと回し、民への炊き出しを増やすこととする。
同様にトゥドレスク公爵令息の個人資産でも行うよう、公爵家に通達せよ。
お前達の民を想う気持ちを汲み取ったこと、感謝するといい」
ただ泣き叫ぶリリアーナと、燃え尽きたように座り込んだミハイル。
近衛騎士に自室と客間に下がらせるように指示を出せば、手慣れた様子で二人を引き摺って行った。
残されたイオアナは少し疲れた顔で彼らを見送り、ステファンを見てから笑顔になる。
「私はステファン王配殿下の色を頂けたことに、誇りを持っています。
この色は国の大半を占める、我が民の色なのですから」
ステファンが目頭を押さえる。
毎度ながら涙腺の緩い男だと、私は笑った。
* * *
「私が王家どころか貴族の血すらないことから、このようなことになり申し訳ありません」
夜、寝室で二人だけになれば、ステファンが頭を下げた。
テーブルを挟んで向かい合うステファンは、ソファの上ですら姿勢がいい。
「何を言う。ステファンが良いと言ったのは私だ。
ミハイルがああだったのは本人と公爵家による躾の問題であるし、リリアーナについては私の母に似ているし、母もあんな風な方だったから持って生まれた気質もある。
あれは育て方を間違えた。ステファンだけではなく二人の責任だ」
私の言葉にそれでも曖昧に笑うステファンは、今でも王配として自信が無いままだ。
一部の貴族を除けば、城の働く者達は尽くす側の人間として弁えた姿勢を尊敬していたし、国民からは王配となった成功者として憧れの目でも見られている。
もう少し遠慮の無い生活を送ってほしいと思うのは、連れてきた側のエゴだ。
「私の寵愛アピールが足りなかったか……」
「いえ、十分にして頂いています」
照れた様子で答えて、それから少しだけ考える素振りを見せたステファンが顔を上げる。
「隣に座っても?」
勿論だと返せば、躊躇いながらも私の隣に座った。
王配を貴族の中から選べば、自信を持ち、当たり前のように最初から私の隣に座って、酒杯を交わしているのは想像に難しくない。
けれど、私はこんなステファンだからこそ選んだのだ。
私が王太女に決まった時、王配候補は誰もが血筋ばかり誇らしげに語るばかりの、成績と見た目はいいだけで、言ってみればミハイル以下の貴族令息ばかりだった。
いかに自分がデキる男なのか喋り続け、贈られてくるプレゼントのセンスはいいものの、誰もが流行を追い過ぎて同じ品が届く始末。
先走った者になると、自分の瞳の色のドレスなどを贈りつけてくるので、箱を開けることもないまま返却するパターンも恒例行事だ。
そのくせ、視察への同行となれば風光明媚な観光地ばかりで、長閑な農村や水害に遭った小さな町の慰問などは服が汚れるからと嫌がった。
どいつもこいつも相応しくない。でも王配は選ばないといけない。
全員に不合格を言い渡したいのならば、自分で見つけてくるしかない。
そして出会ったのがステファンだ。
初めて会ったのは、先代女王に隠れてお忍びで行けたと思い込んでいた、貧民街の中にある学校だった。
ステファンは休日に教鞭を執るボランティアスタッフで、私がコッソリお忍び視察をしていた日も貧民街の子ども達に教えていた。
年齢や習熟度を見極めながら、相手に合わせて辛抱強く勉強を教える姿に、王配決定のファンファーレが脳内で高らかに鳴らされたのを今でも鮮明に覚えている。
「それからは大変だったな」
「ええ、私はただの平民でしたからね。
行儀作法やら貴族の方々の顔やら名前やら覚えるのに苦戦して、マナー教師の方々に大分迷惑をかけました」
平民であった彼の職業は教師で、平日は平民向けの学校で教え、休日は貧民街の子ども達に教えていた。
王太女として貧民街の改革を次の治世への取り組みとしていた私には、ステファンはまさに貧民街を知るための知識であったし、王家が介入するための橋渡し役としても適任だった。
けれど、邪魔をしたのは平民という身分だ。
貴族社会に異分子を入れるのならば、誰にも口を出させないための力を身に付けないといけない。
「力」は権力ばかりではない。貴族社会を生き抜くために必要な教養と社交術だ。
「お前には本当に苦労をかけた」
「それだっていい思い出です。
知らぬことを教わるのは、いくつになっても楽しいことですから」
そう言えるのは教師であったからだろうが、大人になって身に付ける難しさは尚のこと。
「お前の献身には本当に感謝している」
そう伝えれば、相も変わらず緩い涙腺が滲んでいる。
昔、散々に酒を飲ませた時に、私の分もおおいに泣きたいと言ったから好きにさせているが、ステファンが泣けば私が少しだけいい人のようにも思えるのだから不思議な話である。
「あの頃が懐かしいな。
ステファンはどうだ?」
呟くと、ステファンが目を細めて私を見る。
「懐かしくはありますが、今が幸せなので振り返るのはまだまだ先で良いかと」
背の高い彼が少し屈んで私の手を取る。
「昔も、今も。ロクサーヌ、貴女はいつだって輝いて、私はそこから目を離せないのですから」
彼の眼はいつも真っすぐで偽りがなく、だから少し目を逸らしたくなる。
「もう40歳も越えた年寄りに言う言葉ではないな」
「それを言うならば、50歳も過ぎた老人の言葉でもなかったでしょうか?」
小さく笑うステファンは二人の時だけ、少し意地が悪い。
「ステファンが言うのは問題ないのだ」
「ならば貴女を賛美する許可を」
これは分が悪い。
「とにかく、イオアナの王配をどうするかだ」
そう誤魔化して視線を向けたのは、テーブルに置かれた新しい王配候補の調査書だ。
まだ手を付けてはいないのだが、表紙に書かれた調査対象の名前に覚えがある。なんだったら昼に同じ家の者が茶番劇を披露してくれている。
ジョルジュ・トゥドレスク公爵令息。
ミハイルの兄だ。
公爵家とは親戚関係でもあるので幼い頃からよく知っているし、優秀で有望な人物だという評判も耳にしているが。
「私の記憶が確かならば、ジョルジュ様は嫡男だったと思うのですが……」
「その記憶は確かで間違いない。ジョルジュは嫡男だ」
だから王配候補からは外していたのに。
ミハイルの失態を挽回する為とはいえ、さすがの公爵も首を縦に振るかどうかはわからんな。
とはいえ、それぐらいはイオアナとて理解しているはず。
既に公爵とは内々に会談を終えて、慰謝料についての相談を始めたところである。
さりげなく慰謝料の中に盛り込んでみるか。
後で婚約誓約書に記載した契約事項を確認せねば。
明確な金額や物品ではなく、公爵家の誠意などという書き方をしていれば、まだ交渉の余地はあるだろう。
二人して黙り込むこと少し。
「とりあえず明日考えよう」
「そうですね」
微睡の中へ落ちるまでと注がれた酒を見つめ、今日がなんとか終わったことに安堵しながら一息に飲み干した。
【募集終了】匠な誤字職人様達によって劇的アフターな読みやすさになりました。ありがとうございます!